10.名前なんてつけないで

「殺すしかないと思うんだよね」


 午前中の学食は、ほぼ貸し切り状態だった。物騒なことを口走っても聞かれる心配はない。少し離れたところに男子学生が数名座っているだけなので、この距離なら大丈夫だ。


「殺すって……」

「うん、あれ、を」


 一晩考えて出した結論なのだ。佐藤くんが何と言おうと翻す気はなかった。


「そういえば、あれ、名前つけたいね」

「飼うんですか?」

「いや、ペットにするわけじゃなくてさ」


 家に入ってくる可能性はあるが、同居をするつもりはない。


 これまでずっと『黒い何か』としか呼んでいなかった。今後も対処し続ける必要があるなら、名称を決めておいた方が楽だ。


「おじいさんの日誌には、何て書いてあったの?」

「いや、まだ全然読めてなくて」


 佐藤くんのおじいさんの日誌は、ボロボロになってページが抜けているうえに、達筆すぎて読み取れない部分が大半だ。


「期待してたのに、思ったより役に立たないなあ」

「あそこへの行き方をどうにか解読できただけでも、たいしたものじゃないですか」

「それはそうだけど」

「あの場所は、なんて」

「地下迷宮です」


 ひとまず先人に倣って、あの場所は『地下迷宮』と呼ぶことに決まった。


「おじいさんは、何階まで探索済みなの?」

「わかりません。でも、たぶん、後ろの方のページにそれらしい数字が書いてあったので、たぶん六階まではあるみたいです」

「地下二階が、地下迷宮の一階なのがちょっとややこしいけどね」

「それで、あれの名前、明沙先輩は何か考えてるんですか?」

「影に人で、影人かげんちゅとか、どう?」

「ちょっとふざけすぎじゃないですか」

「いやあ、こういうのって、怖い名前をつけたらどんどん怖く感じるようになるから、間抜けなくらいがちょうどいいんだって」


 そういう佐藤くんはどうなのだ、と話を振ると少し考え込んで


漆黒の悪夢ブラックナイトメア、とか」

「え?」


 冗談で言っているのかと思えば、真顔のままだ。


「あとは、徘徊する黒き者ダークネスウォーカーとか、闇に囚われし罪人プリズナーとか」


 薄い顔立ちで賢そうな雰囲気なのに、どうやらネーミングセンスは壊滅的らしい。佐藤くんには、あまり期待しないようにしよう。


「かげんちゅって呼び方がだめなら、影人かげじんでいいんじゃないかな」

「その名前にやたらこだわりますね」

「うん。あれ、たぶん、人だと思うんだよね」

「はい?」


 切ると血を流すからには、生き物なのだろう。そして、手足が二本ずつあり、二足歩行をする、言語を操りコミュニケーションを試みる生き物なんて、私は人以外に知らない。


「いや、いくらなんでも、飛躍しすぎですって」

「じゃあ、他に何があるの?」

「それは……」


 人型の何か、なんて化物としては抽象的すぎるのだ。神話や伝説のなかの化物や妖怪は、もっと特徴的だ。そうでなければ、語り継ぐことができない。


 つまり、あれは『ただの人』なのではないか。


 影人は、階段を上りきったところから、さらに上の階に行こうとしていた。地上に帰りたがっていたということは、迷宮で生まれた存在ではなく、元は地上にいたと考えられる。


 地下迷宮の探索にのめり込み、帰れなくなった人間の成れの果てなのだ。


 ――倒さぬ限り帰れない


 あれを倒さない限り、私もいずれはあれになる。それだけはどうしても避けなければならない。


 黒い何か、影人が人であるという前提を共有できたところで、昨夜出した結論を告げる。


「人ってことは、たぶん殺せるよね?」

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