夏に置いてきた写真
時輪めぐる
夏に置いてきた写真
ああ、そうそう。
私は、懐かしく室内を見回した。
長らく帰っていなかった実家の自分の部屋。
都会の大学に進学し、そのまま現地で就職した私は、ようやく帰省する時間が出来た。
カーテン越しに夕日が差し込む、私の部屋は、何一つ欠けもせず、増えもせず、出て行ったそのままだった。壁には、当時好きだったアイドルのポスター。夢中になったコミックや文庫本のぎっしり並んだ本棚。ほのかに香るのは、凝っていたアロマオイル。青春時代の残骸に、知らず顔が綻んだ。机の上には、フォトスタンドに飾られた写真が置いてある。数年前、夏に帰省した折に行った、家族旅行の写真だ。
机の前に座って、思い出す。
最後に帰省したのは、確か、大学三年生。この家族旅行の年の冬だ。あの後は、就活だの卒論だので忙しく、卒業の後は、新社会人として奮闘の毎日だった。忙しくて、忙しくて、忙しくて。早く、使える女、稼げる女になりたかった。残業も休日出勤も、全部自分の向上に繋がると信じて疑わずに。
うん、うん、頑張ったよ、私。
階段を下りて、母を探す。
母は、仏間に居た。丸くなった背中を更に丸めて、仏壇の前に座っている。白髪も増えて、随分小さくなったなぁと思う。
仏壇の前には精霊棚。霊膳や積み団子、果物や菓子などが、これでもかと飾り付けてあり、一番上の段には、お位牌が置かれている。
仏壇の横には盆提灯が一対、儚げに灯っていた。
花柄で綺麗だけど、何だか寂しいね。
私は、今日からお盆だったことを思い出した。
父の死に目には会えなかった。
大学三年生の冬のことだった。母からの連絡を受けて、取るものも取り敢えず、帰省した。会社で倒れ救急搬送されたが、意識は戻らず、そのまま亡くなった。脳溢血だった。
あまりにも、突然で呆気なく、寒々とした霊安室で父の亡骸を前にしても、現実感が無かったのを覚えている。涙は出なかった。母も呆けたように父の横たわるベッドの横に立ち尽くしていた。悲しみが深過ぎると、涙は出ない事を知った。
父が家に運ばれてから、ようやく、母と私は二人で抱き合い、号泣した。その後は、葬儀だの納骨だのでバタバタとして、よく覚えていない。
私は一人っ子だったので、母を此処に一人置いていくのは忍びなかったが、大学も、そうそう休んではいられない。父が亡くなったことで、学費や生活費の事も、自分で何とかしなければならなくなった。奨学金を借りる手続きをした。
「お父さん」
私は、精霊棚に飾られた位牌に声を掛ける。
「アケミ、おかえり」
父の声が背後で答える。
「ただいま」
私の部屋の机の上に置いてある家族写真は、K県のK谷を背景に撮ったものだ。K谷は、地獄になぞらえることもある名勝だ。
家族で写真を撮ろうとした時、『不思議な写真屋』と書かれた看板を持つ赤黒い顔の男が、声を掛けてきた。プロのカメラマンだというが、やたらとマッチョでガタイがいい。
カメラより金棒が似合いそうな男だった。
「此処で、ご希望の方の記念撮影を承っております」
容貌に似合わず、丁寧な物言いをする。
「どのへんが、不思議なんですか?」
思わず訊ねてしまった私に、男はクルクル巻き毛の黒髪を揺らして笑いながら、それは先のお楽しみと言った。左右の犬歯がキラリと輝く。
何が不思議かは分からなかったが、値段も手頃だったし、折角なので、記念写真を撮ってもらおうという事になった。
今、写真に写っているのは、右端で笑う母だけだ。左端の父と真ん中の私の姿は消えている。
写真を抜け出した父と私は、母の両隣りに座った。
「お母さん、ただいま」
母には届かない声で呼びかける。
母は、ぼんやりと位牌を見詰めている。
その時、居間に置いてある電話が鳴った。
たぶん、警察からだろう。
私は、昨夜、死亡した。
今日の午後、会社の同僚が、私の自宅である賃貸アパートを訪問して発見した。クモ膜下出血だった。まだ二十代だった。
「お母さん、ごめんね」
私は申し訳ない気持ちで一杯になった。
通話を終えた母は、電話口で膝を突いている。その手の受話器は戻されず、床に転がった。と同時に、母の体は、ゆらりと大きく揺れて正座のまま前に突っ伏す。
「お母さん! お父さん、お母さんが!」
父は、悲しげに首を振った。
「心臓麻痺だ。ショックだったんだな」
「なんてこと……」
お盆に逝ってしまうなんて。
父と私は、なすすべも無く立ち尽くしていた。
ややあって、トントンと階段を下りる足音がして、振り向くと母が居た。
「なんだ。お父さんもアケミも、帰っていたのね。良かった、会えて」
母は嬉しそうに笑った。
二階の私の部屋の家族写真から、母の姿も消えた。ただ地獄の様なK谷だけが写っていた。
『不思議な写真屋』の不思議を、私達は理解した。
夏に置いてきた写真 時輪めぐる @kanariesku
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