第17話 騎士

 リリアは両手をクルシマラに向け、照準を合わせる。すると、辺りの空気に重圧感が増し、リリアの右手にエネルギーのようなものが集まり始める。


 リリアの瞳には、燦々と煌めく炎が宿り、まるで獲物を見つめる狩人のように、クルシマラを視界に捉えていた。


 アヤミチは、周囲の空気感から体を動かせず、自身に伸し掛る不思議なプレッシャーに耐えることしか出来なかった。


「上級魔法:逆炎(さかいび)」


 リリアがそう唱えた直後、アヤミチはまるで世界から音が消え去ったような感覚に陥った。


 木々のざわめきはおろか、風の音すらも聴こえず、アヤミチは自身の聴覚を疑って耳に手を当てる。

 耳に手を当てる寸前、アヤミチの動きが止まる。


 リリアの身体の何倍もある巨大な炎の塊が、突如としてリリアの目の前に現れたのだ。


 アヤミチは、何者かの攻撃と錯覚し、思わずリリアに手を伸ばす。


「───うぉぉっ!?」


 しかし、伸ばした手はリリアの間合いにすら届かず、代わりに戦場全体に起こった爆風がアヤミチを襲った。


 体がビニール袋のように軽々しく吹っ飛ぶ中、アヤミチはルルドロスに抱擁され、何とか危機を脱する。


 こんなまともに動けないような状態でも、爽やかな表情を保ってなだれ込む木の破片を素早く避けるルルドロスに、アヤミチは清々しさすら感じていた。


 アヤミチは、ルルドロスの腕の中から炎の塊を睨むように見つめる。


 炎の塊は、紅い輝きを放ちながら戦場を突き進んだ。紅梅色の怪物は、依然地面から頭が抜けず、為す術がない。


 炎が放つ輝きに、アヤミチは眩しさを感じて目を細めるも、炎がクルシマラに当たるギリギリまで炎を真っ直ぐに見つめていた。


「────ッ!!!」


 炎に衝突したクルシマラは、赤子のような悲鳴を必死に上げるも、直後に森中に轟かせた爆音によって、その金切り声を掻き消される。


 アヤミチは、強烈な爆発音に耳鳴りを起こし、耳の痛みを抑えるように両耳に手を当て、押し込む。


 ようやく静寂が戻った戦場は炎の海と化しており、空高くまで黒い煙が立ち上っていた。

 しかし、森にそびえ立つ木々には延焼しておらず、地面とクルシマラだけが炎の影響を受けていた。


 ルルドロスはその様子を見て、アヤミチを優しく腕の中から解放する。

 暴風はすっかり止んでおり、ルルドロスは短く息を吐いて少しだけ乱れた呼吸を整える。


「さすが、マグナス様の傘下だね。魔力の形が僕とは全然違う」


「....魔力の形って分かるもんなのかよ」


 ルルドロスの発言に、アヤミチは腰に掛けたマントの汚れを払いながら、何故か疲労を溜め込んだ表情で口を開く。


「あぁ、それは───」


 説明を求められ、一気に口角が上がったルルドロスが唇を動かした瞬間、戦場に鳴り響く金切り声がアヤミチの鼓膜を突き刺した。


 二度目の耳の痛みに、アヤミチは目を閉じて眉間に皺を寄せる。


(くっそ...頭痛てぇ...!!なんだこれ...)


 脳が激しく警鐘を鳴らし、瞳からは血の混じった涙が流れ出る。


 倒れるように地面に膝を着き、意識が飛びそうな程の頭痛を感じながら、アヤミチはクルシマラの鳴き声のに気付く。


 涙が溢れる目をほんの少し開き、赤くぼやけている視界で、地面に倒れ伏すリリアを確かに捉える。


「ルル....リ...リアが....」


 口から発した声は脳に伝えられず、アヤミチは聴覚を失っていることに気付く。


 気付いた事は、それだけでは無かった。


───血の色にぼやける視界の中、長く太い生物が動き出す姿が見えた。


 その生物は、自身の蛇の様に長い胴体をくねらせ、手足を不規則に動かした。

 そして、その生物は赤く煌めく炎を身にまとっていた。


「嘘....だろぉ...!!」


 アヤミチは、大量の唾が溜まった喉から掠れた声を出し、涙で滲んだ目を手で擦った。


 血を含んだ涙を乱暴に拭き取り、比較的視界が良くなったアヤミチは、隣で息を荒らげ、地面に膝を着くルルドロスを視界に入れる。


(ルルもリリアも戦えない....俺だけで、れるのか...?あの化け物と....)


 先程の輝きなど微塵も残していない鞘に手を当て、アヤミチは"主人公補正"が発動されていない事を思い知らされる。


 そして、


「────ッ!!!!」


 前方から微かに聞こえるクルシマラの叫び声を聞き、アヤミチは絶望に落ちていく。


 クルシマラは、その紅梅色の身体を宙に浮かせ、リリアではなくアヤミチの方向に照準を当てる。

 おそらく、アヤミチとルルドロスの二人を同時に倒せるという至極合理的な判断だろう。


(クソ!何か...何かないか!?状況を逆転させる何か....!)


 アヤミチは、一か八か鞘から剣を抜こうと剣の柄を力強く握ろうとする。


 しかし、そんなアヤミチの必死の行動も虚しく、剣は鞘から抜けなかった。

 否、鞘から抜けないのでは無い。手に力が入らないのだ。


 そりゃそうだ、とアヤミチは心の中で呟き、再び頭の中で策を模索する。


 状況を打開する策を────


(....ダメだぁ、全っ然思いつかねぇ)


 そして、クルシマラは勢いよく身体を弾かせ、空を切りながらアヤミチ達の方へ直進する。


 アヤミチが紅梅色の肌を、ハッキリと認識出来る距離までクルシマラが近付いたその時だった。


 筋肉の目立つ逞しい足が、紅梅色の怪物とアヤミチの間に割り込んだ。

 アヤミチの目の前に仁王立ちしている人物は、猪突猛進の姿勢のクルシマラを完全に押さえ込み、その拳で強烈な一撃を入れた。


 アヤミチは薄れゆく意識の中で顔を上げ、その逞しい足の持ち主を見上げる。


 その人物は、茶色のシャツを着用しており、身体の大きさに対してサイズが小さく、かえって逞しい筋肉が強調されていた。


 背中には天秤に青と銀の結び目が付いている模様があった。


(天秤の.....模様...?)


 アヤミチは、見覚えのある模様に思考を巡らせる。直後、アヤミチは誰かから背を撫でられる感覚を覚え、思わず身震いをする。


「あっはっはっ それはちょっとオーバーリアクションじゃないかなぁ?」


「いやいや、こんな訳分からん状況で背中撫でられるって軽いホラーもの───」


 アヤミチは、背後から聴こえた、やけに抑揚の激しい女の声に反応するが、自身の声が聞こえるという事に気付き、途中で言葉を区切る。


「うおぉ!?耳痛くねぇ!涙出てねぇ!ちゃんと話せてる!」


「状態異常は取り除かせてもらったよ ほんのちょっと、いや、コール平原の広さぐらいは感謝して欲しいものだね」


「コール平原がどんくらいの広さかは知らねぇけど、めっちゃ感謝してる!....って、お前は....」


 激痛が続いていた身体からさっぱりと痛みが消えているという事実に、アヤミチは高揚して自身の身体をベタベタと触る。


 アヤミチは、後ろを振り向いて激痛から解放してくれた恩人に感謝を伝える。

 感謝を伝え終えた後で、アヤミチは背後にいた少女の特徴的な瞳を見て、少し前の記憶を掘り起こす。


「───私たちは王都騎士団、第一軍。助けに来たぜ、勇者様方」



 少し低い声で、抑揚の多い口調の少女は、黒い礼服を身にまとい、黒い手袋を着けた手には長めのステッキが握られており、


 二つの瞳には、それぞれ色の違う二つのハートが入っていた。

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"主人公補正"を持った状態で異世界に転生したんだが何か思ってたのと違う ふつうのひと @futsuunohito0203

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