第11話 檜山優という男の子
「吉永さんも吉永さんだよ。あげたらどうなると思った? 仲直りしてるの想像できた? そんなの全然浮かんでなかったんじゃないの」
辛辣な言葉に顔を挙げたら、思いのほか柔らかな顔で高木が私を見下ろしていた。
「わざわざ自分から傷つきに行って、最悪の結果を引き受けるの。なんで?」
「高木くん。今、それ追求しなくてもいいんじゃないかな」
純粋な幼児のような目をして尋ねる高木を、由美子が制した。
自分でも何をやってるんだと思う。
高木の言うとおり、ママや柚希が語ったような檜山と仲直りする姿なんてこれっぽっちも想像できてなどいなかった。
むしろこうなることの方がよっぽどリアルに予測できていたはずだ。
かったるそうにどすっと全身を預けるようにして後ろの席に腰を落とした百瀬が、こちらも見ずに話し出す。
「俺も、吉永さんが悪いと思う。みんなであれほどやめとけって忠告したんだから。これで吉永さんが可哀想って言うのは、なんか……」
言い淀む百瀬にかなえが食ってかかる。
「なんで檜山の味方すんのよ。暴力ふるう奴が悪いに決まってんじゃん」
百瀬はうーんと考え込むようにして視線を左に上げた。
「味方する気は全然ない。けど、あいつにだって色々あるだろ? いかにもありそうじゃん。だったら避けるのが、何って言うか、普通だよ。それでも押して渡した吉永さんのほうが俺には不思議」
「……ごめん」
そうだよ。
私、うまくいかないのはわかってた。
それで今、ほらみたことかって思ってる。
わざわざ自分を傷つけて復讐しようとしてる。
誰に対して?
そうだ。
やっぱりひどいことになったじゃないかって、柚希やママに見せつけようとしてるんだ。
渡すのが自分の意思じゃなかったからこそ押し通したんだ。
人のせいにできるから。責められるから。なにもわかってなかったごめんねって言ってもらいたいから。
傷ついた私を見せつけて、罪悪感を感じさせるために、思い知らせるために、やった。
関係ないのに利用されたのは、檜山のほうだ。
百瀬の言ってた自分から絡んでいって都合悪くなったら泣くってこういうこと。
私が誘発した。私が悪い。
みんなからヨシヨシされる資格なんかない。
「自覚あると思うから言うけど、吉永さん檜山に嫌われてるよね」
「……うん」
涙声になってしまうのはどうしてだろう。
自分だって好きじゃないくせに、嫌われるのは許せない?
「杏、聞かなくていいよ」
きついことを言う百瀬から私を庇おうと、かなえが話を打ち切ろうとする。
けれど私は話を続けた。
百瀬が理由を知っているような気がしたんだ。
「学校に上がる前から檜山とはプールで一緒だった。コースも違うし、喋ったことなかったけど。でも、なぜかあの頃から、私は檜山に嫌われてたと思う」
「似てるからだよ、吉永が。幼稚園の頃、檜山のことをいじめてた子に、すごく」
百瀬の言葉にかなえが首を傾げる。
「え? 学校に杏に似てる子なんかいたっけ」
由美子が首を振る。
私にも覚えがなかった。
「宮下南小には来なかったんだ。でも俺も、南朋も、吉永と直接話すようになるまで長らく混同してた。ふたば幼稚園だった子はたぶんその感覚、わかると思う」
「……もしかして、あーちゃんって呼ばれてた?」
そういえば入学したての頃、知らない子から親しげに呼びかけられて、いきなりあだ名つけられたって戸惑った覚えがあった。
園で一緒にやったことの話をされて、ついていけなかったことも……。
「たぶん。本当の名前はもう忘れたけど」
うちの学校で一番多いのが、百瀬たちの通っていたふたば幼稚園出身者だ。
私たち四人は高砂幼稚園出身で、宮下南小学校にはあんまりいない。
深く考えたことがなかったけどそういう理由だったのか。
百瀬は話を続けた。
「すぐ泣いて訴える子でさ。飛んできた先生は何があったか確認もしないで、泣いてるんだから謝りなさい、女の子を泣かしちゃダメでしょうって檜山ばっかり叱るんだ。で、癇癪を起こしたら、男の子が泣かないのってやっぱり檜山が怒られる。理不尽だよ」
「それは先生がダメよ」
かなえが即座に突っ込む。
「女子だって男子が泣かしたって大騒ぎするじゃん」
「そりゃ泣いてたらほっとけないわ。でもちゃんと双方事情を聞けばわかる話よ。それが先生の仕事じゃないの」
かなえの反論に百瀬はどうだかと不満顔だ。
確かに、そういう文化は私たちの園にもあったし、今の学校にもあると思う。
親たちだってそう。
反対に私たちの方が、男子が女子にちょっかい出すのは可愛いからだ、男子ってそんなもんだと受け入れさせられることだってある。
どうして嫌なことをされた上にわかってやらなきゃいけないのって思う。
女の子は賢いから、男の子はいつまでも幼いから、女の子は陰湿だから、男の子は乱暴だから……。
そんなことない、そんなのぜんぜん違うよ? といくら疑問をぶつけても、そうなんだって決めつけられる。
塗り込められる。
嫌がる子にちょっかい出すのも、悪いことをしたくせに泣いて誤魔化すのも、大人が許すからするんだよ。
女の子が乱暴なのは許さないのに男の子には寛容で、男の子が細かいと女みたいとからかって、女の子のそれは歓迎する。
決めつけに従っていれば欲しかった注目が集められる。
いい反応が手に入る。
そして自分たち自身も男は、女はこういうものなんだって思い込んでいく。
私は大人を信じてない。
これっぽっちも信頼してない。
かなえの言うようにわかってもらえるとは思えないんだ。
そしてそれを、例えばかなえのように大人を信じている子に、どんなふうに言えば伝わるのかわからない。
百瀬はかなえの言葉をさらりと流した。
「だったらいいけどね。檜山のお母さんはいつも先生に謝ってた。バス待ちの列から檜山はあとで家でも怒られるんだろうな〜って見てたんだ。さすがに今でも混同したりはしてないと思うけど。吉永さん、そういうわけだから。もう檜山はほっときなよ」
百瀬に宥められて頷きかけると、かなえが毒舌を吐いた。
「何がそういうわけだからよ。だからって杏にしたことがこのまま許されていいわけないじゃない? 男子って大変だねって受け止めて欲しいわけ? 冗談じゃないわ。男同士守り合って気持ち悪」
「は?」
「かなえちゃん、落ち着いて」
由美子がヒートアップするかなえの腕を引くと、隣で高木が呑気な声を出した。
「ももちゃん、そんな昔のことよっく覚えてられるね。僕は保育園の頃のことなんて何も覚えてないよー」
あはは、と軽々しい笑い声が宙に浮く。
高木なりに話を逸らして険悪な空気を和ませようとしているのだろうか。
かなえは高木を無視して百瀬を責めた。
「檜山の過去なんか杏には関係ない。許される理由になんかなんない」
「あーもー。それは、俺だってそう思ってるって。味方するつもりはないって言ってんじゃん」
「杏がほっとかないから悪いみたいな言い草だったけど?」
「なんでだよ。それはチョコの件に関してはの話」
二人の声が大きくなる。
言い方はきついけど、確かにかなえの言う通りだ。
話を聞いたからってこのまま檜山の嫌がらせを受け続けることを仕方がないとは思わない。
今回のやり方は間違ってたけど、百瀬の言うようにほっといたからって、私がやられなくなるわけではないのだ。
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