9.豪華なプリン・ア・ラ・モード
「お母さんに懲役五年の実刑が下されたって。麻里衣は命に別状はなかったけど、あのナイフが護身用とは判断されなかったのと、これまでの児童虐待の分と動機に同情の余地がなかった分で、執行猶予付きにはならなかった」
「そう、ですか」
そう瞳さんに説明されても、あたしには母親に対して何の感情も湧いてこない。あたしはあの時、気付かなかった。麻里衣があたしを心配して店から出てきていたのを。事件から二ヶ月が経つというのに、その事実が心に暗い影を作っている。
「麻里衣はもうすっかり快復したんだよ。それでも元気は出ない?」
「……あたし、麻里衣が出てきたことに気付いてなくて……。ママだって、あたしが家から逃げなければあんなこと……。あたしも何か罰を受けるべきなんです、きっと」
八月の喧騒が過ぎ去ったカフェを、閉店後の静けさが支配する。「お姉ちゃん……」とキッチンから麻里衣の小さな声が聞こえる。同じテーブルに着く瞳さんと亮平さんの心配そうな視線が刺さるけれど、反応することができない。
「……いや、愛美は被害者だ。恫喝されていたんだから。あの事件のあと子供たちを気にかけるようなことも言ってないみたいだし」
「どうかつ?」
「恐怖を与えられて、脅されていたってこと。仮に愛美がお母さんに怪我を負わせていたとしても、おそらく正当防衛……ええと、自分の身を守るためにやむを得ず行ったことだと判断される可能性が高い。だから、罰なんて受けなくていいんだ」
淡々と説明する瞳さんの横で亮平さんはぽりぽりと頭をかく仕草をしてから、「そうだよ」と続けた。
「その、お母さんを悪く言うようで悪いんだけど、子供たちを心配するようなことを言っているならともかく自分のことしか考えていないようでね……」
「えっと、それは……何となくわかります」
あたしが答えると、亮平さんはきまり悪そうにまた頭をかいた。
「僕はね、思うんだよ。きみが麻里衣ちゃんを思うように、麻里衣ちゃんもきみを思っているって」
瞳さんと麻里衣が、亮平さんの言葉にうんうんとうなずく。それから、キッチンから出てきた麻里衣が話し始めた。
「そうよ。ねえ、お姉ちゃん」
「ん?」
「あたしあの時、お姉ちゃんと瞳さんを守ることができたんだよ。もっと褒めてほしいな」
「そ、そんなの、褒められることじゃないでしょ、怪我したんだから! あたしがどれだけ心配したと……!」
「その心配を、あたしはパントリーでしてたの。きっとお姉ちゃんは、あたしにパントリーに逃げてほしいって思ってるってわかったから。そうしたら外に出ていっちゃうんだもん」
「……だって、麻里衣とお店が心配で……引き離そうと思って」
「愛美、そういうことだよ。双方で心配してたんだ。お互い様ってやつ」
麻里衣が運んできたアイスティーをストローで飲んでから、瞳さんが言う。
「そ、うだけどっ……、危ないことはしないでほしい……」
「ん、そうだね。危ないことはしたらだめだよ」
瞳さんの言葉に、麻里衣が肩をすくめて「はい」と返事をする。
「……ね、お姉ちゃんの夢って、何?」
「なに、突然。夢なんて……、わかんないな……」
「前に、お姉ちゃんなら何にでもなれるって言ったの、嘘じゃないよ。本当に思ってるんだから」
「きっとこれから見つかるよ。見つける手伝いくらいは僕にもできるからね」
麻里衣の問いへの答えを柔らかく受け止めてくれた亮平さんにうなずくと、瞳さんがふふふと優しく笑う。
「じゃ、プリン・ア・ラ・モードでも作るか。愛美、ちょっと手伝って」
そうして立ち上がった瞳さんは、あたしの肩にぽんと手を置いてからキッチンへと向かった。
「はい」
被害者と言われてもピンとこない。ママにあんなことをさせてしまったという負い目はまだある。でも、ヒリヒリした緊張感に満ちたあの生活を変えることができたと思うと、少しだけ心に余裕が生まれてくる。逃げ出す前の日に食べた黄桃を、瞳さんが豪華なプリン・ア・ラ・モードに変えてくれたみたいに。
あたしは心配されるような人間で、大事に思う人も増えている。その事実もうれしい。
「亮平がこれからがんばるから、愛美は何も考えなくていい」
「……はい」
「でも、何かしたいことがあったら言うんだよ。泣いたり笑ったりも、素直にすること。いいね?」
「はい」と返事をしながら冷蔵庫から缶詰を出して瞳さんに渡すと、「さんきゅ」という短い言葉と笑顔が返ってきた。
◇
ママの事件から二年が経った。あたしと麻里衣は事件のあと、亮平さんと瞳さん夫婦の養子になることができた。特別養子縁組というらしい。亮平さん――と呼ぶと今は怒られるけれど――が俄然やる気になって、家庭裁判所への申請手続きなどを素早く進めてくれたおかげで、一緒に暮らすことができている。ママが実刑判決を受けたのも、あたしたちにとってはいい方に作用した。唯一の保護者が塀の中に入ってしまったのだから。
ある日、あたしはスマートフォンでメッセージを送った。
『お父さん、早く帰ってきて。もうすぐ夕食になるよ。おなかすいたでしょ』
『うん。もう事務所出たから、なるべく急ぐよ』
すぐに返信が来るのがうれしくて、顔が笑ってしまうのをこらえながら返信の文字を打つ。
『明日は朝から夏期講習がある日だから、早く寝ないと。授業がきつくて大変なの』
『そうか。愛美はいつもがんばってるな』
中学校は何とか卒業できるということがわかった時、「亮平さんみたいな弁護士になって不幸な子供たちを一人でも多く救いたい」という途方もない夢を、あたしは話した。彼は喜んでくれて、そのためなら何でもしてやるとまで言っていた。おかげであたしは学習塾に通うことができ、お金や食事の心配をする必要のない生活を送っている。
いつか見た月は今も変わらず規則的に空に姿を現し、役目を終えると沈んでいく。ママと麻里衣の三人で暮らしていた街でも、この街でも、きっと何もかもを見ていただろう。麻里衣も普通の女子高生になって友達とも仲良くやれているから、月は安心しているかもしれない。
「愛美、ちょっと手伝って」
「はーい。お母さん、何作るの?」
「デザートのプリン・ア・ラ・モードの準備しようと思って。店で余ったプリンがあるから」
「じゃあ生クリームと砂糖……あ、黄桃とか切っておく?」
「そうだね。冷蔵庫に入ってるよ」
冷蔵庫から冷えた缶詰を取り出して缶の蓋を開けると、あたしは菜箸で白いまな板の上につるりと丸い黄桃を滑らせた。
穢月祓 ―ミナツキハラエ―(改訂版) 祐里 @yukie_miumiu
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