第6話 閉塞感と開放感(二)

 それにしても大学は開放的だ。関係者以外でも自由に出入りできるなんて、魅力的だ。

 あたしはキャンパスを散策し、生協で記念グッズを買った。父さんにお土産だ。懐かしがってくれるといいな。

 一通りまわったあとでベンチに座り、母さんが作ってくれたサンドイッチを食べる。ひとりはちょっぴり寂しいけれど、大学生気分がなんとなく味わえて、少しくすぐったい。


 日曜日でも学生は多くみられる。研究室の実験に曜日は関係ないのかもしれない。それとも図書館で勉強しているのかな。案外サークル活動で来ていたりしてね。

 学生以外にも観光客だろうか、家族連れの姿もある。子供が広いキャンパスでキャッチボールをしている。高校は部外者が入れないが、大学はだれもがフリーパスで入れるんだね。


 できるなら、ここの学生になって歩きたい。でも今のあたしにはあと一歩届かない。


 お昼ご飯もすませたし、そろそろ図書館に行くか。

 実のところ今になって勉強が気になり始めている。

 得能くんとちがい、あたしの性格ではサボるって絶対にできない。というより遊んでいて優秀な成績を取る自信がない。悔しいけれど、頭の出来が根本的にちがう。


 そうだ。得能くんといえば、今ごろ何をしているんだろう。抜けられない用事はもう終わったのかな。もっともあたしには関係ない話だ。

 この大事なときにサボって、あとで泣くことになればいいんだ。

 泣くことに……。


 いやだ。あたしって、何を考えているの。人の不幸を望むなんて。

 いつも笑顔を絶やさない得能くん。昨日みたいに先生に呼び出されても、へこむことなく前向きな態度でのぞんでいる。そんな彼の泣き顔を想像して気晴らししているなんて。


 でも得能くんのせいで余計な仕事を先生に押しつけられたのも事実だ。

 もちろんそれは先生が悪くて、得能くんには非がない。解っているけれど、彼さえ真面目に出席していたら、あたしはこんな面倒に巻き込まれなかった。

 先生も得能くんも、どうしてあたしの平穏を乱そうとするんだろう。


 自分の中にある嫌な部分に気づいたあたしは、憂鬱(ゆううつ)な気分を抱えつつ、何かから逃げるように駅に向かった。

 そのとき遠くで雷鳴がした。見上げると青空は消え、朝のいい天気が嘘みたいに黒い雲がかかっている。急がないと雨に降られてしまう。駅まで走らなくちゃ。


 でもそんな余裕はなく、あっという間に空が泣き出した。

 夏の通り雨だったら、短時間で止むはずだ。あたしはすぐそばにある喫茶店の軒下に避難した。一息ついてハンカチを取り出し、顔や鞄を拭きながら空を見上げる。一面暗く厚い雲におおわれて、すぐに止みそうにない。

 鞄に入れたままの折り畳み傘を捜したが、見つからない。お弁当が入らなくて出したんだった。

 しかたがない。小降りになるまでここで待ってよう。


 雨音を聞きながら、あたしは目の前の街並を眺めていた。


 夏の太陽に焼かれたアスファルトが少しずつ冷やされて、焼けた地面のぬれる匂いが懐かしい記憶を呼び起こす。

 小さいころは、夏になると庭で水遊びした。ホースにシャワーヘッドをつけて霧状にしてまくと、庭のあちこちに小さな虹ができる。それが楽しくてたくさん水をまき、いくつもの虹を作る。

 空にかかる虹が恋しくなったとき、あたしはいつもこうして遊んでいた。


 目の前には、雨にぬれまいと小走りする人たちの姿が見られる。

 咲いている色とりどりの傘の花は、目にも鮮やかなもの、落ち着いた色合いのもの、機能性重視のビニール傘など、多種多様だ。使っている人の個性がそのまま出ているようでおもしろい。

 通りを行きかう人たちを見ていると、少しずつ心が和む。


 あれ? 最後にこうやって外をながめたのっていつだっけ?

 ぼんやりと目の前の光景を見るのも、久しぶりのような気がする。もちろん勉強ばかりしているわけじゃない。でも何かに追い立てられるような気がして、気の抜けない毎日が続いている。こうやってぼうっとすることすら忘れていた。

 毎日毎日、ずっと緊張して……あたしは何を目指しているんだろう。


 胸が締めつけられる。

 視線を落とすと、激しい雨が地面をたたきつけているのが見えた。雨水は川になり、排水溝に落ちる。勢いだけで流されていく。

 ため息も雨音にかき消される。

 そのときだ。鐘の明るい音がして、すぐそばにある店の扉が開いた。


「ねえ、きみ。しばらく雨も止みそうにないし、よかったら中で雨宿りしてってくれたら嬉しいな、なんて思うんだけど」

 唐突に声をかけられて振り向くと、大学生くらいの男の人が、扉から顔だけ出していた。髪を明るめの栗色に染めたその人は、遠慮がちな言葉とは対照的に、親しみのある笑顔を浮かべてあたしを見ている。

 一瞬、店先に立っていることを注意されるのかと思ったけど、そうではなかった。


「雨宿りですか?」

「そうだよ。ついでと言っちゃなんだけど、このあと三時から三十分ほどライブがあるんだ。時間があるなら見ていかない?」

 彼はあたしの真後ろにあるウィンドウを指さした。

 見覚えのある手作りポスターが貼ってある。さっきキャンパスで見かけたものと同じだ。扉に書かれた店の名前は「ライブ喫茶ジャスティ」だ。会場はたしかそんな名前だった。

 つまりここでオーバー・ザ・レインボウというバンドのミニライブがあるんだ。この人、あの大学の学生なのね。


 あたしは即答できなかった。ロックは詳しくない上に、身内ばかりが集まる中で、ぽつんとすることにならないだろうか。

 こういうのは親しい友達と来るからこそ楽しい。ひとりで入る喫茶店だって無理なのに。興味はあるが、一歩が踏みだせない。


 あたしは断わりの言葉を探しながら、上目づかいに彼の顔を見る。目が合うと彼は、にっこりと微笑みかけてくれた。

 子どものように邪気のない笑顔だ。人懐っこくて警戒心を抱かせない、なんだろう、どこか温かい人柄がにじみ出ている。

 彼は迷いを消すような笑顔で、あたしをじっと見ている。華やかな雰囲気の人だ。彼もライブに出るのかな。


 空は黒い雲が立ち込めている。雨は止む気配を見せない。

 いつまでも店先に立っていられないな。かといってこの中を走るのは無謀だ。

 迷っている場合ではない。あたしは彼の誘いをうけて店内に入った。

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