第3話 空論実化

「いや、あなたのお母さんのご飯やっぱ美味しいわ。お金払おうかしら」

「ぜひそうしてくれ。もう俺が君の家に行くことはなかなか無いんだし」

「どうして? 来てくれても全然構わないし、親は歓迎してるけど」

「駅近いのこっちじゃん。わざわざ行く気になれんわ」


「今から自転車で行かなきゃいけない私の都合考えたら?」

「でも飯美味いんだろ? お互い様だ」

「うん? 私の家のご飯が美味しくないってこと?」

「そういうことじゃない」


「冗談よ。――しかし簡単に許可取れたわね」

「何回もこうやって一緒に旅してるから」

「成功したら、2度と家に帰れないのかな」

「普通の駆け落ちとかそうだろうけどね、俺らは……」


 少なくとも私は家に帰りたくないわけではないのである。それでも私は彼女と家庭を築くことにイマイチ実感が持てないのだ。彼女とは保育園の頃からの付き合いで、互いのことはほとんど知っている。だからその上、もしくは下の関係という感覚はまるで無いのだろう。


「だからさ、1度だけでもあなたとした方が良いのかな、なんて。まあ、私の処女はそこまで安くないけど」

「そんなことばかり言うなって。というか東京やら大阪で襲われるかもしれないんだから」

「だからよ」

「だから?」

「見ず知らずの人に犯されるよりも、色々分かってくれるあなたにしてほしいってこと」

 私はそれに答えを出せず、そんな私と彼女を反射する窓の向こうに、いくつかの星々が見えた。


 一般論かどうかは分からないが処女喪失は童貞のそれと重みがまるで違う、という。確かに童貞を卒業したところで身体にどうこうあるわけではないが、処女はそうではない。だからかセックスに対する価値観の相違もあるんだと思う。


 私には彼女の発言に少しだけ驚く。でも、納得もできた。別に私はできた人間じゃないことは彼女も知っている。けれども不幸にさせないという彼女の信頼に応えられると信じていた。


「分かったけど、でも誰もいない日な。でもそれで俺ら愛のないセックスするってことでしょ」

「愛のあるセックスなんてだいたいは幻想なんじゃないの? ……したことはないけどさ」

 彼女はそんなことを言い、そして私の部屋を出て行く。さっきの彼女の言葉が冗談にはなんとなく思えなかった。その差異は微妙なものだけれど、私にはそう感じられた。私は財布を開けて、少しだけ彼女のことを考える。


 次の日、終業式を終えた私たちはB市郊外のとある大型ショッピングモールを歩いていた。

「何か買った方が良い?」

「そうだね、しばらくの下着とか……リュックも安ければ新調しようかな」


 彼女はそう言って長財布を覗く。その中には万札が2枚ぐらいあった。まだ世帯レベルには関東関西の連中にしか来ていないと思っていたが、A町の中にあったようである。

「それ1万円? 持ってるんだ」

「許可貰った時にさ。合計5枚で、後は貯金があるだろって」


 彼女の家はもれなく金持ちである。何の事業をしているかは知らないが、とにかく手広くやっている。彼女の自宅は3階建てだ。都会の3階建てではない。別に家族4人で2階もあれば済むようなA町の地価で、3階である。


 流石にお手伝いさんがいるとかではないが、屋敷と同じくらいの広さのお庭があってすっかり「御殿」扱いだった。


「後は何か必要なのある? ああ、ピルとか。でもあれ処方箋必要だしな……」

「できればアフターもあれば良いんだけど、大変だ。そりゃ賛否両論あるんだろうけど、買えたらいいのにね」

「まあ、そうね。襲われないのが1番だけど。堕胎もやっぱきついしさ。あなたは将来そうやって軽く扱わないでよ?」

「分かってる、なんて大きなことは言わないけれど、君を裏切らないようにはするさ」


 9割方調達を済ませた私たちはそこのフードコートで昼食を摂っていた。

「来年の私たちはてっきり勉強まみれって思ってたけど、人生って結構面白いのかもね」

「レールから外れることが?」

「それも含めてね。でもそれ以上に……まあ、良いわ。今言うと鬼が笑いそうね」


 彼女は2人分の空いたグラスに水を注いで持ってきた。

「どっちだと思う? 間違ったら間接キスだけど」

「俺はそういうの気にしないって分かってるだろ。どっちでもいい」

「ちっ、赤い顔でも見れると思ったけど」

 彼女は不服そうにその左の方を私に差し出した。


「とりあえず……東海道のどっかで途中下車するじゃん、であなたはどこ行くつもり?」

「岐阜辺りから北上して、関西とかまで行ければいいな」

「私は東京行こうかな、私ぐらいの子たくさんいるんでしょ?」

「まあ、そうっちゃそうだけど、危険だぜ? 俺らは田舎者だし、騙されるかも」

「最初から危険なことしてる自覚ある?」

「そういやそうか」


 私と彼女は迷惑にならない程度に笑う。今からすることへの実感があまり湧かなかったこと、どこか楽観視していたのだろう。そうやって私はまた神になったような視点でそんなことを考えた。

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