第13話 私たちはみんな自分に嘘をつく

 夕飯時、スマホが鳴ってママはごめんなさいと断り、席を立った。

 込みいった話なのだろう。スマホを耳に当てたまま廊下へ出る。

 パパはじっとりとした目でママの姿を追いかけた。


「まったく何の用だよ。夕飯時に」


 今日は珍しくパパの帰りが早くて、家族揃っての夕飯だ。

 ふだん決まった時間に食べていないのに、パパはどうして相手にうちが夕飯時だとわかると思うんだろう? と疑問が浮かんだけど、そんなことは口が裂けても言わない。


 ママはなかなか戻って来なかった。

 パパの皿はとっくに空になってしまったけれど、柚希に冷蔵庫のビールを持ってこさせて居座り続けている。

 ママの茶碗に盛られたご飯は、もうすっかり冷めている。

 あとで温め直したほうがいいよね、なんて考え始めた頃、ママが電話を終えて戻ってきた。

 パパが苦々しい顔で尋ねる。

 

「誰?」

「え? ああ、うん。学校から」


 ママは手を洗って席についた。

 いただきますと律儀に手を合わせ、冷めたご飯に箸をつける。

 学校から? もしかしてハマセンじゃないだろうか。

 帰り際に大葉が、檜山がハマセンと菜園で待ってると言っていたことが思い浮かんだ。

 ハマセンとは話さずに帰ったけど、チョコの件を把握していると考えるのが自然だ。


「急ぎの用か」

「そんなこともないけど」

「こんな時間に、長々と」


 子供の学校から電話があったとなれば、まず内容が気になるものなんじゃないかと思うんだけど、パパの関心は電話の用件にはないようだった。

 せっかく早く帰ってきたのにくつろぎの時間を邪魔された。

 もっというならママに優先されるべきは自分のはずなのに、そうではなかった。

 割り込んできた学校にも、それをあしらえないママにも、両方に怒っているように見える。

 パパとは対照的に、電話に興味津々だったのは柚希だ。


「え、何? 中学校じゃないよね」

「いいから。食べ終わったんなら下げなさい」


 ママに叱られて、柚希は頬を膨らませた。


「は? 何で私にだけ言うの。杏やパパも終わってるじゃん」


 柚希は自分がママに冷遇されていると被害的に受け取り、非難の声を上げた。

 確かに私の皿にはなにも残っていない。

 食べ終わっていたけどパパの不機嫌が怖くて、何となく席を離れづらかったのだ。

 こんな時、どうしていいかわからない。

 ここにいたくない。

 透明になりたい。

 目を伏せて、もうほとんど身のついてない魚に箸を伸ばし、まだ食べているふりをする。


「何それ。当てつけ? わっざとらしい」


 柚希は肘で私を小突き、大きな音を立てて食器を重ねはじめた。

 殺伐とした空気に、父が当て付けがましく大きなため息をつく。


 パパも、柚希も、自分の不機嫌の理由をみんなママのせいにする。

 ママが自分の思い通りに振る舞ってくれないから悪いと言う。

 こうなったのはママのせいだよ、だから機嫌を取ってくれと身を投げ出すんだ。


「ごちそうさま」


 私も合わせて席を立った。

 食卓に残るのは得策じゃない。

 ママが心配そうな目で私を追う。

 やっぱりあの電話はハマセンだったんだ、と確信する。

 みんなの前で口を開かないのは二人には聞かせまいとするママなりの配慮なのだと思う。思いたい。

 私は視線に気づかないふりをして食器をシンクに運んだ。



 リビングを出ると扉の奥でわざわざ柚希が待っていた。

 聞き耳を立てていたのかもしれない。

 

「チョコで仲直り。うまくいった?」

「……まぁ普通」


 適当な返事をする。

 暗い廊下でふうん、と笑みを浮かべる柚希を見て、わかってしまった。

 最初から酷い結果になることを期待していたのだ。


 私だって仲直りする姿なんかちっとも想像できなかった。

 叩き返されるシーンなら、消しても、消しても浮かんできた。

 うまくいかないと感じながらも従ったのは、柚希やママが私のためを思って言ってくれているのだと信じたからだ。

 的外れに思えても、善意だと理解したからだ。

 だから自分の傷付きを飲み込んで、無神経な私が気づかず檜山を傷つけていて、私からアクションを起こすべきだって言った柚希のストーリーに乗っかった。

 でも違った。


「杏ちゃんの、嘘つき」


 耳元で囁き、柚希はウキウキとスキップするようにして洗面所へ身を滑らせた。

 なんてうれしそうなんだろう。

 いいことがあったのを隠しきれないでいる小さな子供みたい。

 私は一人動けないでいる。

 扉越しにパパがママを詰っているのが聞こえる。

 バカだなぁ。私。

 ぽろりと涙がこぼれ落ちる。


 瞼の裏に浮かぶのは、今は手元にない潰れた箱。

 上履きの跡。

 汚らしくはみ出したチョコレート。

 檜山の怒りを目の当たりにした衝撃は想像以上で、期待なんかしていなかったつもりでも、絶対傷つかないように心を固くしていたつもりでも、簡単に圧倒されていた。

 傷ついていた。

 柚希はわざわざ洗面所から顔を覗かせ、追い打ちをかける。

 

「えーっ。泣くほどのこと? いいじゃん。本気で好きだったわけでもないんだし。たいしたことないよ」


 弾んだ声に顔を上げることが出来ない。

 私は自分に言い聞かせる。

 たいしたことじゃない。

 織り込み済みだった。

 檜山の時と同じ。

 こうなることだって本当は、わかってたはず。

 ずっとざわざわしてたのに、私が私を無視したんだ。

 だから今更、泣くようなことじゃない。

 泣いても、誰も同情なんかしない。


 罪悪感を持った柚希やママが「わたしのせいね、ごめんなさい」と頭を下げて、私の辛さを受け止めてくれて……なんて甘い幻想。

 二人を試したりして、バカなのは私だ。

 人の言う通りにしたところで責任を取るのは自分なのに。

 誰かのせいにしようとしてもダメ。

 最初から自分の信じるようにしなかった、私が起こした結果なんだから。

 唇の内側をギュッと噛み締め、顔を上げる。


「楽しそうだね」

「酷くない? 杏って性格悪い。心配したのに」


 柚希はニヤ付いてしまうのを誤魔化すように無理やり頬を膨らませ、顔を背けた。

 ママは結局じっとパパにつきっきりで、電話のことを何も話してくれなかった。





 翌朝、教室に着くなりハマセンは私を呼び出した。

 職員室の中を通り、内扉で繋がっている応接室まで連れていくと、昨日のことを自分の口で話すように促される。

 私の話をうんうんと頷きながら聞いていたハマセンは、話し終えるとこう言った。


「吉永さんは何も悪くない。もしも悪いところがあるとしたら、学校にチョコレートを持ってきたことくらいかな。昨日お母さんに電話したんだけど、習い事だったんだってね。お母さんと話はできた?」


 なんのことだろうと首を傾げていると、ハマセンはちょっと驚いたように糸のように細い目を見開いて、それから笑顔をつくった。


「僕は昨日、大葉さんと檜山さんに菜園の土づくりを手伝ってもらいながら、いろいろ聞いた。菜園にね、近いうちにみなみ学級のみんなでジャガイモ植えるんだよ」

「はぁ」


 みなみ学級とは宮下南小学校の特別支援学級のことだ。

 何人いるか知らないけど、先生がいっぱいいて、教室は三クラスもある。

 この菜園は学校のものだけど、二年生の時にきゅうりやへちまを育てたことがあるくらいで、それからはあまり縁がない。

 それもスカスカになったへちまを持ち帰った思い出があるくらいで、世話をした記憶はまるでなかった。

 みなみ学級の子が使っているのか。


「授業があるから一緒には植えられないけど、草抜きとか、肥料とか、任せてもらってるんだ。畑が先生の友達みたいなもんだって言ったら、檜山さんに寂しいやつだなって笑われたけどね」

「そう、ですか」


 檜山の自嘲気味の笑みが頭に浮かんで悲しくなる。

 檜山には友達がいない。

 大葉が檜山を庇ったのは幼稚園が一緒だったよしみであって、檜山が彼にとって百瀬や、高木のような打ち解けた相手だというわけでは決してない。

 檜山にとって友達がいないのは寂しいことで、寂しいことはバカにすべきカッコ悪いことで。

 ハマセンをバカにして、他人をバカにして、世界中をバカにして、カッコ悪い自分の寂しさは絶対に認めない。

 つらさを認めない。

 そんな軽口が叩けたのも、ハマセンや、一緒にいた大葉が、決して「お前こそな」などと攻撃してこないと踏んでいたからだろう。

 

「吉永さんは、これからどうしたい」

「正直、檜山くんとはもう、関わりたくないです。そんなこと言われても先生は困るだろうけど」

「僕が? 僕は困らないよ。……なるほど。吉永さんはそうやっていつも大人の心配をしているのか」


 何も答えられないでいるとチャイムがなって、ハマセンはそのまま話を終えた。

 どこか不思議な感じがしたけど、それがなんだったのかを理解したのは、凛花との帰り道だった。

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