2.視られてなんていないはず

 ――正体を突き止めよ

 ――倒さぬ限り帰れない

 ――ひとつだけ持ち帰れる


 電子レンジの脇にあるノートを開くと、一枚目に三行だけ文が書かれていて、それ以降はいくらめくっても白紙だった。


「正体って、このレンジの正体ってこと?」


 走り書きで書かれた文の意味はわかるが、意図が読み取れない。おじさんの時代はゲームセンターに置かれたノートに攻略情報を書き込んで交流していたと聞いたことがある。目の前にあるこれも似たようなものだろうか。


「あ、同じだ」


 二冊目に何が書かれているか気になって開いてみると、一冊目とまったく同じ文が並んでいた。それだけならさほど不思議ではないが、文字の位置までまったく同じだった。二冊を並べて見比べても違いを見つけられない。文字だけでなく、ノートの紙の繊維や印刷のかすれまで同じに見える。


 文字が書かれたページだけではなく、二枚目も、三枚目も、表紙に角がわずかに折れている部分まで寸分違わず同じものだ。


 ノートをバラバラにして、一枚ずつコピーしてから綴じなおせば、つくれなくもないかもしれないが、そんな手間をかける意味がわからない。


「だれ?」


 双子のようなノートを検分していると、窓の外で何かが動いた気配がした。反射的に顔を上げるが、窓の外にはただキャンパスが広がるばかりで、鳥やネズミすら見当たらなかった。


 先ほどまで気にならなかった静寂が耳に突き刺さる。不安。焦燥。寂寞。不審。違和感。鼓動が早くなっているのを感じる。


 窓の外にあった気配が、回り込むようにして移動している。部屋を中心にして、百八十度ぐるりと半円を描くように動き、そして止まった。


「うそ……」


 部屋の反対側にはドアがある。視線を向けると、ドアノブがゆっくりと回った。


 「喬一おじさん?」


 向こう側から、息づかいが聞こえた気がした。


「あの、だれか、いますか?」


 返事はない。


「すみません」


 ドアノブは回り続ける。本来であればある程度回ったところで止まるはずだ。しかし目の前にある銀色の何かは、ぐるぐるぐるぐると回転を続けていた。


「開けますよ!」


 何かが起きることを、ただ待つことに耐えられず、思い切ってドアをあける。回り続けていたはずのドアノブも、私が手をかけた途端に動きをとめて、力を感じることはなかった。


 ドアを思いっきり引いて全開にし、その勢いのまま廊下に出たが、そこには誰もいなかった。三限目の真っ只中だからか、フロアは静まりかえっている。


 階段までの距離を考えると、姿を見られずに移動する時間はなかったはずだ。気配だけなら勘違いだと断じることもできるが、ドアノブが動いているのは間違いなく見た。念のため確認してみるが、糸を巻き付けたり、テープを貼ったような痕跡も見当たらない。


 音を立てないようにそっとドアを閉めて室内に戻った。


 今日ここに来ることは誰にも話していない。イタズラだとしても地味すぎるし、どうせ仕掛けるのなら、私が驚いたり怯えたりする姿を見られる方法にするはずだ。と、そこまで考えて全身が粟立つ。


 つまり、誰かこの部屋にいる?


 そんなはずがないのに、全身に視線を浴びせられたような気分になって、慌てて背後を振り返る。もちろん何もない。先ほどまでと変わらず、ただデスクと電子レンジがあるだけだ。


「ふー」


 意識して息を吐き出す。手をぎゅっと握り、人差し指から順に開いていく。喬一おじさんに教えてもらった、落ち着くための儀式だ。何か決まった行動を感情と紐付けておくと、集中したいときや落ち着きたいときに役に立つ。


「だいじょうぶ、大丈夫」


 自分に言い聞かせながら、もう一度部屋を調べる。デスクの向こう側、窓に近い部分はまだ見ていない。


 デスクの下を確認すると、リュックがあった。リュック自体は量販店で見かけるシンプルなものだが、なぜかそれが四つ並んでいた。色違いでもない。すべてブラック。


「いや、うそでしょ」


 リュックの中を確認する。一つ目で嫌な予感がして、二つ目で予感が確信に変わり、三つ目で嫌悪感を抱き、四つ目で呆れてしまった。


 中に入っていたのは、探検セットとでも呼べそうなラインナップだった。ロープ、ナイフ、コンパス、懐中電灯、方眼紙、ペン、スキットル、ライター、シャツ、パンツ、寝袋、デジカメ、カラビナ、そしてメモ書きが一枚。


 問題はまったく同じものが四つのリュックすべてに入っていたことだ。


 同じものを揃えるのにはまっていた、とは思えない。前衛的なコンセプトのアート作品でもつくるつもりだったのだろうか。


 もしくは、五人で探検に出かける予定で装備を揃えたが、全員に裏切られてしまって、喬一おじさん一人で出発することになってしまったようにも思える。


 ケータイが振動したので確認すると、母から『喬ちゃんおらんかった』とメッセージが届いた。


 とにかく、何か異様なことが起きているのは間違いない。


 デスクの下には他に、黒い砂のようなものが詰まったペットボトルが数本あったが、何か意味があるとは思えなかった。


 手がかりになるかもしれないと思い、ノートとリュックをひとつずつ持って教授棟を出る。


 勝手に持ち出していいか、少しだけためらったけれど、たくさんあるから、たぶん大丈夫だ。

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