3.それぞれの理由


「こんなに強く降るなんて。風も強くなってきたね」

「そうですね。明日は……」

「予報では今日中に止むらしいけど」

 麻里衣は二階の部屋で寝ている。食事が終わってからやってきたひどい生理痛で顔色も悪かったため、薬を飲ませて布団に入ったところだ。

「ねえ、聞いておかないといけないことがあるんだ」

「……はい」

「食事もらえない以外の、逃げてきた理由、詳しく」

 そろそろ聞かれる頃かもしれないと思ってはいても、瞳さんの直球の質問には、お腹の底がひゅっと冷たくなった。うまく答えられるか不安になる。でもとにかく何か話さないといけないと、頭の中で懸命に考える。

「……麻里衣を、守るために……」

「麻里衣が虐待でもされてた?」

「いえ……あ、あたし、が」

「誰に?」

「……ママ」

 小声の返答は窓ガラスを叩きつける雨の音にかき消されずに伝わったようで、瞳さんが眉根を寄せる。

「怪我はなさそうだけど、見えないところ?」

「殴られる、とか、ではなく……、は、裸の写真を撮られてて……」

 そのあとの言葉を、あたしは言うことができなかった。口にしようとすると、汚れている自分への恥ずかしさで今すぐ消えてしまいたい気分になる。

「はぁ……、そういうこと。で、麻里衣の方は?」

「麻里衣は、まだそういうことはなくて、でもそのうち体を売れって言われるかもと思うと……」

「そっか。あんたたちまだ未成年だからさ、どうしようかと思って」

 瞳さんの言う「どうしよう」は、『家に戻される』『養護施設に預けられる』という選択肢しかないのだろう下を向いて唇を噛む。あたしはこんなことくらいしかできない、本当に無力な存在だ。しかし、瞳さんの次の言葉は予想外のものだった。

「私は二人ともここにいてほしいんだ。さて、どういう方法が一番いいかな」

「えっ、二人ともここに、って……本当に……?」

 瞳さんは片眉を上げ、きっぱりと「本当だよ」と言った。台風のような強風で、時々建物が揺れるのを感じる。こういう恐怖も瞳さんと一緒にいることでかき消されるのだと気付く。

「でさ、私があんたたちを置いておきたいと思う理由だけど」

「あ、はい」

「私ね、流産したんだ。実の母親に階段から落とされて」

「……えっ……?」

「妊娠して幸せそうにしてるのが気に入らないなんて、くだらない理由だった。それが原因で子供ができにくくなって、夫とも別れて、一人でやってるんだよ。生きていればあんたたちと同じくらいの年齢だね。十五年前だったから」

「そうなんですか……」

「今は気楽に生活できてるからいいんだ。ただ、あんたたちのことは放っておけなくて。……流れてしまった子への罪滅ぼしを、あんたたちを使って、したいだけなのかもしれないけどね」

 視線を落としてぼそぼそとしゃべる瞳さんに何と声をかけていいかわからず、黙り込む。罪滅ぼしに使われるのは、裸の写真を売って生きていくという罪を作るより、よほどましなように思える。でも、そんなことは言えない。汚れている自分の罪と比べることではない気がするから。

 ママには今日中に電話しないといけない。捜索願なんて出されてしまったら――捜索願がどういうものなのか詳しくはわからないけれど――外に出られなくなってしまうかもしれない。

「……あの、瞳さん、すみません……電話貸してください」

「ん。そばにいてやろうか? それとも離れてた方がいい? 店の電話でもスマホでも、どっちでもいいよ」

「一人で、話します」

「それならパントリー入ったところで、スマホで話してくるといいよ。麻里衣は? いなくていいの?」

「……一人で何とかできるので」

 あたしがそう言うと瞳さんはぱっと顔を上げ、明るい声で「雨が上がったら外に行ってみようか」と言い出した。

「あ、はい」

「麻里衣が起きたら三人で」

「はい」

 瞳さんが調べた天気予報によると、雨はあと一時間くらいで上がる見込みだという。「これを信用すれば、だけどね」という言葉とともに天気予報を表示させたままのスマートフォンをぽんと渡され、手に重みと温かみを感じる。

「ああ、ごめん、ちょっと待って」

 瞳さんは一旦スマートフォンをあたしの手から取り、電話の画面を表示させてからまた持たせてくれた。

「こっちの番号が出ないように『184』って打ってあるから、そのあとに番号入れて。じゃ、パントリー行ってきな。待ってるよ」

「ありがとう、ございます」

 何でだかあたしは、そんな言葉のやり取りで泣きそうになった。


 ママのスマートフォンの番号は、そんなに電話したこともないのにしっかり覚えていた。学校の先生に聞かれた時のために、筆箱にいつも番号を書いたメモ用紙を入れておいたからかもしれない。指が震えるけれど、嫌がる心を押さえ付けながら電話番号を入力する。

「……もしもし」

『誰?』

「ママ、あの……」

『え、もしかして愛美? あんた何やってんの』

 ママの声は意外にも落ち着いている。それがかえって緊張感をもたらし、言葉に詰まってしまう。

「え、っと……」

『週末までには帰ってきなよ。写真撮るから』

「あ……、うん」

『友達のとこにでもいんの? 麻里衣がやられないように気を付けといて』

「……わかった」

『あんたも体に傷付けないように気を付けるのよ』

「う、うん」

 そう言うと、ママはすぐに電話を終わらせてしまった。あっさり終了した会話に拍子抜けしてしまい、「はぁ」とため息が出る。

 しばらくその場で立ったまま呆けていると「愛美?」と心配そうな声が聞こえた。

「終わりました。瞳さん、電話ありがとうございました」

「大丈夫だった? なんて言われた?」

「……週末には帰るように……」

「週末って、今日は火曜日だから、四日後?」

 四日間。瞳さんが許してくれれば、その間はここにいられる。あたしはそれでいい、麻里衣だけは守ろうと改めて自分に言い聞かせる。

「水、木、金、土……四日ですね」

「それまでいられるんだよね?」

「はい」

「ん、わかった」

 瞳さんが「それまで賑やかになるんだな」と笑った。四日後になんか、ならなければいいのに。

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