第12話 幽霊の受肉

 今頃警察はどこにいるのだろうか。できればはやく報道して、そいつらの捜索範囲を知りたくてニュースアプリを見ているのだがそんなものは一切無い。地域ページを見ても何の反応も無いのだ。


 もしかすれば警察には報道しないように頼んでいて、なんて考えていたが別に私も彼女も故郷以外で知られている、なんていうのは幻想だ。現実の所はあまり事件性が無いと判断しているからだろう。


 5時半。彼女の連絡で2時間半も過ごしていたことに気づく。

「もしもし」

「こんばんは~」

「なんか嬉しいことでもあった?」

「まあ、秘密だけど。そっちはどう?」

「ここまで何もしないのは久しぶりだよ。……で、薬物とかじゃないよな?」

「そういうわけじゃないよ。ちょっとだけ嬉しいことがあるだけ」

「そうか」


 私は少しだけ彼女のことを詮索しかけてしまった。彼女が好きな訳ではないし、ほとんどを知っているはずなのに。私は彼女のことを全て知っていると何か誤解でもしていたのだろうか。


 いや、この数日で何かが変わったのだ。私も私で色んなことを話してはいない。長野での公衆トイレ事件、新宿での出会い。数日レベルの互いに独立した記憶は、私と彼女を「別人」へと仕立て上げたのだろうか。


「新宿は楽しい?」

「どこにも行き場が無いよ。心的な結界が張られているような、そんな感じ」

「何言ってるかちょっと分かんないけど……」

「まあ俺のことはどうでも良いよ。君の方は?」

「大阪グルグル回ってるよ。流石に西成は行かないけど」

「それでいいと思うよ。西成はやっぱ危ないから」

「ま、ここはここで治安悪そうだよ。ヤクザみたいなやつとか、キャッチとかね」


 電話は切れる。私はまたフラフラと歩き始めた。彼女と会うためである。あの時できた縁をなぜか離したくはなかった。というより本当に2度と彼女に会えないような気がしたからだ。


 もうすべての彼女とのその糸が6時を過ぎた途端、それもひどく丁寧に切り離される。この小さな街で彼女を探そうと思えば、多分見つけられるのに。それはなぜか絶対無理、というような気がした。


「どれだけ会いたかったの?」

「分かんない。それでも良いと思った、ダメかい?」

「良いわ。どうしたい?」

「もうちょっとだけ、ここのことを教えてほしい。ここ歩きながらさ」

「良いよ」


 街には何色ものライト。それぞれが群れを作り、大きな河のように1つの何かに向かうように見える。彼女はそんなものを一切気にしないようにタバコを吸い始めた。一瞬その煙に中てられて咳をしてしまった。


「あら、失礼」

「タバコ吸えば変わるかな」

「私も咳するから意味ないよ。……税金は美味しいわ」

「は?」


「知ってた? たばこって二重課税されててさ。で、半分……60%ぐらいはそれだよ」

「納税依存症ってこと?」

「逆に人を狂わせるだけならめっちゃ安いってことじゃない? ま、もう止められないけれど」


 彼女はまたほわあ、と白い雲を残していく。

「パパ活ってやっぱしてるの?」

「身体無しじゃもう稼げないよ。割り勘でネカフェ代払うのも援交してようやく」

「じゃあ悪かったね。援交なんて夜が一番でしょ?」

「あなたが払ってくれるわけでしょ? ならいいや、てかそのお金どうやって調達してるの?」

「俺の貯金無理やり引き出したからね」


「待って、あなたも金持ち?」

「そりゃあ、君に比べたら貧乏人だろうけど」

「そこは追及しないけど、でも、今は夏だから。客にはあんまり困んないんだ。たまに外国人もいるよ」

「買春、ああ買い春旅行?」

「まあ、今は遠征に行ってる人もいるらしいし売り春もね。どうせ何十年前も、名を変え形を変え同じことやってたでしょ」

「人はそんな変わんない?」

「4、5世代じゃあね。60年代の曲なんて、意外と知ってるかも」


 彼女はそういってすっかり短くなったタバコをゴミ箱に突っ込む。彼女はこの街では行儀が良い、というのは失礼だが幾分丁寧な人だと思う。彼女は彼女自身がこの世にいた証拠を許さないような、そんな気がしていたのだが私の考えすぎだった。


「あのラブホ今日も使おうか?」

「流石に変じゃない? 他にあったかな……」

「無いなら別に野宿するけれど」

「普通に捕まるよ。今じゃ夜ほとんど出歩けないんだし。空いてるかは分かんないけどネカフェ探してみる?」

「助かる」


 私は彼女がアタリを付けたネカフェを巡り、まさかの1軒目で少し広めの部屋を確保できた。もはや警察に突き出すのではないかと心配なのだが、この店はここの若い子の御用達で、深夜も全然注意しないそうだ。


 私は一瞬パソコンで家出捜索状況を調べようと思ったが、そんなことをしてしまえばネカフェに検索履歴が載ってしまいそうでやめる。ネカフェはほとんど禁煙室で、私たちの部屋もそうだったせいで彼女はいよいよ手持ち無沙汰のようであった。


「喫煙室にしとけばよかったね。ごめん」

「別にいいわ。変に年齢疑われるよりマシ」

 彼女はそう言ってソファに身体を預ける。私も結局の所こういう場所を楽しもうとは一切思っていないせいで、何の注文もせずそのままブランケットを半分ずつにして寝ることにした。


「なんか、恋人みたい」

「冗談でも勘弁してくれ」

「でも、その女の子とは恋人じゃないんでしょ? 私があなたと付き合うことはダメ?」

「何を言いたいんだ」


「……ただのジョーク。でもセックスは嫌?」

「嫌というより病気が怖い」

「私が持ってるって?」

「それは知らないけど。俺は持ちたくないね」

「じゃあ例えば……挿入未満なら?」


 彼女はブランケットから手を出して、私の方にそれを伸ばす。

「官能小説とか、そんなビデオみたいな展開はお断りだ」

「男の子って、こういうの好きなんじゃないの?」

「残念だが主語がでかい」

 その言葉と仕草で、彼女と彼女の姿がまた重なる。彼女は私の身体に触れて私を見つめた。その時間が少し続いた後、彼女はもう1つの手で私の腕を掴む。


「何か?」

「私の身体、触ってみなよ。アレルジー?」

 彼女は私を何か破滅にでも誘うような、気取った発音。今自分に湧いてくるその行動は理性か、はたまたか本能か。私は答えを求めるのをやめて、彼女のその言葉に応えることにした。

「どう?」

「言葉にはできないけど……」


 少しだけ暖かいその肌が、私の頭を直接殴っていく。気持ちいい、とかそういうのではなくて、無理やり文字として起こすとするなら、脳が別の情報をシャットアウトするような感覚。私と彼女はブランケットの中、そんな思考と行動を繰り返す。


 互いの感情がある程度収まった後、デジタル時計は1時を示していた。

「もう眠ろっか?」

「うん。できれば朝、9時には起こして」

「例の女の子?」

「まあ、そう。彼女は電話を持ってないから」

「そんな人がいるの?」

「まあ、色々あってね。じゃあお休み」

「お休み」


 私と彼女は、昨日と違って天井を眺めながら眠る。仮に連れ戻されて彼女と話すことがあった時、今日のことを正直に話すことはできるだろうか。初めて彼女には言えないような秘密ができた。


 彼女と私は友人でしかなくて、だから秘密ができること自体悪いことでも無いのに、それが酷く彼女に悪い気がする。


 当然の如くソファではあんまり眠れなくて、結局7時には目を覚ました。

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