解いたら死ぬ謎 ~超常迷宮探究記録~
能登崇
File.001 私の手は汚れない
1.失踪なんてしないはず
――本年度、架神教授のゼミは開講しません。
春休み明けの大学で、掲示板に貼られた案内を見て、私は膝から崩れ落ちそうになった。
「そんな……」
架神教授のゼミのために、熊楠大学に入学したのだ。偏差値でいえば十以上足りないと言われていた状態から猛勉強してどうにか合格したのに、あまりのことに愕然とする。
「ああ、失踪したんです」
「失踪?」
学生課のカウンターに立つ女性職員はこともなげに言い放った。
「どういうことですか?」
「いえ、部外者に教えるわけにはいきませんから」
詳しく説明してほしいとお願いするが、職員は「決まりなので」と冷たい。
「あの、私、親戚です」
「はい?」
「喬一おじさん……架神教授の親戚なんです」
嘘ではない。 架神教授は私の母方の祖父の兄の妻の妹の息子にあたるらしく、つまり、ものすごく遠い親戚だ。友人にそのことを話したら「他人じゃん」と言われたが、私のなかでは親戚のおじさんと認識している。本来ならば葬式のときでさえ顔を合わせることがあるかわからないくらいの関係だが、母と架神喬一は幼なじみでもあるので、私も幼いころに何度か遊んでもらったことがある。
「二年生の、下井草明沙さん、ねえ」
手元のパソコンに私の情報を表示した事務員が訝しげに言う。学生名簿にどこまでの情報が載っているかはわからないが、親子関係ならともかく、母方の祖父の兄の妻の妹の息子について記載があるはずもない。
「親戚なら、ご自分で連絡できますよね?」
「それは……」
連絡が取れないから、大学を頼ったのだ。実は架神教授こと、喬一おじさんと連絡がとれなくなるのは珍しいことではない。筆無精なので、私がメッセージを送っても返事がくるのは数日後だ。
しかし、母からのメッセージだけは、いつ送っても数秒で返事がある。朝でも昼でも夜でも即レスなので「講義中じゃないの?」と思うこともあるくらいだ。
母に頼んで連絡を取ってもらったのだが、返信はなかった。こんなこと、もちろん初めてだ。
どうにか情報を引き出せないかと粘ったが、職員の対応は変わらなかった。
大学を頼れないのなら、自分で情報を集めるしかない。
サークルの先輩や友人に、架神教授の講義やゼミをとっている人がいないか聞いてまわることにした。どこかのタイミングで、何かしらの説明を聞いているかもしれない。
架神教授は、メディアにもちょくちょく出演していて、一般的な知名度も高い。四十代にしては若々しい容姿と、それに似合ったキザな言動で、お茶の間から親しまれたり嫌われたりしている。そのため、授業を受けていない学生にも「架神教授を探している」と言えばすぐに話が通じる。
私が教授を探しているということが広まると、すぐに「それっぽい人なら見かけたよ」と目撃情報がいくつも集まった。しかし、これがどうも妙なのだ。
「大講堂の柱のかげでゆらゆら揺れていた」
「学食で冷や奴を指でつついていた」
「女子トイレに入ったので驚いて跡を追ったら消えてしまった」
まるで妖怪か何かの類いではないか。
経済学の教授のくせに、自分の研究そっちのけで「最近は心理学に興味が出てきて」「民俗学ってわくわくするよね」などと言っては、あちこちの講義に潜り込んでは他の教授から苦い顔をされているような人なので、ちょっとした奇行程度ではいちいち驚かないが、今回の話は何か質が違う。
結局、わけのわからない目撃情報がケータイに届き続けるだけで、架神教授本人からゼミを開講しない理由や、今どこにいるのかに繋がりそうな情報を聞いた人は見つからなかった。
大学側が『行方不明』や『連絡がつかない』ではなく『失踪』と言ったからには、それなりの根拠があるはずだ。まさか『失踪します』と宣言していなくなったわけではあるまい。
自宅には母が向かっているはずなので、あと探すとしたら、教授棟くらいだろう。
「失礼しま~す」
教授棟はキャンパスの最奥に位置する七階建ての建物で、教授と准教授には個室が与えられている。ゼミに所属すれば教授を訪ねることもあるのかもしれないが、二年生になったばかりの学生とは縁遠い場所だ。
経済学部の教授の部屋は二階にあるようだった。階段を上がり、妙に静まりかえった廊下を抜けて、架神教授の部屋の前に立つ。一応ノックをしてみたが、やはり反応はない。丸形のノブを掴むと、抵抗なく回ってしまった。
「え、開いてる?」
おそるおそるドアをあける。学生が勝手に立ち入っていいエリアではないが、喬一おじさんなら許してくれるだろう。
室内はやはり無人だった。壁を覆い尽くすような書棚と、正面にある大きなデスクが目に入る。サークル棟に割り当てられている部屋と同じくらいのサイズだが、雰囲気はまったく違う。
「教授~? おじさ~ん?」
誰もいないとわかりつつ、念のため声をかけながらゆっくりと部屋の奥に進んでいく。
木製の立派なデスクに、二冊のノートと電子レンジが置いてあった。
「なにこれ」
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