第10話 非論理な夜
私は自分と同じ、それよりも幼いような女子に声を掛けられた。美人局だろうか、と私は疑った。実は遠くに仕事仲間か彼氏がいて、変に話したら何かをでっち上げる。だから私は彼女を無視して、どことも知れずに進もうとした。
「別に脅そうっとかそういうんじゃないよ、信用してさ。ここは初めてなんでしょ、どうせ」
「信用する意味が無い」
「まあ、それはね。でも、あなた何かしら困っていない?」
彼女は「見れば分かるよ」と言い、私は彼女に着いていくことにした。特段理由は無い、というよりとりあえずここを知らないことにはどうにもならないような気がしたからだ。
「あなたはどうして?」
「理由はないさ。一応自己紹介した方が良い?」
「別に。ここは、ほら。ネットが現実になったみたいなものだから」
「君、君呼びで良いかは分からないけれど、あんまりここは好きじゃない感じなの?」
「君呼びで良いよ。――普通に怖いよ、犯罪へのハードルがやけに低くて。私は都会出身じゃなくて……でも好きなのかもね。数年いるんだもん」
「数年? 良く捕まらなかったね」
「何回か連れ戻されたことあるよ。でも、どうせ実家は崩壊してるからさ」
私は彼女に幾分同情したのかもしれない。ネットの知り合いに対しての同様な感情を抱いたのだろうか、リアルなのか。私は思考の帰結が遅い方らしい。
「君は1人?」
「1人じゃないよ。普段は何人かとネカフェでさ。違法暮らし」
「そっか」
「あなたは? あ、ごめん。吸っていい?」
「良いよ。ずっと移動しながらの公衆トイレで寝てる」
「公衆トイレ? その割には私より清潔だけど。でも公衆トイレかー、ほとんど封鎖されてるんじゃない?」
「だから仕方なくネカフェ暮らししよって思ってるんだけど」
「だいたい満室じゃないかな。ほら、サツ連中がいるからみんな夜もここになんていやしない」
「そうだよね。ここ出ようかな」
「でも、ここしか無いんでしょ? どこに行こうにもここよりはそんな場所は無くて……それで」
「俺と君は会ったことある?」
私はその目の前の女性が一気に怖くなった。一般論をただ言っているだけなのだ、という論理的な理解が頭の中にこだまする。
「無いわよ、多分。そうだったら何億分の……凄い奇跡ね」
「でもそうやって結婚するんだ、凄いのかもな」
「あなたってそんなロマンチストなの?」
「田舎もんでな」
私は正直、彼女が自分にここまで親切に話しかけてきたのか分からなかった。やはり私を騙すためだろうか、それとも何か本当に私に思うことがあったのだろうか。例えば、彼女は私を彼女自身に重ねていたのかもしれない。
「君は俺に対して何をしたいの? お金を取りたいのか、それとも」
「……別にそこまであなたに対して何も思ってないよ。だから私の気まぐれぐらいに考えて」
「そうか。とりあえず寝床になりそうなのある?」
「どこかな。捕まるリスク考えたらネカフェの方が安全だけど、前言った通りだよ」
「そしたらカラオケとか?」
「ああ……かえってラブホの方が良いかも」
「ラブホか」
「どうせコロナのせいでお金には困ってるんだからさ。私も何回か使ったけど全然怪しまれなかった」
「じゃあちょっとそうしてみようかな」
「私が通報するなんて思わない?」
「そこ疑ってもしょうがないんだろ? 俺はもう信じるしか無いんだから」
「そこまで極端に考えなくても良いんじゃない? ここはネットみたいに嘘と本当が混じる場所よ」
彼女はそう言ってぐるりと一回りしてから、短くなったタバコをポイとゴミ箱に投げる。私はなんとなく彼女を幽霊みたいに思えた。掴みようが無くて、どこかに消えてしまいそうな可憐さ。満開の桜だけでなくて、散り際のそれに対しての感情に近いだろうか。
「明日。もし私に会いたければ、朝9時にここに来てよ。この郵便ポスト、覚えて?」
「朝9時?」
「何かご不満?」
「いや、ううん」
「じゃあそれで決まりね。さよなら」
「待って」
「何?」
「カップルじゃないとラブホ無理じゃない? 男1人ってのは」
「あらら、盲点。どうする? あなたが全部払うなら、一緒に入ろうか?」
「何かしら責任を背負うことになるよ? 俺といたら」
「別にいいよ、あなたは重要人物? 言い方は悪いけどただの家出人で、議員だとか大会社のボンボンでも無いんでしょ? それだったらシンプルに公衆トイレ泊まるって考えつかないわ」
「そうかもね」
「別にしたいならセックスすればいいし、それぐらい。……童貞?」
「セカンド」
「あらそう。じゃとりあえず、探さなきゃ……あ、こことかいいよ。有人だけど割古くて確認ザルだし」
「ありがとう、先輩がいると助かるわ」
「どうも」
不気味なほどスピーディーに受付を済ませ私と彼女が部屋に入ると、彼女は速攻でベッドに寝転んだ。
「久しぶりなの?」
「ネカフェのベッド付高いじゃん。ソファはソファできつくて」
私はそこにあった椅子に適当に座り、夜を明かすためだけのこの部屋で彼女と過ごしていた。彼女はベッドから少しだけ身体を起こし、タバコに火を点ける。
「ここにはコロナの前から?」
「途中から。SNS見て、憧れて……。他の人とどこまで変わらないよ」
多分この家出さえなければ、私は一生ここに関わることは無かったと思う。彼女にはすごく失礼だけどここに来るような歯車に乗っていたのかもしれない。そんな私と彼女は今閉じ込まれた部屋の中だ。
今ここで彼女とセックスなんてしたらどうなってしまうのだろう。性的な話だけをすれば私は興奮できるのだと思う。ただそれが「愛している」ということと何が違うのかは分からない。それは恐らくたくさんの経験をしなければ、ほとんどが分化されるものではないからなのだろう。
「タバコ美味しい?」
「ああ……別に嫌い。臭いじゃん」
「じゃあ何で吸うの?」
「分からない。……でも、分からないままでも良いんじゃない? 私もあなたもそこまで頭は良くないから。全てに理由を求めたらおかしくなるよ」
「そうか」
私は彼女のその考えに、大親友のそれに通ずるものを感じた。2人はまるっきり一緒なわけではない。同じ思考でも、環境だとか色々なものでその様相は変質していくのかもしれない。
「もう寝ていい?」
「良いよ、お休み。ああ……勝手に出て行って構わないから」
「そう」
彼女は歯磨きとか諸々をしてから、ベッドの右半分で身体を丸める。私はおもむろにニュース番組を点けて、充電器の充電を始めた。
「それあなたの報道?」
彼女は眠たげな声で私に言ってきた。
「違うよ。夏は家出が増えるのかな」
「そりゃ長期休みなんだし。冬は誰もしようとしないでしょ」
「確かに」
警察は多分私たちを探していることだろう。俄然怖くなる。彼女と話すことができるのは1日2回だけ。その間に捕まってしまえば私にはどうしようもできない。
それをお互い分かって今日まで旅してきたのに、それが一気に背中を伝う。彼女と彼女の姿が重なった。ちょうど立体視で分離した2つの像が戻るような、そんなものだ。
私はそれ以上手持ち無沙汰で、彼女と背中合わせに眠る。まだまだ恐れなくて良い日に公衆トイレで、そろそろ警察の眼が出てくる頃に、成り行きとはいえリスキーなラブホを選択していた。
そう考えれば私もあまり論理的に行動できていないことに気づく。もう少しだけ、本当に少しだけ自由に生きてみてもいいのかもしれない、と思った。
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