7.説明なんてしないはず

 佐藤くんは、大学から二十分ほど歩いたところにある古書店の三階に住んでいた。


「父の店なんです」


 古い木造の三階建てで、一階が店舗で、二階がおとうさんの住居、三階が佐藤くんの住居だった。少なくとも窓があって、地下ではないことが何よりも嬉しかった。しばらくはコンクリートで囲まれた地下には行きたくない。


 話すことはたくさんあったけれど、しばらくは何も喉を通る気がしなかった。ファミレスや飲み屋に行く気にもなれず、ひとまず佐藤くんの家に行くことになった。


 ほぼ初対面の男子の家に行くことに抵抗はあったものの、それどころではない経験をしたばかりだ。佐藤くんが、腰にぐるりと痣ができたばかりの女を襲うような子ではないと信じたい。


「こっちです」


 店舗の正面はシャッターが降りていた。佐藤くんは建物の脇を通り抜けて、裏口から案内してくれた。


「もう、店としては営業してないんです」


 夜に突然尋ねてきて、お父さんになんて挨拶しようかと考えていると「祖父はいないので」と説明される。つまり、二人きりだ。それはそれで困る。


 軋む階段を上がって、佐藤くんの住む部屋に通される。階段の途中にも本が積んであったので、どんな部屋なのかと心配になっていたのだけれど、室内は整頓されていて、掃除も行き届いている。外観から想像するよりも快適そうだった。


 佐藤くんはここに生活ながら、ネットで注文された本を発送する仕事をしているという。おとうさんは買い付けに出ていて、基本的には家を空けていて、帰ってくるのは年に数回だそうだ。


 勧められるがまま座布団に座り、出されたほうじ茶を一口すすると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。


 興奮状態から脱すると、今度は先ほどまで自分が死ぬかもしれなかったという事実に、向き合わなければならなくなる。


「あの地下について、知ってること、全部教えて」


 佐藤くんについて、聞きたいことはまだいくつかあったけれど、今はそれよりも先に話すべきことがある。


「ここは元々祖父の店だったんですが、荷物を整理していたら、こんなものが出てきたんです」


 佐藤くんが見せてくれたのは古いノートだった。表紙には『超常迷宮探究記録』と書かれている。


「超常迷宮って、あそこのこと?」

「はい。あそこ以外にもいくつかあるらしいんですけど、場所まで具体的に書いてあったのは、旧一号館の地下だけです」


 あんな場所がいくつも存在する、という事実にたじろぐ。


「探究記録、なんて大仰な名前がついていますが、祖父の日記みたいなもので、どうも学生だったころに、あそこを見つけて探検していたみたいなんですよね」


 パラパラとページをめくって見せられるけれど、崩し字で書かれていて内容はほとんど読むことができなかった。


「財を成すことができるって書いてあったから、入学してから、何度かあそこに行ってみたんですけど、例の黒い人に遭遇して、どうしようか困ってたら、明沙先輩に会ったんです」

「あの、黒いリュックは?」

「地下に行くエレベーターの前に落ちていたのを拾いました」

「あ、そうだ! 途中まで持ってたよね?」


 エレベーターに乗り込む直前までは背負っていたはずなのに、降りるときにはいつの間にか消えていた。


「そうなんです。出ようとすると、消えちゃうんですよ」

「どういうこと?」

「わかりません。でも祖父の日記を見ると、あそこに物を持ち込むことはできても、持ち出すことはできないみたいなんです」


 そう言って該当するページを見せられるが、やはり読めない。


 架神教授のノートにも『ひとつだけ持ち帰れる』と書かれていた。ひとつだけ、ということは、つまりそれ以外は持ち帰られないという意味だ。


 身につけていた服や財布、ケータイなどは消えていない。元々持っていたものには持ち出し禁止のルールは適用されないらしい。


 教授棟にあったノートとリュックの話をすると、佐藤くんは驚く様子もなく、素直に頷いた。


「たぶん、あのリュックは迷宮由来の物品なんだと思います」

「だから出るときに消えちゃったってこと?」

「だと思います」

「でもさ、だったら架神教授の部屋にあんなに大量にあったの、おかしくない?」

「それはわかりません。でも、たぶん、架神教授はあの僕らよりもずっと先まで行って、物品を持ち帰れる方法を編み出したんだと思います」


 そして、奥へ行きすぎて行方不明になったのだ。失踪の理由はおそらくそれだろう。


「そういえば、私が架神教授を探してるって、なんで知ってたの?」

「いやだなあ、自分で言ってたじゃないですか」

「は?」

「新歓の飲み会のときに、親戚だし憧れの人だから、絶対にゼミを受講したいって」

「うそ! そんなこと言った?」

「言いました」


 親戚であることは別に隠していない。しかし、私が自分から喬一おじさんのことを『憧れの人』と言うはずがない。少し酔っていたとはいえ、初対面の人ばかりの飲み会で、そこまでの話をするわけがない。


 何度「あり得ない」と言っても、佐藤くんは「そんなこと言われても」と困惑するばかりで、嘘をついている様子はない。だとしたら、本当に酔って口を滑らせたのかもしれない。


「今日はこのくらいにしておきましょうか」

「へ?」


 まだまだ話したいことや、確認したいことはある。しかし、あまり遅くなって帰れなくなってはいけないと、佐藤くんは私を気遣ってくれた。


 ひとまず連絡先を交換する。ひとりで地下へは行かないことと、わかったことがあったら、情報を共有する、という約束をして、帰宅することにした。


「また明日、話しましょう」

「わかった。また明日。絶対にね」


 古本屋の前で別れの挨拶をして、歩き出そうとして足が止まる。帰る、と考えて真っ先に頭に浮かんだのは、例の地下迷宮だ。よほどのインパクトがあったのだろう。脳に焼き付いて離れない。


 そうではなく、自分の部屋に帰るのだ、と思い直してから、自分の部屋がどんな内装で、そこに何があったのかが思い出せないことに気付く。


 カギはいつも腰のベルトループにつけている。例の黒い人に掴まれた部分だけれども、丈夫なカラビナと耐久性の高いデニム生地は、しっかりとカギを守ってくれた。


 カギがあるということは、それに合うドアもあるということだ。


 しかし、それがどこにあるのか、まったく思い出せなかった。


「ごめん、わけわかんないと思うんだけど……」


 泣きそうになりながら振り返り、自分でも信じられないような言葉を口にする。


「帰る場所、わかんなくなっちゃった」

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