4.信用なんてしないはず

 そこにいたのは、モノクロの人間だった。


 白いTシャツと黒いズボン、そして、例の例のリュックを肩にかけている。おそらく先ほど七号館で見かけた男性だろう。


「……っ」


 警戒で身体を硬くする。先ほど見つけた棒を持ってくればよかった。リュックの中にナイフが入っているけれど、取り出すよりも相手が近づく方がおそらく早い。


 対峙した相手を観察する。肌が白くて切れ長の目、キツネのような顔だと思った。身体は細く華奢で、どこか少年らしさも残っている。


「入らないんですか?」

「は、は、入らない!」


 そう答えると相手は、少し残念そうな顔をした。


「明沙先輩なら、行くかなって思ったのに」


 男は唐突に私の名前を口にした。


「ちょっと、私の名前、なんで?」

「いやだなあ、自己紹介したじゃないですか」


 覚えてませんか、と男は問うてくる。その問いに答えるために、記憶を必死に掘り起こす。


「……カトーくん?」

「佐藤です。佐藤智史」


 彼とは一週間ほど前、明沙が所属する児童文学研究会というサークルが開いた新入生勧誘の飲み会で顔を合わせていた。そのときは、花柄のシャツという派手な服を着ていたので、その印象ばかりが残って顔は覚えていなかった。


「き、今日は地味な格好なんだね」

「汚れるかもしれませんから、お気に入りの服は着てこられません 」


 思い出してくれたんですか、と佐藤くんは嬉しそうに笑う。少なくとも相手が魑魅魍魎の類いではなく、学籍番号を持った存在であることに安心する。


「なんでこんなところに?」

「それは明沙先輩だって同じじゃないですか」

「私は、その、人を探していて……」

「架神教授ですよね?」

「知ってるの?」


 私の問いかけに対して、佐藤くんはゆっくりと頷いた。彼がなぜ私が教授を探していると知っているのかは気になるが、それ以上にようやく手がかりらしい手がかりが得られそうな感触に高揚する。


 電子レンジやリュックなども手がかりといえば手がかりだけれど、私の頭ではあまり役に立ちそうになかった。それよりも、質問すれば答えてくれる可能性がある人間相手の方が幾分か気が楽だ。


「知ってるなら教えて。架神教授はどこにいるの?」

「たぶん、ここだと思います」


 そう言って佐藤くんは足元を指した。


「地下の先です」

「先?」


 やはりこのエレベーターはさらに下へと続いているのだ。佐藤くんを視界の端に捉えたまま、チラリとエレベーターに視線を移す。


 調査を続けるにしても、逃げるにしても、エレベーターで先へ進むしかなさそうだ。


「あ、ちょっと待ってください。僕も行きます」

「行くって、どこへ?」

「下です。先輩も行くんですよね?」

「そりゃ、そのつもりだけど……」


 あんたさえいなければ、とっくに行動しているのだ、と思ったが口に出さない。柔和に笑う笑顔に裏があるとは思えないけれど、何を考えているかはわからない。どの程度信用していいものか決めかねていると、いつの間にか佐藤くんが隣に立っていた。


「じゃあ、乗りましょう」


 促されるままにエレベーターに乗り込んでしまった。


「明沙先輩って、肝が据わってますよね」


 普通なら突然現れた男と二人でエレベーターになど乗らないと、呆れた調子で言われる。


「なんでだろ。メキシコ育ちだからかな」


 日本語教師だった父親に連れられて、小学校一年から六年までメキシコで育っている。住んでいたのはかなり治安のいいエリアだったけれど、それでも危ない目に遭いかけたことは何度もあるし、日本に住んでいたら一生見ないような光景だって何度も見た。


 そのせいか、若いのに警戒心がなさすぎる、と友人によく叱られる。


「帰国子女ってことですか?」

「その言い方は嫌いだけど、まあ、そうだね」

「へえ、なんか、いいですね」


 何がどういいのかわからないが、細身の男は器用に身体を折りたたんでエレベーターの中に収まった。耐荷重がどの程度かわからないけれど、スペース的にはギリギリだ。大人が二人並んで体育座りをしている光景は、端から見ればさぞかし間抜けだろう。


「これ、どっちかが外にいた方が安全だったんじゃない?」

「もう遅いです。行きますよ」


 佐藤くんはそう言うと、壁面に取り付けられた丸いボタンを押し込んだ。貨物用に見えたが、内部からも操作できるように改造されているらしい。


 どこか遠くで大きな機械が動く音がして、エレベーターがかすかに揺れる。揺れは徐々に大きくなって、何かが外れたような感覚と共に、大きく動き始めた。


「もう戻れませんよ」


 すぐ隣で佐藤くんが囁くように何かを言った。


 エレベーターが、地下へと向かう。

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