第6話 ようこそ一人

「めっちゃ緊張してるじゃん」

「悪いな」

「機嫌よくしなよ。後はやるしかないじゃん」

「なるようになる、って?」

「そうそう! あなたはあなたの、私は私のことを気負うから……何かあったら助けて欲しいっちゃそうだけど」


 彼女の言葉は楽観だったけど、けれども今私と彼女がすべきことを的確に言っているような気がした。結局私と彼女ごときに、そこまで大層なことはできないのだから。あるがままを受け入れる、そんな言葉が逃げる口実な気がしたけども、私はそれを諳んじた。


 その「あるがまま」は作られたものかもしれない。それでも点字ブロックの1m後ろで彼女と待つ私にとっては救いだったのである。新幹線は有情にも無情にもやってきた。


「ずっと立ち乗りじゃなきゃ良いけどね」

「そこは運に任せるしかないよ」

 とりあえず席を確保した私と彼女は、かえって体調を崩しそうなレベルな空調の中、私は最後の決断をするその場所まで待つことしかできなかった。


 彼女もそれを分かっているのか、次第と口数は少なくなる。時間というのは人の思い通りにはならないらしい。時間は人とは関係なしにあるのかもしれない、と思った。


 1時間少し経って「静岡」のコールがなされる。私は迷いとか、覚悟とかには関係なしに自然と立ち上がる準備をしていた。それの原理は分からない。

「荷物は大丈夫? 忘れ物あっても取りに行けないよ」

「それまでだよ。それよりも話したやり方覚えてる?」

「とりあえず大丈夫。充電4%だし。何かあったら電話するよ」

「正直君の方が心配だけど」

「『あるがまま』よ。あるがまま」


 喜怒哀楽、プラスその絵の具が混ざったみたいな、たくさんの感情の声が響くホームまでの廊下を私は歩き始めた。彼女が私の暗誦を覚えていたかは定かでない。それでも私は勝負に向かう人みたいに手をバンバンと叩き、ホームに降りた。


 静岡。適当にスマホを開くと33度という気温である。熊谷やら多治見はこれから8度上の瞬間があるという。全く頭がおかしくなりそうだ。しかも涼しい場所の中で33度ということなら、コンクリートの照り返しの中は40度ぐらいだろうか。


 これではスマホも熱中症にかかってしまいそうだ。私は駅の中とはいえとりあえずスマホをリュックの中、ペットボトルの傍に突っ込む。


 日本の指名手配犯の心理は概ね西向きである。なぜかといえば、北に行ったところで北海道には渡れないし、身を隠せる大都市はそれこそ仙台ぐらいだ。


 けれども西に行けば名古屋、大阪、京都、広島、福岡みたいに多くの大都市を擁しているし、小さな島で身を隠すこともできるだろう。だから多くが西に向かう。私も東北の都市の無さは知っているから、とても逆張りしようとは思えなかった。


 けれども彼女と鉢合わせないように、最終的に北、それも東へ向かうことに決めた。第一、私も彼女は今の所は犯罪者ではない。要するに一般人がそれを深くは認知できないということである。長ければ2日、少なくとも今夜分は時間を稼げるはずだ。


 私はとりあえず御殿場の方まで北上することに決めた。そこまで行ったからとはいえ逃げ切れる保証は全く無いが、それでも何とかなると信じるしかない。


 熱海行きのつり革に私は両手で掴む。こんなところで痴漢冤罪をかけられてしまえば笑いものどころの話ではない。


 5時半、私は混雑する駅の少し外で電話を待っていた。今の時間なら多分彼女は名古屋に降りていることだろう。彼女はこの時間帯、どこかの公衆電話から私の携帯に向かって掛けることになっている。理由はなんとなくで、どうでもいいことだ。


「あ、もしもし? 元気?」

「とりあえず。君の方まず教えてよ、作戦とかあるんだし」

「はいはい、せっかちね。とりあえず今名古屋よ。人が多いし、息も正直詰まるけど仕方ないわね。これ以上動いても嫌な予感するし、今日はここまでかな」


 彼女の10円玉を筐体に数枚ねじ込む音が聞こえる。

「あ、あとちゃんとスマホは放置したよ。今頃は多分……博多で元気に信号出してる。で、あなたは?」

「富士。新幹線から逆戻りみたいでバカになるわ。とりあえず山梨まで北上して最後は東京かな」

「マジ? 私は京都とか福井あたりに行こうかなって。日本海沿いに山口まで行くかも」

「それは辞めた方が良いよ。やっぱり人が多い所じゃないと怪しまれる」

「身体でも売れば黙ってくれるかしら?」

「辞めなさい」


 私は少しだけ語気を強くして、強い西日に目を背けた。

「ごめんごめん。じゃあ今の所報告はそんなもん? 何もないなら切っちゃうよ」

「うん。無事で、あとどこ泊まるか考えておきなよ?」

「オッケー」


 電話が切られる。私は電源を落として、ふと視線を変えると当然のごとくか富士山が見えた。日本一の高さの山である。その壮麗さとかの話は外部の人間だから黙っておくとして、やはり数十秒、もしかすれば分単位で立ち止まって見てしまった。


 昔の人が身近な山をこの富士になぞらえたくなる気持ちが分かる。この富士に応援してほしいとは思わなかったけど、少しだけ元気を貰えたような気がした。まだ始まってから1日すらも経っていないのだから、と私は歩き始めた。


 当然の如くあてはない。9時を過ぎればいよいよ警察の取り締まりが厳しくなるだろう。列車に乗り、怪しまれない都市のギリギリである富士宮に降りた。私はとりあえずスーパーで買ったパンを食べる。


 時刻は既に8時半を迎え、私は今日1日分のねぐらを探しに段ボールを貰ってから歩き始める。その中で自然と公衆トイレが目に入った。


 深夜施錠やら酷く臭いというわけでもなく、私は安心する。古びた、昔の分割されたタイルでないことがより一層私を安心させた。


 私は個室に閉じこもり、段ボールを敷いてその時間を待つ。駅前のスパ銭は24時間だったから朝5時ぐらいには出発しようと考えた。この場所で眠れるかどうかは私の強さで左右されている。


 正直言って辛い。彼女は今何をしているのだろうか。私が変に真面目なだけで名古屋で遊んでいるのかもしれない。当然のごとく眠れない私はそこにうずくまることしかできない。床と壁に段ボールを敷いて三角座りをする。


 不審者っぽいがある程度段ボールを貰ってよかった。ポトリ、ポトリと水漏れしているのか滴の音が聞こえる。私のA町では今までゴキブリなんぞを見たことが無いが、私が動けない状態で迫られたら発狂するだろう。正直A町にもいるカメムシの方がよっぽど脅威だけれども。


 気づけば公衆トイレに灯りがついていた。

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