第12話 スパイの正体
開演まであと十分。通り雨は本降りに変わった。
このあとだれも来なかったらどうするんだろう。こんな少人数のために演奏するつもりなの?
うれしいような申し訳ないような、複雑な気分だよ。早くほかにも来てくれたらいいのに。あたしは本当に心配になって、店の外まで様子を見に行こうと席を立つ。
ちょうどそのタイミングで店の扉が開き、数名が入ってきた。あとにも続いて、何組かの集団がやってくる。
得能くんも見ているかな。よかったね。みんな来てくれているよ。
ホッとしたあたしが席に着こうとしたら、
「おや、西田じゃないか」
いきなりうしろから声をかけられた。
知り合いなんているはずがない。不思議に思ってふりむくと、二十代後半くらいの男性が数名立っている。その中に、予想すらしなかった人がいた。
「え、ええ? 水野先生? どうしてここにいるんですかっ」
今日二回目のビッグ・サプライズ。まさかこんな場所で会うなんて。
先生は、緊張して立ち上がるあたしを見て、学校では見せたことのない、子どものように無邪気な笑顔を浮かべた。
「実はおれ、ここのロック研のOBなんだ。あいつらと在学期間は重なってないけど、今でもサークルやジャスティには何度も顔を出しているんだよ。だからオーバー・ザ・レインボウのメンバーとは仲がいいんだぜ」
別人かと思うくらいニコニコしている。
「えらく嬉しそうですね。学校じゃいつもこんな顔しているのに」
あたしは人差し指で自分の目尻を上げて、授業中の先生の目つきを真似る。それが仲間に受けたらしく、ドッと笑い声が上がった。
学校での実態をみんなにバラしてやるんだから、と意地の悪いことを考える。たまには数学で苦しめられる生徒の気持ちを体験させなきゃ。
と思ったところで、あたしははたと気がついた。
「もしかして先生……得能くんがバンドやっていることも、この活動が理由で講習会をサボっていることも、全部知っていたんですか?」
「まあ……そういうことになるかな」
頭をかきながら悪びれずにハハッと笑う先生に、あたしは返す言葉をなくす。
すべてわかった上で、あたしに「得能くんを引き止めろ」ってけしかけていたの?
なるほど、さっき得能くんの話していたスパイの正体がわかった。
「そう睨むなって。西田を困らせるつもりでやったんじゃないんだから」
「じゃあなぜ? ごまかさないできちんと説明してください」
「なんだ、えらく強気だな。わかったから、まずあっちに座れよ」
先生は窓際のテーブルにあたしを引っぱっていき、座らせた。そして自分は正面に座り、腕と足を組む。先生と一緒に来た人たちも隣のテーブルにつき、あたしたちの対話を興味津々で見ている。
「おれはな、最近視野の狭くなってる西田に、外の世界を見てもらいたかったんだよ」
……それ、どういう意味なの?
「西田が毎日がんばっているのは理解しているぜ。でも目の前のことに気を取られすぎて、まわりが見えなくなっているのが心配になったんだ。
長い受験勉強中には息切れすることもある。そのときにしっかりした目標がないと、残りを走り切ることなんてできない。受験も大切だけど、大学がゴールじゃないってことを知ってほしかったんだよ。
その点、講習会をサボってまでロックに打ちこんでいる得能は、いろんな意味で刺激になるだろ」
「そんな回りくどいことしなくても、ちゃんと説明してくれたらすむ話なのに」
昨日から続く一連の不幸は、水野先生の仕組んだことがスタートだったと知った今、あたしは怒りを通りこしてあきれるしかなかった。
教師なら、もっとスマートに指導する方法を考えてよ。
「でも、西田よぉ。こんなこと口で言ったって、実感がわかないだろ」
「たしかにそうかもしれないけど……」
「それに、得能と親しくなったら、もう一度第一志望を目指すかもしれないって思ったんだよ。あいつも同じ大学を目標にしているからな」
ちょっと待て。それってもしかして……あたしが得能くんを好きになるのを期待したってこと?
信じられない。せっかくだけど恋愛感情は持っていません。
でも偶然とはいえ、得能くんのことを見直すことはできた。これも先生のおかげだから、許してあげてもいいかな。
「おまえ、ちょっとやりすぎだぜ。生徒さんの気持ちまで教師が決めることじゃないだろ」
「そこまで考えてねえよ。クラスメートが同じ大学を目指しているってだけで、刺激になると思っただけなんだ」
先生を注意してくれたのは、一緒に来た人たちだ。
やりすぎだの横暴教師だの言われているじゃない。フフン。かわいい生徒の気持ちを弄ぼうとするからよ。
仲間にいじられている水野先生は、不思議と楽しそうだ。得能くんとワタルさんのつながりと同じ匂いがする。
いいな、そんな仲間がいるって。
あたしと亜砂子も、横からは同じように見えるのかな。
「でも、昨日の今日でここまで結果が出るとは思わなかったぜ。無茶な計画でも、実行してみるもんだな」
残念だけど、先生の自画自賛している結果は偶然にすぎない。だけど、否定するのもかわいそうなのでだまっておくことにしよう。
偶然こそが運命の始まりかもしれないんだし。
そんなふうに先生たちと遊んでいるうちに、ぞろぞろ人が集まってきた。
「さすが、五分前にならないと集合しないメンバーばかりだ」
水野先生が苦笑する。
やってきたのは同じロック研に所属するバンドや、音楽活動の仲間たちだと、先生が教えてくれた。
水野先生たちはすでに師匠レベルなのか、みんなと挨拶を交わしている。
人がふえていくにつれ、先生はあたしから離れていく。途端に自分が部外者のような気がして、居心地が悪くなってきた。
あちこちにでき始めた輪から外れてひとりテーブルについていると、
「西田、こっちに来いよ」
水野先生がそんなあたしに気がついて、また声をかけてくれる。そして、おれの教え子だとみんなに紹介した。
あれ、意外といい教師……かもしれない。
先生の教師姿に興味津々のみんなは、あたしに向かって矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。すると先生は急に青ざめて、あたしに耳打ちする。
「余計なこと言うなよ。言ったら追試だからな」
小声で言ったのに、周りの人たちは耳がいい。
「おい、それは職権乱用だぜ」
と笑いながら
「もしそんなことされたら、いつでも相談においでよ。おれたちが助けるから」
そう言って親指を立てる。
そうか。ワタルさんがあんなにフレンドリーなのは、こんな素敵な人たちの中にいるからなのね。それが得能くんの仲間で、オーバー・ザ・レインボウというバンドの姿でもあるってことなんだね。
先生たちのおかげであたしの疎外感は消え去り、開演までのひとときを楽しく過ごした。
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