良い物語とは、読者の心を動かし、時にその行動を変える力を持つものだと思います。
この作品はまさにそうした力を持っていました。
僕は読後、もう一度「学生運動とは何か」を自分なりに調べ直し、再びこの物語に戻ってきたのです——。
そしてもう一つあるとするならば、この話を自分事に出来たのは、今読むべき話だったからだと思います。
まず初めに、学生運動はなぜ起きたのか。
高度経済成長によって社会が変化し、ベトナム戦争や大学の学費値上げ、それによる政治への関心の高まりなど、日本人は明らかに新しい意識を持つ必要が出てきました。
それは彼らの日常とは切っても切れないものであり、学生運動自体は、彼らの日常を守るために必要だったのだろうと思います。
このことから、社会の変化とすり合わせによって起こる摩擦で起きた熱に呼応するように起きたムーブメントの一つが学生運動だったのだと僕は推測しました。
この物語は、兄と妹の日常が書かれています。
時代による流行が違うだけで、彼らの生活は今と地続きです。人間の本質は変わっていません。あえて言うことがあるとすれば、これが学生運動によって奪われた者に光を当てた作品で、その痛みは現代にも流れていることを感じられることです。
なぜ、この痛みが現代にも流れていると感じたのか。
それは、もともと日常を守ろうとしていた善良な人たちが、一部とはいえ突然、過激化してしまったからです。
こうした変化は、60年代だけに限らず、今の社会にも通じる課題ではないでしょうか。
そして、学生運動後にも、日本はカルト宗教の事件や首相暗殺など、社会を変えようとする動きがありました。結果論としてはあってはならないことではありますが、自分たちの生活や将来が悪い方向へ進みそうなときに、何とかして変えたいと思う気持ち自体は間違っていないと思います。
実際に、学生運動を経験した人たちの中で、過激になっていく仲間に嫌気がさして離れたという人もいます。こうした『仲間から離れる選択』があったことは、運動そのものを単純に肯定も否定もできないことを示しています。
それこそ、2025年7月16日時点はちょうど選挙期間中で、これからの日本の未来を左右する大事な時期でもあります。
ネット上では玉石混交な情報が飛び交っていますが、実際にあった過去は無くなりません。僕は、こういった本質的な出来事をもう一度見直すことが、自分たちにとって一番大事なことなんじゃないかと思いました。
歴史はただ学ぶものではなく、自分自身の現在地を問い直す手がかりになります。
この作品は、まさにその役割を果たしてくれる一作でした。
ご一読をおすすめします。