第10話 大切な仲間たち

「いらっしゃい。お客さんが来ていたというのに、ワタルに任せっきりですまなかったね」

 マスターが出てきてカウンターの中に入った。慣れた手つきでコーヒー豆を弾き始めると香ばしい匂いがあたりに広がり、あたしをリラックスさせる。

 マスターは見た目四十前後くらいの中肉中背の男性で、瞳の優しい親しみやすそうな人だ。近くに住む大学生にもたくさん常連さんがいて、きっと仲良しなんだろうな。


「マスター、さっきは悪かったよ、店内で大声出しちゃって……。ごめんなさい」

 得能くんは少し肩を落とし、マスターに軽く頭を下げた。

「気にするなよ。今は開店休業みたいな時間帯だし、ライブが始まったらもっと大きな音が出るしね」

 優しい笑顔でそう答えながら、マスターは慣れた手つきでサイフォンにコーヒー豆と水を入れ、炎を灯す。

 コーヒーが沸くまでの時間を利用して、トールグラスに氷を入れ、あたしと得能くんの前に置いた。そして出来上がったコーヒーをグラスに流し込み、ガムシロップ、フレッシュ、ストローも出してくれた。


「お待ち遠さま。これはワタルから。ふたりに差し入れだって」

「めずらしい。おれだけだったら、コーヒーなんて出してくれないのに」

 得能くんは頬杖をついて、やや不満げな声で答えた。

「お嬢さんがいるからだよ。哲哉たちの大事なお客さまだからね」

 え? もしかしてお嬢さんって、あたしのこと?

 やだ、そんなふうに呼ばれたことなんてないから、照れちゃうよ。


「本番直前に少し話をするから、あまり長話をしないように。ワタルからの伝言だよ」

 手早く洗い物を済ませると、マスターは軽く片手をあげて「じゃ」と挨拶して控室にきえた。

「あのマスターってさ、帰国子女で学生時代はアメリカでバンドやっていたんだって。それで音楽に詳しいから、おれたちのいいアドバイザーになってくれるんだよ」  そう言いながら得能くんは、コーヒーにシロップとミルクを入れた。

 あたしも同じようにストローでかき混ぜる。氷がグラスに当たり、カラカラと涼しげな音をたてた。


 マスターとも親しそうな得能くん。さっき少しだけ姿を見せたバンドの仲間たち。そしてワタルさん。みんな厳しくも優しい目で見守っているのね。

 ついさっきは叱られてしょんぼりしたのに、今はもうわだかまりがなくなり、いい雰囲気が戻っている。

 得能くんたちを見ていると、本当に楽しそうだ。気心の知れた仲間に囲まれて、とてものびのびしている。

 学校でも結構好きにやっていると思っていたけど、今の方がずっとリラックスしているね。


「得能くん、あなたって友達に恵まれているのね」

「なんだよ、急に」

「みんないい人ばかりじゃない。フレンドリーで優しくて。初対面なのに、ワタルさんには数学まで教えてもらっちゃった」

「西田さん、本当にわかってくれたんだな。嬉しいよ。でもひとつだけ違うことがある。ワタルはフレンドリーっていうよりも、ただのお節介なんだよ」

「そうなのかな? あたしはそんなふうに感じられなかったけど」

 初対面のあたしより、長いつきあいの得能くんのいう方が正しいんだろうけど、それだけでもない気がする。


「でもワタルの教え方がわかりやすいのは認める。本当におれは助けられているよ。教育学部は正しい選択だろ?」

 うんうん! ワタルさんが数学の先生だったらよかったな。

 解りやすいし優しいし、もっと勉強しようって意欲が出てくる。

 水野先生も悪くはないけど、ワタルさんが先生だったらいいなってあたしは思った。


「けどさ、ワタルは多分、教師にはならないよ」

「ええ、どうして? いい先生になれるのに、もったいない」

 あたしは理由を知りたかったんだけど、得能くんは頬杖をついたまま微笑むだけで答えてくれない。

 考えてみたら初対面の人に話すことではないか。仕方がないので、他にも知りたいことを訊こう。


「得能くんはどうしてバンド始めたの? さっきワタルさんに仕組まれたって言っていたけど」

「西田さんって、知りたがりなんだな。でもそんなふうにうちのバンドに興味を持ってくれてうれしいよ。もっともバンドじゃなくて、ワタルに興味があるようにも見えるのは、おれの気のせいかな?」

 途端に得能くんの笑みがちょっとだけ小悪魔の微笑みに変わる。


「え、そ、そう? そんなつもりはないのよ」

 あれ。あれれ? なんだか顔が火照ってきた。

 やだな、得能くんのせいで意識しちゃったじゃない。

「わかった。質問に答えるよ」

 しかたがないなって顔をしたあとで、得能くんは何かを思うように遠い目をした。

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