第14話 ティナの秘密

 

 ティナは夢とうつつの間を行ったり来たりしていた。

 もう夢と現実の境界が曖昧あいまいになってしまって、自分がどこにいるのかすらわからなくなっていた。



 薄暗闇の中で

「ティナ…」

 と名前を呼ばれ、恋しい長い黒髪とたくましい腕に、思わずすがりついた。


 愛しいひとに抱き込まれて、思わず

「ディラン…」

 と呼んだ。


 ほんのわずかな躊躇とまどいののち


「僕だよ。エリオットだよ」

 という声が返って来て、これが現実の世界だと気づく。


「…エリオット…」

「そうだ、君の親友エリオットだよ。顔を見せてくれる?」


 そう言われてベッドの上に起き上がると、そっと抱き上げられた。

 ふわふわとした感覚で、横抱きにされて廊下を通り、明るい部屋へ連れて行かれると、カウチの上に下ろされた。


 メイドたちがやって来て、身体をきれいにぬぐわれると新しい寝巻きを着せられる。それをただ、人形のようにされるままにしていた。


 目の前にスープが運ばれて来て眺めていたら、誰かがスプーンですくって

「あーん、して」

 と言う。

 言葉のままにからだが動き口を開けると、ゆっくりとスープが流し込まれた。


 食べ終えて疲れて倒れそうになると、誰かが肩を支えてくれて、髪を撫でてくれる。その手の優しさに幼い頃を思い出す。

 子供の頃、風邪をひくと母がこうしてスープを食べさせてくれた。


 そしてまた優しくベッドに運ばれた。なんだか、安らかな気持ちになってよく眠った。


 翌朝、明るい朝の光が差すと、青い瞳がのぞき込んで来て

「おはよう」

 と言う。


 また抱き上げられて、カウチに座ると食事が運ばれてくる。

 せないように少しずつ、ゆっくりと時間をかけて、口の中に食べ物が運ばれる。


 昼間はメイドのメイが来てくれて、ようやくこれは現実らしいと気づく。

 午後はゆっくりお風呂にも入れてもらった。


 次の日もまた次の日も、青い瞳は私を抱き上げ、食事を食べさせ、ベッドまで運んでくれた。

 ゆっくり夢も見ずによく眠って、また朝になって『おはよう』と言われた時、その青い瞳は、エリオットだったと気づく。


 魔法学校からの親友、ディランの弟、エリオット…

 彼は、ここで何をしているんだろう?


 それからまた夜になって、朝になって、やっと気がついた。

 自分の口に食べ物を運んでくれているのが、エリオットだと…


 ティナは、自分が声を出せるかわからなかったが、のどに声を乗せてみた。


「エリオット…」

「何だい、ティナ」

 すぐに声が返って来た。


「…ありがとう…」


 ティナは彼の青い瞳に感情がこもったのを見た。そして少し照れながら『気にしなくていいから…』というようなことを言われた。

 その優しい言葉に嬉しくなった。



 その日から、ティナはどんどん元気になっていった。


 食事も自分で食べられるようになり、用を足すのにもメイの肩を借りないで、自分で行けるようになって来た。

 ティナが元気になって来たので、流石さすがに同じ部屋で寝泊まりはマズイと思い、エリオットは客室に移り、ティナはそのままエリオットの部屋にとどまった。


 ティナは何かなつかしい気がするその部屋が、エリオットの部屋だったことに気がついた。学生時代から何度も訪れていた部屋だ。


 彼女はエリオットが自分のために、部屋を譲ってくれたのだと感じて、申し訳なく思った。

 正直、元の部屋にまだ帰れる気がしない…ディランと二人の寝室だったあの部屋は、思い出が多すぎて押しつぶされそうなのだ。


(わたし、何をやっていたのかしら?)


 ディランが亡くなったと聞いたあの日から、記憶が曖昧あいまいなのだ。


 悲しくてつらくて泣いては眠って、ディランの夢を見てまた泣いて…

 食事をとるることも忘れて、ずっとベッドの中にいた気がする。


(わたし、あのままだったらどうなっていたのかしら…)


 そう思うとゾッとした。自分が自分で無くなっていって、気力も無くなり、もしかしたら死んでいたかもしれない…


 ティナは、エリオットが帰って来たら、今度こそ絶対に話そうと思った。

 ディランには告げることができなかったを、今夜こそ話そう。


 ティナはメイに、部屋からお気に入りのドレスを持って来てくれるように頼み、湯浴みをした。ゆっくり全身をきれいに洗い、新しい下着を着ける。


 夕方、いつものようにエリオットが帰って来ると、エントランスで彼を出迎えた。お気に入りの薔薇色ばらいろのドレスを身にまとったティナの出迎えに、エリオットが目を見張る。


「ティナ!大丈夫かい?随分ずいぶん元気そうに見えるけれど…」


「お帰りなさい、エリオット。あなたにお話があるの」

「…わかった、すぐ行くから部屋で待っててくれる?」

「ええ。お待ちしてますわ」

 ティナは軽くお辞儀をすると、部屋へと戻って行った。


 10分ほどのち、ティナがいつものカウチに掛けて待っていると、部屋着に着替えたエリオットがやって来た。


「お待たせ、ティナ。話って何?」


 ティナは手招きして隣に彼を座らせると、彼の右手を取って自分のお腹に持っていった。


「な、なに?ティナ…」

 狼狽うろたえるエリオットを優しく見つめ返すと、


「この中に、赤ちゃんがいるの」

「エッ?」


「ディランには伝えられなかったけど、わたし妊娠してるの」

「ニンシン…赤ちゃんが?」


「あなたが助けてくれなかったら、わたしも赤ちゃんも助からなかった。…ありがとう」


 エリオットの中に、えも言われぬ複雑な感情が湧き上がった。


 親友と兄に子供ができると言うのは喜ばしいことだと思う一方、兄と彼女に子供ができたと言うことは、そうゆうコトをしているからであって、それは自分の手には決して届かないものだと宣言されたようなものだった。


「そ、そうなんだ。…おめでとう」

 彼にはそう言葉にするのがやっとだった。



 * * *



 墓守はかもりの小屋から戻って来たディランは、エリオットが懸命にティナの面倒を見ているのを見ていた。

 自分は夢の中に入り込んでティナの気力を奪っていったのに、弟は衰弱してしまったティナを介抱してくれている。申し訳なさで頭が下がった。



 弟の気持ちを知らなかったわけではない。

 彼が学校でティナを紹介してくれた時は “弟に彼女ができたんだ” と微笑ほほえましく思ったものだった。

 その彼女が弟と共に魔法師団に入団して来てからというもの、私の彼女に対する気持ちが、少しずつ変わっていったのだ。


 エリオットに申し訳ないと思う反面、どんどんティナに惹かれていってしまい、その気持ちに彼女が答えてくれると私の心は一気に燃え上がってしまった。


 今も彼女を愛する気持ちは変わらない。

 だが、私はもう死んだ人間なのだ。生きている彼女の足を引っ張ってはならないのだ。


 私は、あの日彼女が私に話したかったことを聞きたくて、彼女を見守っていた。エリオットの甲斐甲斐かいがいしいまでの世話で、ティナはどんどん回復していく。


 そんなある日、珍しく彼女がお気に入りのドレスに着替えるのを見た。

 念入りにお風呂に入り、ドレスを身につけ、髪を結っている。

 ディランはその様子を、どこか既視感きしかんを持って見ていた。


(このドレス…私が死んだ日に着ていなかったか?)


 そう気がついて、これは何かティナが伝えようとしているのでは…と思ったところで、彼女が口を開いた。

「エリオット。あなたにお話があるの」

 やはり、そうだ。


 ディランはティナに付いて部屋へ入ると、エリオットが来るのを待った。

 そして程なくエリオットが部屋に入って来ると、衝撃の事実を告げたのだ。


「この中に、赤ちゃんがいるの」


 頭をガツンと殴られたような気がした。


(私と、ティナの…赤ちゃん…こども?)


 心に色があったなら間違いなく、今の私の心は虹色に輝いているだろう。

 胸が熱くなった。そばに行って私もティナのお腹を触って見たかった。


 そう言われて見ると、彼女のお腹のあたりに小さな魂の光が宿っているのが見えた。


 白くて小さな光…二つ?

 どうして?…もしかして、双子?


 ディランは感動で胸がいっぱいになった。

 自分の血が繋がった分身のような存在が、この中に宿っているのだ!

 しかも、ふたり!


 嬉しくて、誰かに聞いて欲しくて思わず屋根を突き抜けて外に出ていた。


 黒猫のマーリンが庭を歩いている。


「マーリン!」

「ニャ~。ごしゅじん、どうしたの?」

「嬉しくて!聞いてくれ、ティナに赤ちゃんができたんだ!」


「そうだね。ぶじでよかった」

「知ってたの?」


「ニャ~。においでわかる」

「知ってたら、教えてくれれば良かったのに…」


「…しったら、ごしゅじん てんごく いかないかもしれない」

 マーリンは丸い目でディランをじっと見た。


「…そうか、それを心配してたのか」

「ニャ~」

「大丈夫、ちゃんと行くから。心配してくれてありがとう」


 ディランは、マーリンに手を振ると、もう一つの心配事を見届けに行った。


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