解放のファンタズマ 3ー③
若い娘の運命にしては辛すぎる。アメデオは眉間にぐっと皺を寄せた。
「なんてことだ……。何か他に方法はないのか?」
「一応、医師からは人工透析を勧められてるけどね、その値段を知ってる? 一回四百ユーロを週に三回で、月に五千ユーロだって。払える訳ないじゃない」
ビアンカは乾いた声で笑った。
「そのストレスでバーに通っていたのか」
「まあね。でも、オズヴァルドと初めて会ったのは、腎臓病患者の会というところ。
八カ月前に不治の病気だって告げられて、私、何度も自殺未遂を繰り返したの。腕の包帯の下は自傷の傷だらけ。それで主治医に勧められてね」
「同じ病気の患者同士が悩みやストレスを打ち明け合って、心を楽にさせるグループカウンセリングみたいな場所だね。そこでオズヴァルドと会ったんだね。
それって、何カ月か前のこと?」
フィオナが横から訊ねた。
「ええ、確か三カ月ほど前のことよ」
「それから二人で会うようになったんだ」
「ええ……。私と彼は、似たような生い立ちだった。両親は貧しいけど真面目な人間で、私や彼みたいな子は、昔から家族の厄介者扱い。
私は家出しては彼氏の家に転がり込んで。何人かの彼氏はワルだった。窃盗団にいたり、売人だったりね。私も手伝いをさせられたし、ドラッグにも手を染めたわ」
「何となく似たもの同士で、共感したのかな」
「そうね、すぐ分かったの。だから会の後、近場のバーに飲みに行った」
「そうなんだ。二人でどんな話をしたの?」
「お互い
「それで、男女の関係に?」
「いいえ、酔って喋って、それだけよ。彼は私の連絡先を知りたがったけど、私は教えなかった。だって、又、昔の彼の時みたいに、犯罪に巻き込まれるかも知れないからね」
「なら、何時どうやって、又会ったのさ」
「二度目はそのバーで鉢合わせしたのよ。初対面から三週間ぐらい後だったかな。オズヴァルドから話しかけてきた」
「それで又、愚痴を言い合ったんだ」
「うーん……。それがその日の彼は優しくてね。私の愚痴をずっと聞いて、慰めてくれた。本当はいい人なんだな、って思ったのを覚えてる」
「落ち着いた感じだった?」
「ええ、そんな感じ」
「死を覚悟したっていう感じかな?」
「そうかもね」
「それから定期的に会うようになった?」
「定期的、って程ではないけど、その時、彼のテレグラムの連絡先を教えられたの」
「なんでテレグラム? ワッツアップとかじゃなくて?」
訊ねたフィオナの隣で、アメデオが大声を張りあげた。
「テレグラムだと!? くそっ、道理で分からなかった筈だ!!」
テレグラムとは、チャットや音声通話ができるロシア発の無料メッセージアプリだ。
ユーザー同士が暗号化されたシークレットチャットでやり取りでき、そのメッセージは運営も見ることができず、一定時間が過ぎると自動消去される為、秘匿性が高い。
自動消去までの時間を数分に設定して犯行時間や場所の指示を送信すれば、第三者に見られることなく、証拠隠滅も容易なことから、詐欺や密売、サイバー犯罪に悪用される例が後を絶たない。
「まあまあ大佐、落ち着いて」
フィオナはアメデオの肩をトンと叩き、ビアンカに向き直った。
「ビアンカはさ、なんでテレグラムなの、って思わなかった?」
「思ったわよ。だから『犯罪でもしてるの?』って、彼に聞いたわ」
「オズヴァルドの答えは?」
「『違うよ』って。『もう悪事はしないと誓ったんだ』って。
でも自分は元犯罪者だから、関わった人に迷惑をかけるかも知れない。だから友人とは最近、テレグラムで話すんだと答えたの」
「そうなんだ……。それで、それからテレグラムで連絡を取り合った?」
「ええ、彼の話に嘘はないと感じたし……。それにやっぱり、誰かに病気の悩みを聞いてもらえるって、私には必要なことだったし……。心細い夜には連絡したりして、彼には随分、慰められたわ」
ビアンカは空を見上げ、遠い目をした。
「彼は言ってた。『心配することはない、大丈夫だ、命は永遠なんだよ』って。『過去に悪行に手を染めたとしても、善行を積めば魂は天国に導かれるんだ』って」
「彼、信仰深かったんだね」
「ええ。それに彼、『自分のやってきたことを償って生きる』とも言っていたわ。
他人が聞いたら虫のいい、陳腐な話に聞こえるでしょうね。でも、私はそんな彼の言葉に救われたの。それで何度かバーで会って、話もしたわ」
「オズヴァルドが殺人を犯した夜も、だな?」
アメデオが訊ねる。
「ええ……。あの時の彼も、とても穏やかだった。だから私は、彼があんな行動をするなんて思いもしなかったわ。いつものように優しく私を慰めてくれて、二時間ほど話して、別れたの」
「本当にそれだけか?」
アメデオが念を押すように訊ねると、ビアンカは考え込んだ。
「そう言えば……今思うと、少し気になることを言ってたわ」
「何を言ってた?」
「『天国に行く方法が分かった。俺は最高の善行をする』って」
「方法とは何だ?」
「分からない。私も聞いたけど、教えてくれなかった。ただ、彼がマフィアのボスを殺したと分かった時は、少しホッとしたわ」
「何故だ?」
アメデオが目を瞬く。
ビアンカは指を組み、訴えるような目でアメデオを見た。
「ねえ、オズヴァルドは良いことをしたのよね。だって悪いマフィアのボスを殺したんだもの」
何を馬鹿なことを、と言いかけたアメデオをフィオナが制した。
「そうだね。相対的に見ると良いことをしたね。バンデーラを野放しにしておいたら、これから沢山の人が不幸になっていただろうからね」
「そうね。そうよね」
ビアンカは自分に言い聞かせるように何度も頷いた。
「他にも何か思い出したことはあるかい?」
フィオナがビアンカをじっと見詰める。
「特には……ないわ。何か思い出したら、連絡します」
「分かった。ボク達の聞きたいことはそれだけだ。捜査にご協力有り難う」
「はい」
ビアンカは二人に軽く会釈して、そそくさとベーカリーに戻って行った。
それを見送ったアメデオはフィオナに向き直り、これみよがしな溜息を吐いた。
「お前……。人を殺すのが良いことだなんて、よく言えたもんだな」
「彼女、きっとまだ何かを隠してるよ。表情を見ていて感じたんだ。だから、彼女が話しやすいように、同意したふりをしただけさ」
「隠してるだと? だったら、もっと揺さぶってやればいいだろうが」
「いや……。今はあれぐらいでいいと思う。まだボクらには話すつもりがなさそうだったからね。少し泳がせて様子を見れば面白いかも」
「泳がせるだと? 監視でも付けろと言うのか?」
「その方がいいと思うんだ」
「あの女からこれ以上情報が取れるとも思わんが、一応、手配しとくか」
アメデオが部下に電話をかける。
それから捜査記録にビアンカのことを『オズヴァルドとは恋人関係じゃないと主張したが、念の為、暫く監視を付けることにした』としたためた。
「よし、次はオズヴァルドの主治医だな。いい話が聞けるといいんだが……。なにしろ肝心のローレンが出てきてくれるかどうかが問題だ。ヒヤヒヤするぜ」
するとフィオナは
「マスターは興味を示すと思うよ……きっとね」
(続く)
バチカン奇跡調査官 藤木稟 @FUJIKI_RIN
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