最終話 モラトリアムのなかで

「ごめん」

「本当に、本当なのね……?」

「ごめん、ごめん……あいつも、元気」

「今どこにいるの? あの子も大丈夫なの? ううん、生きてて良かった。あなた!」

 電話先の母親はこちら側でも分かるぐらい声を上げて、私はどうにもできなくなって下を向く。


「この、このバカ息子……。あの子は今いるのか?」

「ごめん、別行動してた。ちゃんと連絡は」

「バカ! でも、でも、良かった、話し合いは後だ。警察の方にはこっちから言っておく」

 私は親に帰ってくるまで連絡はしないでとお願いし、少しして電話は切れた。ブランケットに濃淡ができる。


 それを増やして、増やして、気づけば朝を迎えていた。私はすぐに準備を整えて精算を済ませ、新宿駅に向かう。2日ちょっといたせいか、こんな場所でも愛着が沸いてしまって、田舎者みたいにキョロキョロと見まわしながら朝6時の駅へ向かう。


 途中、お風呂に入っていないのはどうか、と考えて手頃なスパ銭に入った。彼女と再会した時、私はなんて声を掛ければいいのだろうか。多分そんな資格があるとは思えない。ただ謝るというのはそれで変だし、けれども胸を張って彼女に会うことはできない。


 更衣室、私はドライヤーをかけて鏡をそっと見た。なんとなくやつれているように感じて、会っても認識してくれないような気がする。


 7時頃には比較的空いていた駅は一度大混雑したが、彼女からの連絡が来る頃にはまた静かになっていた。「休み」なんて言えるのは学生身分のお話で、8時は酷い混雑ようだった。その中にはきっと大きな会社勤めの連中もいて、この国の経済やら政治なんてものを動かしているのだろう。


「もしもし!」

「おはよ」

「もっと元気出しなよ。ま、そうなるか。私は今名古屋にいるんだよね」

「実はさ、親に電話したんだ。まあ『帰ってこい』って」

「じゃあ新幹線で帰りたいから、東京駅に集合にしない? 今から1時間半ぐらいすれば着くだろうし。ちょっと待ってて。えっと……。チケット取れたらもう1回電話するよ」


 「比較的」空いていたとはいえやはり夏休み、東京まで10数分の車内は当然座れるものでもなく、若干の疲弊とともに駅舎へとたどり着いた。スマホにまだ着信は来ていない。ホームで少しばかり放心していると彼女から連絡がやってきた。


「1時間後の東京行きに乗れることになったよ。何かお土産でも買う?」

「お土産ってなんだよ」

「確かに。忘れてたけど帰ったらボコボコにされるかもね。じゃあ、その詫び?」

「あはは、おっかしいわ……、あ」

「どうしたの?」

「うん。久しぶりにちゃんと笑えた気がしたんだ」

「何それ」


 電話口の彼女はまた口を綻ばしたように見えて、11時58分の彼女の到着を待つことにした。窓口に行き、例の新幹線のホーム番号を聞いて、入場券を買う。そして私は彼女とお互いの家族への、手土産兼詫び代のそれを探すためあの地下街を歩き始めた。


 正直何を買えばいいのか、特に彼女への親御さんに対して――全く分からない。変に安っぽいお菓子を買ってしまえばふざけた話だし、仰々しくてもそれはそれでバカにしてるような気もする。ただハンカチやらボールペンの「消えない物」を買うのも気は進まなかった。


 前提として許されるつもりは無い。別に手土産があろうとなかろうと彼女と一緒にいなかった件でボコボコになるのは確定だし、それをしたせいでさらに悪化するのは避けたいところだ。ただ、ビジネス的な話さえすれば、やっぱりそういうのは必要で、私たちの結婚がそんなものならば多分。


 でも私には昨日のその電話が、完全にビジネスの為には感じられなかった。だからこそただのお菓子で良いんじゃないか、と思った。定番のよくあるやつ、1時間ほどそこを歩いた結果はそれだった。


 今頃彼女は新幹線の中だろう。ほんの100年前なら半日がかりとかそういう話だった気がする。リニアなら40分少しで行ける、と駅の看板に書かれてあった。できるかどうかは知らないが、多分大学生の内には今の新幹線の料金では利かないだろう。


 新幹線のチケットを買うのを完全に忘れていた私は、急いで窓口で12時半頃出発のチケットを手に入れる。私にとっては保釈の出廷時刻とそう変わりない。それでも私たちは行かなければ、帰らなければ。


 11時半過ぎ。私はうだる暑さ、ホームのベンチで彼女を待っていた。彼女が何番の出口なのかは聞いていなかったせいで大変困る。私の地元は2両だから何も苦労しないが、そこはやっぱり田舎者なのだろう。


 到着アナウンスの声で私はいよいよ心臓の存在を強く感じる。これからどうなるかも、どうなるのかなどもはやどうでもいい。今の私には彼女を出迎えること、彼女が元気であることを願うことしかできないのだから。


 結論がこれではあまりにも単調だが、数学の定理は短いのが綺麗だし、きっとそんなものだろう。いや、そうでなくては。新幹線は少しだけ遅れてやってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二つの逃避行 かけふら @kakefura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画