第11話 喧騒の孤独
ホテルのベッドでは上手く眠れない性分である。今回も今回とて、4時に起きてしまった。私がベッドボードまで後退すると、彼女はまだその場所に留まっている。なんとなく彼女を置いてラブホを出るのは申し訳ない気がして、ただ外の新宿を眺めることしかできなかった。
「目覚め早いのね」
「眠れないだけだよ」
「今から私シャワー浴びるけど、その前にセックスする?」
「しないよ。別にラブホだからってわざわざする必要はないだろ」
「まあ、お掃除さんにはそっちの方が楽か」
彼女はそのまま一服した後、風呂場に向かっていく。新宿の街も太陽が昇り、ある程度「健全」なものになっていくのが見えた。
彼女と交代してシャワーを浴び終えた私はベッドに沈み込む。やることは全くないが、かといってクソ暑い状況で外に出る気も起きない。どうせチェックアウトまで時間はまだある。最悪延長してここをしばらくの拠点にしても良いかもしれないだろう、と考えた。
「君は出て行かないの?」
「理由が無いじゃん。外暑いし」
「考えることは一緒だな」
「残念?」
「分からない」
「じゃあいいじゃん。あ、でもこのラブホ途中で出るの禁止だけど大丈夫?」
「あ、そうなの? ならやっぱチェックアウトしようか。君はお腹空くの平気?」
「ODやってれば2日は食べなくても大丈夫」
「それは大丈夫って言わないよ」
「あなたもやってみる?」
「そんなの聞いたらやんないよ」
「でもセックスの時だけはやったことないな。頭がおかしくなるってね」
「そういう人がいるの?」
「あなただってセックスやったことあるでしょ? あの快楽の次元の1つ上した感じ」
「ああ、それはマズいね」
「そりゃシンプルに依存症なるから。あなたにもそこまでは勧めないよ」
「どこまでする気だったんだ」
「一緒に酒飲むぐらいまではしても良かったかもね」
「仲良くはないだろ。共生関係」
「ま、それはそうね。今……7時? もう一度寝て良い? てか寝る」
私は椅子に腰かけ、壁にもたれかかる。壁の隣にはどんな関係かは知らないがセックスしているカップルの声が聞こえる。ある程度防音構造のはずだが頭はおかしくなっていく。本来私たちもセックスするのだから、気にしやしないのに、生憎私と彼女は別の関係だ。
それでも私は気分を落ち着かせようとして、耳栓を付けた。これも今回の為に用意したものである。それをして多少楽にはなるが、結局のところ隣でセックスしているという事実は変わらないわけだが。
「あー死ぬ」
隣の声に彼女は半分キレたような声色で、ベッドの縁に座って私の方を見る。
「あれ、耳栓あるの? 余りある?」
「あげるよ」
「それにしてもイラつく……まあ私たちのせいか。逆になんで夜の時何も思わなかったんだろ」
「疲れてたからだよ、きっと」
「そうかもね」
彼女はデジタル時計とにらめっこして、その時間経過にため息をついた。
「まあ、あなたに泊めてもらってんだからしょうがないか。ねえ、めっちゃ暇だからやっぱセックスしない? 今から2時間したらチェックアウトでしょ? ほら間に合う」
「しないよ」
「分かってたけど、暇じゃん」
「スマホでもいじってたら?」
彼女はスマホという存在そのものを今さっき思い出したかのように、ポケットからそれを取り出して没頭していた。私は少ない荷物をまとめその時を待つ。
「今から電話するからちょっと黙ってて」
「え、何か友達? 恋人?」
「友達。でも変に声出されると面倒だから……もしもし」
「あ、もしもし。東京はどう?」
「あんま空気は良くないよ。そっちは今どこ?」
「大阪。とりあえず今日のとこはここら辺で粘る」
「ああ。俺もしばらくは東京」
「了解」
電話を切り終えると彼女は耳栓を外し、部屋を周って荷物の確認をしていた。
「あら、終わった? あと30分で期限でしょ? そろそろ出なきゃ」
「分かってるさ」
私と彼女は部屋を出て、チェックアウトを済ませる。
「ねえ、もしまた私に会いたいなら、夜6時ここのポスト来てよ。もし来なかったらさよなら。別に会えないことは無いと思うよ。ただ話しかけやしないし」
「分かった。じゃあね」
彼女はパッという擬音が付くようにフラフラ歩いてから角に消えて行った。
昼の新宿は夜よりわりかし人がいて、彼女が言っていたことを思い出した。近頃は警察の締め付けが強くて、夜はみんなネカフェなりホテルにいるそうだ。つまりみんな「通い」で、彼女が初めて来た時よりは随分変化しているという。ビルの目の前で缶を開けて過ごすことは既に過去のものになっているらしい。
特に何をせずとも勝手に時間は流れていく。それが良いこともあれば悪いこともある。今の私にとって前者か後者かは分からなかったが、私にそれは耐えられるものだった。ただ、もうどこにももう移動ができないことは辛い。
交通網自体は存在する、が前彼女が言ったようにどこに行く気も起きなかった。23区内? 横浜? 埼玉? 千葉? どこに行ってもここより捕まるような気がする。凄く高い山に登って、そしてわざわざ危険を冒して少し降り、それより低い山に登れるだろうか。
昼になり、東京のクソ暑いそれに中てられる。全面敷かれたコンクリート、林立するビル街に反射して、どの都市よりも殺す気だ。なぜこれで他の若者は平気で歩いているのだろう。薬でもやっておかしくなっていなきゃ、まともに説明はつかない。
彼女の話では引くぐらい安くOD用のそれが売っている所があるそうだ。風邪薬とかにはオピオイド系のやつが入っていて、たくさん服用すれば胃をおかしくする代わりに合法でそんな効果が得られる。
私はやろうとは思いたくないが、「やれ」と言われたらその道に進んでしまうのだろう。そこまで人間は「善と悪の扉」みたいな区切りは存在しないみたいである。それよりはすごくグラデーションだ。
私は無為に、十数キロ平方の街を歩き回る。9時と5時半、追加したとしても6時、私にはそれだけしかスケジュールが無い。学生生活の名残なのか、そんな焦燥感があった。だからといってここにいる人と一緒に犯罪で予定を埋めるのはどうにも気が済まない。いくら時間を潰すのが上手くなっても耐えられないものがあった。
まだ何のご飯を摂っていないことを思い出し、コンビニで弁当を買う。ラブホは途中退出ができないことは知らなかった。そこはやっぱり先達がいないとどうしようもないところである。今後泊まるかどうかは分からないが、その時は食べ物でも持参しようと思った。
フラフラ歩き着いた先は元の駅である。理由は特に無いが涼めることは確かだ。照り照りの太陽は西からまだまだ全力で輝いている。ここから秋、冬になって東京でさえ1桁台に近づくことが信じられるだろうか。人間は相対的な生き物だというから四季は美しくとも残酷な物なのかもしれない。
時刻は3時。私は新宿駅の空調の中、ぐでっと何をするわけでも無くこの時間を過ごしていた。この時間が戻ってくることは無いことを知っているのに、それをどうにも辞められない。もともと人類の営みとして正しいのはどちらなのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます