第7話 懸念

 エリオットの夢の中にいたディランは、伝えたかったことを伝えると浴室を出て、またティナのところに行った。



「ウッ、ゲホッ…」

「大丈夫ですか、奥様?」

「…大丈夫、吐いてしまえば直るわ…」

 ティナがトイレで吐いている。メイがそれを一生懸命介抱かいほうしているようだ。


 体調を崩したのだろうか?


 そういえば『最近なんだか眠いの…』と言っていたが、私が夜遅く帰って来てから愛し合っているせいで、疲れさせているからだろうと思っていた。


 大丈夫だろうか?

 妻の体調が悪いことも気にかけずのうのうとしていた自分が恥ずかしい…


「この時期を乗り越えれば楽になる筈って、お医者様もおっしゃってましたものね」


 メイの言葉に引っ掛かるものを感じ『お医者様』って、やはりどこか具合が悪いのか…


「…今日話すって、約束してたの…」

「…奥様…」

「…言えなかった…」


 ティナはそう言うとまた、嗚咽おえつらし泣き始めた。


「うっ、うっ、ディラン…ううっ…」


 メイは泣き続けるティナの背中をさすり続ける。


 こんなに具合が悪いのに、私に気を遣っていつも夜遅くまで起きて待っていてくれた妻に、本当に申し訳なく思う。


 あまり良くない病気なのだろうか?

 どこか、空気の良いところにでも静養させたほうが良いだろうか?


 考え始めると心配でいても立ってもいられなくなってしまう……

 だが死んでしまった今、自分にできることは少ない。

 だれか、私の意思をわかってくれる者はいないだろうか?


 ディランはもう一度、エリオットに伝えることができないかと思い、部屋を出た。


 壁を抜ければ早いのはわかっていたが、習慣というものはなかなか抜けないらしい。歩くような速度で移動していると、廊下の隅にまあるい二つの目が浮かんでいるのに気がついた。


 明らかにこっちを見ている。

 もしかして、と思うとその二つの目の主が頭の中に話しかけて来た。


『ごしゅじんさま、なにしてるの?』

 我が家の使い魔、黒猫のマーリンが話しかけて来た。


『マーリン、私がわかるのか?』


『わかる。ごしゅじんさま、いつもとちがう…』

『そうか。わかってくれて嬉しいよ。実はね、私は今日死んだんだ』


『…しんだ?…それでちいさくなったんだ…』

『まあ、そう言う訳だ』


『ごしゅじんさま…なんで、てんごくいかない?』

『みんな、行かなきゃいけないのか?』


『…しんだら、みんなてんごくにいく。いかないといけない…』

『そうなのか?』


『てんごくにいかないと、あくりょうになる…』

『やっぱりそうなのか…』


 ディランは黒竜に言われたことを思い出していた。

『この世とあの世の間でどちらにも行けず、自分の意識さえ失う』

 そう言われたのだった。


(それならば、自分にはあまり残された時間がないかもしれない…この際、借りれる物は猫の手でも借りろ、って言うし、聞いてみるか?)


『マーリン、ティナの具合が悪いようなんだが、お前何かわかるか?』


『…ティナ、びょうき、ちがう』


『違うって病気じゃないってこと?』

『すぐ、げんきになる。しんぱいない』


『そうなのか?すごいな、動物の勘ってやつか?』


 そんなことを頭の中で会話していると、廊下の向こうから誰かが早足で歩いて来る。猫のマーリンはさっといなくなった。


 歩いて来たのは、メイド頭のロンド夫人だった。

 何か歩きながらぶつぶつ言っている。


「…早く知らせなくては…」


 このタイミングで誰かに知らせる…とすれば『私が死んだこと』だろう。でも誰に?


 そう思って見ると、ロンド夫人の胸の辺りに漂う魂の色が真っ黒なことに気がついた。時々、血のように赤い色が混じっている。

 ディランは嫌な予感がして、そのままロンド夫人に付いて行った。


 ロンド夫人は今は亡き夫とふたり、先代からの使用人で長く我が家に住み込みで勤めている。料理人をしていた夫が亡くなった後も、彼女はそのままメイド頭として働いている。


 個室に戻った彼女は、机の引き出しから紙とペンを取り出すと手紙を書き始めた。

 内容はやはり、この館の主人が急に亡くなったことだった。

 簡潔に、今日の森での探索中に魔物に襲われて亡くなったことが書かれていた。


 ただ問題なのは、宛先が父の弟であるエルガーだったことだ。


(なぜ、エルガー叔父さんに?)


 叔父のエルガーは放蕩者ほうとうもので、結婚もせずあちこちを旅しては、金が無くなるとこの家に来て、金の無心むしんをしたり、金目のものを持ち出したりしている厄介者やっかいものだ。

 調子が良く、口が上手いので皆だまされてしまう。


 魔力の強い我が家の家系の中で、異端の魔法使いだ。

 彼の一番のお得意の魔法は “魅了チャーム” だ。このせいで誰も彼を悪く言わないので、今まで問題になっていない。まあ、私やエリオットのように魔力量が多い者には通じないが…


 最近落ち着きたくなって来たのか、この前もエリオットの住んでいるタウンハウスを譲ってくれないかと言って来た。エリオットにはいい婿入り先を紹介すると言って、何枚か絵姿を持参していた。


 あまりにもくだらないので断ったが、そのエルガーがメイド頭をたらし込んでいたとしても不思議ではない。


 ロンド夫人は手紙を書き終えると部屋を出て、もう休んでいた小間使いの少年を叩き起こすと、手紙を届けるよう言いつけた。


(あんな子供を、こんな夜に使いに出すなんて…)

 ディランは少年のことも気になったが、手紙を受け取った叔父がどうするのか気になって、少年について行った。


 少年が辿り着いたのは、街中から少し外れた安宿やすやどだった。

 少年はドンドンとドアを叩いて、中から出て来た宿屋の主人らしき男に怒鳴られながら手紙を渡すと、また走って戻って行った。


(こんなところに…叔父が本当にいるのか?)


 ディランはいぶかしみながら、宿屋の主人について行った。主人は一階の奥の部屋の前まで歩いて行くと、ドアの下からそっと手紙を滑り込ませた。


 ディランはドアを通り抜けて中に入った。


 暗い蝋燭ろうそくの光の中で、叔父が一人で酒を飲んでいた。


 小さな机にたった一つの椅子、あとはベッドがあるだけの簡素な部屋だった。机の上の蝋燭に照らされたその顔には生気がなく、いつもの調子の良い明るさは微塵も感じられなかった。


 その胸の辺りに浮かんでいる魂は黒が混じった毒々しい紫色をしていて、見ているこちらも気分が悪くなるほどだった。


 叔父は、ドアの下に差し込まれた手紙に気づくと、よろよろとした足取りでそれを取りに行った。

 そして椅子に戻って来ると、手紙を開いた。


 叔父は黙ってそれを読んでいたが、不意に

「ふ、ふははは…あははははは…」

 と笑い始めた。


 その様子から、叔父が何を考えているにしても、良くないことに違いない!と思えた。


 それにしても、叔父がこれほどまでに落ちぶれてしまっていたとは…知らなかった。

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