解放のファンタズマ 3ー①


      3


 バジーリオが社長をしている会社は、テルミニ駅からほど近いローマの中心地、バルベリーニ通り沿いにあった。

 オフィスを構える八階建てのビル付近には、身なりのいいビジネスマンが大勢行き交っている。

 エレベーターで五階に上がると、ロマーネコンタルと大きく書かれた会社名をバックに半円形の受付カウンターがあって、とびきり美人の受付嬢が三人、座っていた。

 ガラス張りのオフィス空間は広く、スーツを着た社員達がパソコンに向かったり、クライアントを接待したりする様子がある。観葉植物も所々に配置され、照明のデザインにも凝ったお洒落なオフィスだ。

 至極真っ当な一流企業に見える。とても闇金融に携わっているとは思えない。

 アメデオは内心驚きながら、受付嬢の一人に話しかけた。

「失礼。社長に面会の約束をしている、カラビニエリのアメデオ大佐とフィオナ・マデルナだ」

 アメデオが身分証を提示すると、受付嬢は柔らかな笑顔で答えた。

「はい、承っております。今、迎えの者を呼びますので、少々お待ち下さい」

 受付嬢が社内電話でアメデオ達の来社を告げている。

 暫くすると、高身長で爽やかな笑顔の青年がやって来た。

「お待たせしました。私は社長秘書のロメロ・チェーヴァと申します。どうぞこちらへ」

 彼の案内に従って広い通路を通り、奥へと進む。

 ロメロは社長室と書かれたドアをノックした。

「社長、アメデオ大佐とフィオナ様がお越しです」

「通してくれ」

「はい」

 ロメロは恭しくドアを開けた。

「君は下がっていなさい」

「畏まりました」

 ロメロが会釈して去って行く。

 アメデオとフィオナは開け放たれたドアから社長室の中へ入った。

 オフホワイトの壁にモスグリーンのカーペット、重厚な革張りのソファセット。大きな窓からはローマ市内の展望が見えている。

 正面には大きなデスクがあり、ゆったりとした背凭せもたれ椅子に腰掛けていたバジーリオ・ベルトロットが立ち上がった。

 細い銀色の縦縞模様の入った紺のスーツを着、ブロンドの髪をオールバックにした、ハンサムで細身の男性だ。

 銀色のフレームの眼鏡をかけ、いかにも切れ者といった印象がする。

 資料によれば、バジーリオは四十三歳。

 イタリア大統領や欧州中央銀行総裁、チェーザレ・ボルジアなど錚々そうそうたる面々を輩出したローマ・ラ・サピエンツァ大学出身のエリートだ。

 所謂経済マフィアというやつである。

 バジーリオはしなやかな身のこなしでアメデオ達の側にやって来た。

「貴方がアメデオ大佐ですか。ご高名は伺っております」

「うむ」

「ボクはフィオナ・マデルナ。大佐の付き添いだよ」

「ローマ警察のフィオナ様ですね。宜しくお願いします。私が会社代表のバジーリオ・ベルトロットです」

 バジーリオは二人と握手を交わし、ソファを勧めた。

 そして壁際のエスプレッソマシーンで三つのコーヒーを淹れ、テーブルに置いた。

「ラバッツァのエスプレッソです。どうぞ」

 高級豆だと言いたいらしい。勧められるままに一口飲んでみる。華やかなアロマと酸味のある味わいが絶品だ。

「確かに、美味い」

「有り難うございます」

 バジーリオも余裕の表情でコーヒーを一口飲んだ。

「それで……本日はどのようなご用件ですか」

「分かり切っているだろう。バンデーラの片腕さん」

 アメデオの言葉に、バジーリオは片眉を上げ、怪訝な表情をした。

「会長の件ですか。それなら警察に全てお話ししましたよ。犯人は分かっているんでしょう?」

「実行犯はな。しかし俺は疑っているんだよ」

「疑うとは、何をです?」

「誰かが実行犯のオズヴァルド・コッツィに依頼して、バンデーラを殺させたんじゃないかとね」

「ほう……。例えば?」

「例えばだ。バンデーラを殺せば得をする奴がいて、そいつが大金持ちだとする。そうだとしたら、金を積んででもバンデーラを殺したくなったとしても、おかしくはないんじゃないかな?」

「成る程。具体的な考えはおありですか?」

「例えばアンタだ。アンタはバンデーラの片腕だった。実質、一家のナンバーツーだ。それに潤沢な資金もある。そうなると、バンデーラが邪魔ではないかな? 彼が死ねば自分がボスになれる訳だからな」

 アメデオは疑い深そうなねっとりとした口調で言った。

「要するに、私を疑っている訳ですね」

「まあな、第一候補だ」

「それは大間違いです。私はボスを殺すなんて、考えたこともありませんよ。

 第一、一家はボスの強い求心力で結びついていたんです。それだけボスはカリスマ的な存在でしたし、そのカリスマが私を片腕に任命したからこそ、今の地位にこられた。ボスがいなくなって困るのは、寧ろ私なんですよ。

 実際、一家の求心力は無くなり、皆、バラバラにボスの座を巡って争い出している。私はそういう荒事には向かない性質です。自分の命の方が心配ですよ」

「はん。何を善人ぶっているんだ。アンタが影で高利貸しに顧客を紹介して上前をねていることぐらい、こっちは百も承知なんだ。そうやって破滅させた人間が何人いると思ってる。今更、善人ぶるなよ」

「いえいえ、私の本音をお話ししたまでです。

 アメデオ大佐殿は随分と切れ者でいらっしゃる。ですから私を試しておられるのでしょう。ですが生憎、私は提供できるような情報は持ち合わせていないんです」

 バジーリオは真面目な顔で言った。

(試しているだと? どういう意味だ?)

 アメデオの頭に疑問符が飛び交ったが、ここは適当に合わせておくしかない。

「ふっ。それで?」

 アメデオは余裕の表情を作り、コーヒーをすすった。

「金を介した依頼殺人だなんて、私をからかっておられるのでしょう。

 犯人のオズヴァルド・コッツィは、会長の殺害に見事成功した訳ですが、どうしてその後、金を受け取りもせずに自殺したんです? 金が目的なら、金を受け取りに行く筈でしょう?

 犯人は余命宣告されていたと聞きますから、死ぬまでの間、受け取った金を使ってパッと遊ぶとか、治療費にあてるとか……それなら分かりますが、彼はそのまま自殺したんですよ。仮に幾ばくかの前金を受け取っていたとしてもです。何故、残りの報酬を貰わなかったんです? 金目当てで殺人の依頼を引き受けたなんて、論理的に矛盾していませんか?」

 そう言われてアメデオはドキリとした。

 確かにそうだ。

 大金を貰う為に殺人を成功させたのなら、金を受け取らない道理がない。

 アメデオは小さく咳をして、自分の狼狽ろうばいを隠した。

「なら、アンタは何が動機だと思うんだ?」

「……やはり貴方は噂通り、切れ者でいらっしゃる。私が独自に犯人捜しをしていることを既にご存知なのですね……」

 バジーリオは噛み締めるように言った。

(いや、全く知らんが)

 アメデオはそう思いながらも、フン、と鼻を鳴らした。

「当然だ。カラビニエリを甘く見るんじゃない」

「この際ですから、ハッキリ言っておきましょう。まず、私は殺しとは無関係です。

 今の私にとって大事なことは、この事件に潜んでいるだろう黒幕を暴き、ボスの敵討ちをすることで、一家の貢献者となることです。

 オズヴァルド・コッツィに殺人を犯させた者がいるとすれば、私はそれは金絡みではなく情絡みだと解釈しています」

「何故そう思うんだ」

「自分に不利益になるかも知れないことを人が犯す理由なんて、三つしかありませんよ。金、情、怨恨です。そうでしょう?」

「そうだな。三大動機だ」

「しかし、金目当てなら辻褄が合わない。ですので、怨恨の線をあたりました。組織のメンバーを徹底的に調べ、オズヴァルドと接触した者を探そうと試みたのです。しかし、見つからなかった。全員シロでした。

 次に私はオズヴァルドの周辺を調べました。ですが、ボスに対して恨みを持つような事情は見つかりませんでした。

 だとしたら情でしょう。愛情や家族愛。そうしたものを脅かされれば、人は殺しだってする可能性があります」

「成る程……」

 すっかり納得させられたアメデオの隣で、フィオナが小さく噴き出し笑いをした。

 アメデオは羞恥にカッとした。

(お前……っ。お前もそこまで分かっていたんだな! 分かっていて、今まで俺に黙っていやがったのか!)

 アメデオは心を落ち着かせようとコーヒーを飲み、腕組みをした。

「で、どうなんだ。情の線で何が分かったんだ」

「私がそれを喋ったとして、それが真犯人の逮捕に繋がったとしたら、カラビニエリへの協力者として私の名をあげてくれますか?」

「アンタの名を?」

「ええ。仮に私が真犯人に辿り着いたとします。マフィアの道理からすれば、そいつの命を取るのが正しいということになる。

 ですが、私はそうした犯罪はしたくない。ただ、私が犯人逮捕に貢献したという事実を明らかにして頂きたいのです」

「まあ、それぐらいはいいだろうよ」

 アメデオは鷹揚おうように答えた。それで貴重な情報が得られるなら安いものだ。

 眉間に皺を寄せ、バジーリオをじっと見詰める。

 バジーリオは大きく溜息を吐き、覚悟の表情をした。

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2024年9月21日 12:00
2024年9月22日 12:00

バチカン奇跡調査官 藤木稟 @FUJIKI_RIN

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