3.お揃いなんて嫌なはず

「あのリュック!」


 それが視界に入った途端、思わず声が出た。よくひとり言が多いと友人に指摘されるが、不安やストレスを感じると頻度が増えるように思える。受験勉強のときなど、一人で机に向かいながらブツブツ何かをつぶやき続けて、お母さんを心配させてしまった。


 そんなことより、今はリュックだ。教授棟からリュックを担いで出てきた直後に、同じものが目に入ったのだ。


 教授棟の正面は、広場のようになっている。リュックを背負った何者かは、向かいにある七号館に入るところだった。


 人影を追いかけて慌てて七号館に入る。首元が汗ばむが、走ったからなのか、嫌なものを見たからなのかの判別がつかない。


 七号館の一階は、椅子や机が置いてあるひらけたスペースになっている。暇そうな学生が数人座っていたが、リュックの持ち主は見当たらなかった。


 リュックを背負っていたのは、黒髪の男性で、おそらく学生だろう。白いTシャツと黒いズボンという、まったく特徴のない服装だった。かなり細かったような気がするが、遠くからなので自信はない。


 ただ黒いリュックを背負っている人なら構内に何人もいる。同じリュックだと思ったのには理由がある。教授棟で見つけたリュックは、四つとも角の部分が白い粉のようなもので汚れていた。それと同じものがついているように見えたのだ。


 ただの偶然だと断じることもできるが、そうとは思えなかった。


 もしかしたら、また近くを通りかかるかもしれないと思い、七号館のフリースペースに座って、先ほど教授棟から持ち出したリュックを検める。


 特に気になっていたのはメモ書きだ。他の道具類と違って、これだけは明らかに意味がある。


 ――地下一階 エレベーター 下へ


 この癖のある字は間違いなく架神教授のものだ。すると、どこかに探検に行くようなリュックを背負って、この場所へ行ったということだろうか。


 キャンパス内に建物はいくつもあるが、地下がある建物は存在しない。唯一、地下らしき場所があるのは、取り壊し前の旧一号館だ。あそこには地下があると、架神教授から聞いたことがあった。


 旧一号館の地下に行き、そこで何らかのトラブルがあって、動けなくなるか、閉じ込められるかしてしまった可能性は高い。


 連絡が取れなくなったのは一週間ほど前からだ。もし想像通りのことが起こっていたとしたら、


 不吉なことを考えてしまい、暗い気持ちになる。いや、大丈夫だ。そんなはずはない。喬一おじさんのやさしい笑顔を思い出そうとしたのに、浮かんできたのは見たこともないはずの泣き顔だった。


「はやく、行かないと」


 四限は必修の講義があったが、どうせ初回は簡単な説明だけだ。それよりも一刻も早く架神教授を見つけ出さなければならない。リュックを背負って七号館をあとにする。結局同じリュックを持った何者かが通りかかることはなかった。


 旧一号館はかなり古い。外壁はひび割れていて、触っただけで崩れてきそうだ。大学自体は大正時代からの歴史があるが、建物自体は何度か建て替えられているはずだ。戦時中に建てられたと聞いた記憶があるが、当時の日本にそんな余裕があったとは思えないし、戦前の間違いかもしれない。


 どちらにせよ、自分が生まれるから存在する建物であることには間違いない。正面の入口は当然カギがかかっている。


 いくら教授とはいえ、使わなくなった建物に自由に出入りできたわけがない。必ずどこかに入口があるはずだ。外周をぐるりと周り、入れそうな場所を探す。裏口も閉ざされていたが、そのすぐ横にある窓はカギがかかっていなかった。


 目論見が当たり、「よしっ」と、小さくガッツポーズをする。


 ふと視線を感じて、誰かに見られたかもしれない、と恥ずかしくなるが、周囲には誰もいなかった。そもそも、旧一号館が建っているのはキャンパスの最奥で、用事もないのにこのあたりにくるような学生はほぼいない。


 窓を開けリュックを中に放り込む。壊れるようなものは入っていないから大丈夫なはずだ。その後、よじ登るようにして身体をねじ込む。


 昼だというのに館内は薄暗い。非常灯の光だけが床に反射している。廃墟というほど荒れてはいないが、長い間使われていない場所特有の匂いが鼻につく。


 旧一号館は三階までしかない。階段に向かうと、二階へ向かうルートは鎖で封鎖されていた。鎖がかけられていた形跡があったが、何者かによって外されたようで、鎖が床に落ちていた。何者かというが、おそらく架神教授だろう。


 念のため一階をぐるりと歩き回って何か痕跡がないか確認する。いくつか開かないドアがあったので、もし中で倒れていたら発見できないと思いつつも、ドアを力尽くで破る勇気もなく、外から声をかけるにとどまった。


「いるとしたら、こっちだよね」


 地下へと伸びる階段を眺めながら独りごちる。


 建物のつくりのせいなのか、階段を降りるだけでこつこつと音が響く。先ほど案内図で確認したところによると、地下は一階の半分以下の面積しかない。


 同じようにぐるりと一周してみたけれど、教授はどこにもいなかった。


「武器?」


 三メートルほどの木の棒が七本、廊下の隅に隠すように置いてあったのを発見したが、教授の行方と関係があるとは思えない。


 残された可能性は、廊下の最奥に設置されているエレベーターだけだ。


 電源は生きているようで、緑のランプが光っている。一般的なものではなく、貨物用のものらしく、高さが胸の位置までしかない。小学校のころに使っていた給食用のエレベーターにそっくりだった。


 エレベーターのドアの前に、黒いリュックが置いてある。汚れも中身も同じものだ。やはり架神教授はここに来たのだ。


「この中にいるってことは、ないよね?」


 もちろん、返事はない。中に入ると、ドアが開かなくなって出られなくなると、小学生のころに散々聞かされた。実際にそうした事故は起きているらしいが、まさか小学生ではなく大学教授がやらかすとは思いたくない。


 ドアをあけようとしてボタンに手をかけたところで気付く。壁についているボタンは『開』と『▼』の二種類しかない。


 ……そういえば、一階にエレベーターはなかった。


 エレベーターはフロアを移動するためのものだ。上に向かわないとすれば、下に向かうのだろう。しかし、この建物には地下一階までしかないはずだ。


「あ」


 『開』のボタンを押すと、ゴンと音がして鈍く銀色に光るドアが左右に開いた。そこには黒い塊があった。スマホのライトで照らすと、あのリュックだとわかる。今自分が背負っているものとまったく同じリュックがエレベーターの中から出てきた。


 奇妙なことが起きすぎで感覚が麻痺してきたのか、あまり驚かない自分に驚いた。


 メモには『下へ』と書いてあった。それに従うのなら、乗り込んで見るしかない。


 どうしようか迷っていると、


「入るんですか?」


 背後から、声がした。

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