第8話 深夜の逃走
喉の渇きを癒す前にスマホの時刻を見る。17時ちょうど。昼寝どころの話ではない。とりあえず彼女の連絡をふいにしなくて良かったと安堵した。コンビニで適当に丼を温めてもらい、早めの夕食兼昼食……まさかの兼朝食を始める。
移動費がとんでもないことに気づいたからでもあるが、まだまだお金の余裕は盗まれていない限りあるつもりだ。靴の中に入れてみても良いかもしれない、と考えつく。少なくとも靴の中まで探すような盗人はいないだろう。そういう変態もいないで欲しい。
「元気?」
「今俺は長野。君は?」
「松阪よ、松阪牛!」
「それで金使ってないよな?」
「流石にね。それで私鉄乗って今は橿原って所、奈良県だよ奈良。遠くまで来たよ」
「オッケー、広島近辺はやめとけよ。そっから捜索するだろうさ」
「じゃあ九州も行かない方が良いね?」
「そうだな」
その後10円玉5枚分話して、電話は切れた。気づけば充電は20%で、通知は30を超えていた。要は一緒にいるのか、とか広島のどこにいるんだ、届けを出しただとか。
残念ながら私も彼女もそこにはいない。しかし未成年はやっぱり成年より警察は力を入れる。実際高校生ならある程度緩いが――それでも発見される可能性はぐっと高まる。
電車に乗り込んだ私は長野に向かう。今日はそこをねぐらにしようと思う。人口36万人、多分人に紛れることもできるだろう。まだ家出から2日も経っていない。
明日は迎えられるとしても明後日は? 明々後日は? 暇な時間はそんなことを自分にずっと問いかけさせる。着いたら早く眠ってしまおう。そうしなければおかしくなってしまいそうだから。
長野への到着を告げるアナウンスは、8時を少し過ぎてから鳴った。外に出ると20度で、少し心地よい風に吹かれながら私は歩き始める。夜間施錠だとか色々あって20分ほど歩き回った後公衆トイレをようやっと見つけた。
ネカフェなら快適なのだろうが、身分証の提示で色々詰んでしまうことだろう。私はまた個室に段ボールをひいて、どこかの水漏れが滴る中目を閉じた。
気が付いたのは何時だか、とかくその一定のリズム以外のそれで目を覚ました。誰か、いや複数の足音である。私は怖くなっていつでも出れる準備をしていた。こんな時間に来るのもそれこそ幽霊とか怪異の類だろう。
「うう、うう!」
「それ以上騒ぐなよ。うるせえな」
ここは男性用トイレで、私は扉の向こうの2人組を想像する。恐らくカップルではないだろう。私はドアを開ける用意をする。流石に小便器の方で事に及ぶことは無いだろう。
ここの公衆トイレは洗面台が少し曲がった形で、私は少しだけ扉を開き、その2人の姿を確認する。男性が前で、女性が後。私の個室は1番最初で、扉は外開き。良いことを思いついた。この暗闇の中なら鍵が開いていようがいまいが気にしないだろう。
例の男は女性を引きずり進んでいた。私はリュックを背負ってそのタイミング、ドアをバタンと開けた。
「ああ!」
男はドアに沿って真っ直ぐに倒れ込み、慣性の彼女は2歩で態勢を整えた。
「とりあえずそのガムテ外して。話は後だ」
私はペットボトルを取り出して、彼に気付け代わりの水をかけてあげた。
「悪いな。頭が悪いもんで……。死ぬなよ」
私は彼女と公衆トイレを駆け抜け、しばらく長野の街中をさまよう。替えの帽子を放置していたことに気づいたが戻るわけにもいかなかった。
「……ありがとう。ヤられるところだったわ」
「ここって治安悪いのか?」
「そうでもないわ、良い街。でも嫌な奴はどこにでもいるでしょ?」
「それはそうだ」
彼女は私の手を繋ぎ、私は驚いてやや乱暴にそれを外してしまった。
「あ、ごめん、嫌だった?」
「いや、ああ、『Don't like』って訳じゃなくて。ほら……俺ずっとトイレいたからさ」
「別に気にしないわ。特に臭いもしないし、したからってなんだって話だけど。そういえば、あなたは家出さん?」
「想像に任せるよ」
「ま、何か必要なのある? お礼にね。なんでもいいよ?」
「じゃあ、もし俺……正確にはもう1人の家出報道があったら真っ先に電話で警察に相談してくれよ。『広島で見た』ってさ」
「どういうこと?」
「それさえ言ってくれればいいんだ。言い訳は後で考えてくれ。もし報道で『広島』なんて言ったら博多にしてくれ」
「連絡先でも交換する?」
「いや、君に迷惑かけるのも面倒だ。それだけで良い」
私はそれだけして、歩き出そうとした。彼女はそんな私を掴む。
「何かあった?」
「ううん。先に見に行かない? 例のクソ野郎」
「ああ、それ? 俺がちょうどしようとしてた。まあ、死んではないさ。冬じゃねえし、俺の出身より暑いさ」
「どこなの?」
「A町。ああ、B市の隣さ。分かるかい? 高2だ。君は?」
「大1、タメの方が楽だからそれでいいよ。タバコは嫌い?」
「別に良いよ。これからいっぱいそういう場所に行くことになるだろうしさ」
「東京?」
彼女はそう言いながらタバコをライターにかざした。
「そうなるかな」
「あ、そのもう1人ってのはどこにいるの?」
「西日本、とだけ」
「どういう関係とか聞いていいの?」
「まあ友人さ。ちゃんと言えば長くなるけど、婚約者でそれを回避するために家出してる」
「へえ、それはそれで面白いわ。逆駆け落ちみたいなもん?」
「そう。……いや」
「聞きたいことがあるの?」
「そうなんだけどさ。失礼だな、って」
「あなたより2年ぐらいは先輩だから。それぐらい乗るわ」
「ダメだったらすぐ謝る。君はもしあのままヤられていたらどう思った? バカにしたい訳じゃない。ただ何が残るのか、それを知りたくて」
「したことないの?」
「無いわけじゃない。ただ、比較もできないから分かんないや」
「そっか。でも間違いなく言えることは……そんな高が知れてることなんかじゃないと思う。セックスって美しくて、それぐらい重いからさ」
「そっか」
「あれかな、公衆トイレ」
「多分。走ってたからあんまり見覚えは無いけど」
もし彼が死んでいたら私は殺人者になる。「死んで良い人間」の基準なんて私には分からないが、少なくとも私の中で彼は「死んで良い人間」だった。
少し複雑な洗面台を通過し、かけていた帽子を発見する。ここで間違いはなく、あの男はこの場所にはいない。恐らく自力で脱出したのだろう。
「どうだった?」
「自力で脱出してたみたい。特に血も無かった」
「ちょっと安心したわ。でも今日はどこで寝るの?」
「別にここで寝るよ」
「私の家来たら?」
「君が捕まるさ。……まだ家出の範疇だとは思うけどさ。俺は未成年だ」
「まあそうだろうね。私は成人なったばっかだから関係ないんだろうけど」
「……タバコは?」
「うるさいわね」
「悪い悪い。じゃあおやすみ」
私は公衆トイレの個室に戻りあの滴の中、一定のそのリズムは休息へと誘う。
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