第11話 得能くんの想い

「おれとワタルは幼馴染みなんだ。昔からの腐れ縁っていうのかな。あいつは小さいときからリーダータイプで、いつも面倒を見てくれたんだよ。おれは二人姉弟の下で、あいつは長男。そのせいかな。ひとつしかちがわないのに、ずいぶん年の離れた兄さんみたいな感じがするのさ」

 わかる、わかる。

 ワタルさんは頼りになるお兄ちゃんタイプだね。


「実はバンド活動を始めたのも、ワタルにはめられたのがきっかけなんだ」

「はめられた?」

「うん。あれは中学に入ったころだよ。ワタルに誘われて半分強制的にロックコンサートに連れていかれたんだ。

 当時のおれは、いろんなことがうまくいかなくて、何をやっても裏目に出ていたいやなときでね。ストレスたまって爆発寸前だった」

 なんでも器用にこなせる得能くんにそんなころがあったなんて。あたしはにわかに信じられなかった。


「音楽といったらクラシックばかり聴いていたおれに、いきなりロックだぜ。信じられるかい?」

「てか、小学生がクラシックだけっていう方が信じられないよ」

「普通そう思うよな。でもうちでは親がいつも聴いていたから、おれには普通だったんだぜ」

 もしかして得能くんって、いいとこのお坊ちゃんなのかな。普段のイメージから想像できない。あたしはそれも知りたくなったけれど、根掘り葉掘り訊くのも悪いので、今日はやめておこう。

「ロックのCDを聴かされて予習したけど、うるさいだけっていうのが素直な気持ちだったよ。だから、これ以上ストレスになることはやめてくれって気持ちだった。でも、いくら断ってもしつこいから、仕方なくついて行ったんだ」


 得能くんは言葉を切り、アイスコーヒーを一口飲む。グラスの氷がわずかな音を立てた。

「いやいやながらついて行ったのに、そのロック・コンサートときたら、CDなんか比べものにならなかった。クラシックが一番って思っていたけれど、ロックの力強さには敵わないって知ったね。あの日見たコンサートは、世界中の虹を集めたみたいに綺麗な光に包まれていた」

 得能くんは静かに目を閉じる。

 そのコンサートは今でもまぶたの裏に焼きついて、鮮明な記憶として刻みこまれているんだろう。


「七色の光を浴びたミュージシャンたちは、ときには力強く、ときにはしなやかにステージを駆けめぐっていた。虹の向こうから、みんなに夢を与えるためにやってきたみたいだったよ」

 観客の熱気で満たされたライブ会場。ミュージシャンたちは視線と歓声を集め、それに応えるように、全力で演奏する。ひとりひとりに届けと、力を込めて。

 あたしも一度だけライブに行ったことがあるから、なんとなくわかるよ。


「コンサートの間は夢の世界にいるような、不思議な気分だった。

 そのときおれは、中学受験に失敗したことや家族関係のことで悩んでいたんだ。でもライブの最中、いやなことは一度も思い出さないで、心からステージを楽しめた」

 クラシック以外の音楽には縁のない生活をしていたら、相当のインパクトがあっただろうな。

「ライブでは、アーティストの持つエネルギーが、曲を通してストレートに伝わってきた。かと思えば、優しいバラードで、とげとげしていた気持ちが少しずつ癒されるんだ。

 ロックは力強くて繊細だね。CDで聴いたときは、うるさいだけだって思った自分が、どれだけ理解力に乏しかったんだって情けなかったよ。そうやって、どの曲もどの曲も、おれが無理矢理抑えつけていた感情を解き放つんだ」


 そうか。得能くんは、ロックという音楽に感電したんだね。

「自分の中に抑えこもうとしていたマイナスの感情も、素直に出していいんだって気づかされたよ」


 マイナスの感情か……。


 得能くんに対する羨望と嫉妬から目を背けず、直視することも大切ってこと?

 そうだよね。こうやって得能くんとも打ち解けることができたのも、さっき本音をぶつけることができたからなんだ。

 感情を抑え込めば、その場は丸く収まる。でも自分の中に生まれたマイナスの感情は消えることはない。


「コンサートのあとは、数日間、頭も体もぼーっとしていたよ」

「そんなすごいコンサート、あたしも見たかったな」

 得能くんは、気持ちが伝わったのがうれしかったようで、満面の笑みで頷いた。

「そのときに決心したんだ。おれもステージからみんなに夢と感動を届けたい。音楽を通して、あのときの感動をひとりでも多くの人に伝えたいって」

「それでワタルさんたちとバンドを組むことになったのね」

「そうなんだけどね。これがすべて、ワタルの悪巧みだったんだぜ。信じられるか? おれの感動を返せーっ」

 と言うわりには、得能くん、にこやかな顔をしているよ。


「実はね、ワタルのやつバンドを組んだはいいけど、キーボードの弾けるメンバーがいなかったんだって。そこでピアノをずっと習ってたおれを引きずりこむために、ライブに引っぱっていったんだよ」

 いやいやそれは、考え過ぎでしょう。

「というわけでおれは、バンドに参加することになったんだ。しばらくは弾き語りしていたけど、キーボード弾けるのがメンバーに入ったのをきっかけに、ボーカル専門になったんだよ」

 得能くんがボーカルか。じゃあ、ワタルさんは何を担当しているかな?


「それからはメンバー交代やほかのバンドと対バンしたりして、たくさんの人と演奏したよ。いろんな仲間と合同でバンドを組んでライブしたこともあるんだぜ。そしてやっと今日単独ライブをするところまで漕ぎつけたんだけど……」

 得能くんは言葉を止め、店内を見回す。

 あれから増えたお客さんは、大学生らしき男子ふたりだけだ。

「残念ながらお客はゼロに近い。あと十五分もしたら開演だっていうのに、みんな来てくれるのかな」


 あたしは今になって得能くんが言っていた「抜けられない用」が、単独ライブのことだったと気づいた。

 こんな大きなものが目前に迫っていたら、気になって講習会どころではないよね。

 バンド活動が得能くんの夢で、だれにも譲れない大切なものなのか。

 よし、あたしも負けていられない。がんばって夢をかなえるぞ。


 でも……。

 あたしの夢ってなんだろう?

 そこまで好きなことや大切なこと、欠かせることのできないものなんてあった?  大学に合格すること? 英語を勉強すること?  もちろんそれもかなえたいものだけど、大学はゴールじゃない。夢を実現させるためのステップなんだ。


 じゃあ、あたしの夢や目標は?


 自分に問いかけてみたが、答えがない。将来どうしてもなりたいもの、今まさに夢中になっている何かがない。

 今まで何をしてきたんだろう。大学行って勉強して、将来は得意な英語を活かしたいとは思っている。でも、その向こうにあるゴールって何?


 目の前のことばかりに捕われて、その先に続く道があることなんて、思いもしなかった。

 ううん、考えなかったわけじゃない。でもあまりにも漠然としている。はっきりした目標もないまま、受験勉強することだけで満足している。


 その先にある何かは、あたしの中に、ない。


 そうか。だから一番行きたい大学を目指すだけのパワーが出なかったんだ。いとも簡単にランクを落とし、すべてを数学のせいにしていたんだ。


 ――ほどほどにしないと、受験終わったら燃えつきてしまうわよ。


 亜砂子の言葉の意味がやっと理解できた。

 このままでは、大学入ったとたんに目標がなくなり、五月病まっしぐら。せっかく入ったのに辞めてしまうという最悪のパターンが待っているかもしれない。

 そして残ったのは、夢や目標を持たない抜け殻のようなあたし。

 いやだ、そんなのいやだよ。絶対に。


「西田さん」

 得能くんに呼ばれて、あたしは現実に引き戻された。

「そろそろ時間だから」

「でも、ほとんど人が来てないよ」

 ワタルさんの心配が適中したかのように、あれ以来なかなか人が増えない。相変わらず雨脚は強いのに、ほかにお客さんが来なかったら、ライブは中止になるんだろうか。


「観客ならいるだろ」

 得能くんはあたしを指さした。

「西田さんと、あそこにいる人たち。聴いてくれる人が少しでもいるのなら、ライブをするさ。本当に雨が止むまでの時間でいいから、聴いていってくれよ」

 得能くんの自信に満ちた笑顔を見ていると、気持ちがくすぐったくなるように嬉しくなった。


「心配しないで。最後までいるよ」

「サンキュー」

 得能くんは勢いよくカウンターシートを飛びおり、楽屋に向かう。あたしはその背中に向かって、

「がんばってね!」

 とエールを送る。得能くんは振り返り、うれしそうに、そして誇らしげに手を振った。

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