魔王様とパティシエール

梅干しいり豆茶

第一部

プロローグ前編:クッキーと異世界転移

「質問です。貴方は、異世界転移をしたことがありますか?」

 

 正解は『この問いを出した人の頭を心配する』だろう。

 この問いに対し、真剣に答えようとしたり、あまつさえ『うん、あるある! いきなり呼び出して、魔王を倒せとか、異世界の奴って勝手だよな~!』とか語られたら、私は当たり障りのない笑みで、貴方との心の距離をグンと延ばしていただろう。……少し前までは。


 今、私の眼前には『魔王様』と呼ばれている御仁が居る。

 整いすぎといっても過言ではない顔立ちが、淡い水色の虹彩を持つ切れ長な目の威厳を益している。真っ直ぐに伸ばされた、艶やかな光を帯びている青鈍の髪を、後ろで一纏めにしていた。

 それだけでも、現実離れしすぎて実にけしからん姿だが、もっと非現実的な箇所がある。


 幾許か白い肌の額には、二本の小角。やや後方へ伸びるように尖った耳。

 その特徴が小さい頃に読んだマンガなどで知った『魔族』という種族を思い出させる。

 

 ──……これは……本当に、本物の……『魔王』……なんだろうか……?


 少々焦りを感じつつも、想像より綺麗すぎる魔族像に、私は観察を続けてしまう。


 軍服を連想させる、カッチリとしたロングジャケットかコートは、薄らと模様が見え隠れする高級そうな黒い生地で、床近くにある裾が揺らいでいる。黒いシャツの襟元にあるスカーフ──貴族の装飾タイであるジャボだかクラバットだかいう物だろうか──中央には、紋章らしき金の土台に大きな宝石が填まっているブローチが、ペンと分銅を合わせたような飾りが幾つか垂れ下がっている胸元の装飾品と、幾重にも重なる、弛んだ細い鎖で繋がっていた。

 その身形は、ゴシック系ファッションを彷彿とさせるが、着ている者の風格によってか、生地の良さか、将又はたまたその両方か。洗練された荘厳さを感じさせ、この世界に於ける高雅な服装だという認識へと変化させている。


 などと熟視している私は、先程まで生死を彷徨っていた。

 あまりの苦しさに、現状打破すべく足掻いていたのだが、いつの間にか気を失ったのだろう。気が付くと、何故か天蓋付きベッドに横たわっているという状態だった。

 急激な環境の変化に、頭が矜羯羅こんがらがり、今は現実逃避をしている有様だ。


 『魔王様』と呼ばれている者は側近らしき者を脇に、十数人──『人』といっていいのか分からないが──の兵士を背後に伴い、ベッドの側から食い入るように、こちらを窺っている。

 ベッドの傍らにはもう一人、袖がなく丈の長い、全身をゆったり覆う釣鐘型の黒い服──ローブというよりは、クロークというんだろうか──を身に纏った白髪の翁が何かを探っているのか、私の方に手を伸ばして目を瞑り、沈思黙考しているのか、微動だにしない。

 何だか白髪の翁の手から、光る物が見えるような気がするので、魔法か何かを使っているのだろうか。勝手に体を探られていると思うとあまり良い気はしないが、雰囲気的に動くのも視線を外すことも躊躇われる、よく分からない状況下にいる私は、視線先の存在を分析し続けるしかないのだ。

 と、白髪の翁が漸く目を開き、私に翳していた手を戻して『魔王様』へと向き直り、頭を垂れて口を開いた。


「もう大丈夫でしょう。……魔王様」

「ああ、ご苦労」


 『魔王様』と呼ばれた男が白髪の翁に声を掛けると、その横にいた側近が後方へ視線を向け、何やら合図を出したらしい。それを切掛に、兵士達も白髪の翁と共にベッドから離れ、扉の前で会釈して部屋から出て行く。

 『魔王様』は私から視線を動かさず、徐に話し掛けてきた。


「……私の部下が、樽に入ったお前を発見した。……変わった旅をしていたようだな」

「好きで、樽に入ってた訳じゃないですが……。わざわざ保護して下さって、有り難うございます」


 助けてくれたのかと理解した私はベッドから起き上がり、お礼の為に頭を下げようとする。と、魔王と呼ばれる男がそれを制し、まだ横になっているよう促す。

 魔王というのは創作物でしか知らないが、世界を支配しようとする存在だと思っていた。だが実際には、気を失った私を救助したり、体調にも気を遣ったりと、妙に優しくて吃驚させられる。お礼に『魔王様』と呼ぶことにしよう。


 魔王様の話によると、樽に閉じ込められた私は海を流離い、城近くの海岸へ打ち上げられたらしい。


「……この大陸に着岸するはずはないのだが……」


 よく分からないが、この大陸は魔王様と少数の部下がひっそり暮らす、世界に知られていない大陸らしい。潮の流れを密に操作し、生物は近海にも辿り着けないそうだ。


 ……ということは、私はゴミか?!


 勝手な妄想で、突然憤慨し出す私を余所に、魔王様は私の素性と事の顛末を尋ねてきた。


「私は異世界人らしいです」

「……は?!」


 衝撃的すぎる大暴露に、魔王様と側近は驚きのあまりか、大口を開けて私を刮目する。


 ……いや、医者を呼び戻さなくていい。大丈夫だよ、頭、おかしくないから。

 ヒソヒソこっちを窺いながら、話をするなっ!


「……丸罰高校一年、在学。氏名、九石さざらし史帆しほ。性別、女。趣味は菓子作り。家は総菜屋……って、通じます?」

「……こう……いね……ざが……? ……しづくり……? 性別は分かるが……。……そーざ? ああ、副菜を売っているのか……然し……。『かし』とは……?」


 魔王様は、聞いたことがない単語の羅列に頭を捻るが、まだ、私の脳を疑っているらしい。

 総菜を理解してもらえたのは幸いだが、私としては『菓子作り』という概念がないことが、かなりの失望落胆だ。


「……いや、実はですね……」


 私は気を失うまでの出来事を、魔王様に語り始めた。



* * *



 【菓子作り──お菓子、スイーツなどの、主に甘い食べ物である嗜好品を自分で作ること。一般的に『お菓子作り』という】


 私が趣味を『作り』といっているのは『お菓子』や『スイーツ』から、いささか主観的ではあるが『愛くるしい、守りたくなる、レースやフリルが似合う』といった『可愛らしい女のコ』を連想してしまい、自身との差にくすぐったいようなむず痒いような、落ち着かない気持ちになるからだ。

 だが、菓子作りだけに関しては、質の向上や再構築に新たな品など、情報収集に余念がない。

 凶器になるであろう分厚い本の中は、薄い紙一枚に多量の文字をこれでもかと詰め込んだ、嫌がらせかとツッコみたくなるようなものでも、菓子のためならば自ら読み進め、更なる知識を渇望するあまり、何でも菓子作りに変換して考える癖が付いてしまう程に、ハマっていた。


 『菓子作り』という表現は、そんな背景による、私なりの抵抗である。


 本来は無精者で、詮索や干渉に抵抗を感じるのだが、少々気が短いせいか面倒に巻き込まれると、考える前に行動していたと後で気付く、若干直情径行な面も持ち合わせている。

 中学時代は諸事情により、瘴気渦巻く奈落の底でよどんだ生活を送っていたのだが、知人のいない高校では、平穏無事なスクールライフを堪能していた。

 私の作る菓子は、材料費で購入出来る市販品よりは、ずっと美味い。

 自分でいうのも烏滸おこがましいが『材料費の倍以上払うから』と請われる周囲の反応からも、それは明らかだろう。

 金が掛かる趣味だが、それのお陰で更に趣味に掛ける金銭が得られていた。──税金が掛かるほどは稼いでいない。念の為。


 そんな私は先日、自宅の台所でクッキーを焼いていた。

 当然、地球という惑星で、国は日本だ。

 このクッキーが、過去最高といえるほどに上手く作れたのだ。普段の味を求める友達へ自慢したくなるのも道理だろう。

 浮かれながら、譲る分を密閉袋に詰めて学校の鞄へ入れたその時、いつの間にか部屋が、広大な真っ白い空間へと変貌していることに気付いた。


 冷たく、白地に薄らと模様のある大理石のような石が敷き詰められている床には、椅子一つ、無い。

 ただその床には、巨大な円形と文字や記号のような模様──恐らく魔法陣と思われる図形が描かれており、私はその図の丁度中央に、鞄を閉める体勢のまま座っていた。

 四方を囲む白い壁は、異常なほど高い天井まで伸びており、模様を象った柱が等間隔に立ち並んでいる。

 広さのわりに圧迫感がある空間だ。


(……ここは……!? ……私の部屋は……?!)


 自室が、今居る空間に吸収されたのか、侵食されたのか。私は有り得ない状況に混乱し、黙考する。

 そもそも、この部屋から出た外は元の町並みなのか? といってもこれほどの広い空間だ。周囲の家が何軒か、同じ目に遭っているのではないだろうか。

 もうすぐ夕飯と思われる時刻。

 周囲にあった全ての家に人がいなかったとはとても思えないのだが、ここには私……と、コスプレだろうか? 趣味が高じた外出着なのだろうか? あまり目にしない服装をした人物しか、いない。


(……あれ? そういえば、扉がない?)


 ここから出て、外からこの空間を眺めたくなった私に、新たな問題が発生する。

 魔法陣の中心で辺りを見回す私の元に、先程のコスプレか何か──レースのスカーフが胸元から見える、金の刺繍が施された白地の豪華なマントに身を包んだ人物が、マントに付いているフードを目深に被り、ゆっくりと近付いてきた。


「異世界の者よ。我が願いを叶えよ……!」

「嫌です」


 高くもなく低くもない、透き通った中性的という印象の綺麗な声が響いてくる。が、どうにも話し方が高飛車だ。


 初対面の人間に、いきなりその態度はないだろう。

 物を頼むなら、もっと友好的な態度か、頼むなりの姿勢で話し掛けるべきではないだろうか。

 そもそも私も困っており、頼んでどうにかなるのなら、腰を低くして頼むだろう。


 『異世界人』という独特の単語よりも唐突に上から物を言われ、少々腹に据えかねた私は咄嗟に否定の言葉を返す。

 まさかその反応を予測していなかったのか、命令口調で物を頼む偉そうな人物は、口を開けたまま黙り込む。


 ……小学校でも通知表に『よく考えてから行動しましょう』って書かれてたよな……。


 私を『異世界人』という見知らぬ不審人物から反感を買うのは、どう考えてもまずいだろう。

 何せ、いきなりよく分からない状況に陥っているのだ。断定は出来ないが、不思議な力か何かでコイツが為出かした可能性が高い。

 取り敢えず、どう言い訳するか思考を巡らせてると、その偉そうなヤツは、体を震わせながら矢庭に捲し立ててきた。


「き……貴様は特殊な条件で、ようやっと召喚出来た、稀有な存在……っっっ!! 我に従えば……っっ! 黙って我の言う事を成就させていれば、それなりの待遇で仕えさせてやろう……っ!! さあ! 我が願いを叶えろっっっ!!」

「知ったこっちゃないです」


 やはり、私がこの謎の空間にいるのは、この偉そうなヤツのせいらしい。

 私は『召喚』という言葉にだけ反応し、意味も考えずに即答する。

 すると偉そうなヤツは戦慄き、懐から掌大の珠を取り出して空に翳した。


 玉が光を放ち、偉そうなヤツの前に、薄らと靄が掛かる。

 靄が徐々に色濃く、人型を為していく。

 靄の濃くなった色が立体的になっていくと、やがて一人の男へと変貌する。──いや、人間が現れた、というべきか。

 手下か部下だかなのか。薄手で質素な釣鐘型の茶色い布を全身に纏った男は現れた途端、偉そうなヤツに恭しくお辞儀をする。


 ……おお?! ひょっとしてこれは、……魔法?!


「……これを洗脳しろ」

「畏まりました」


 茶色いクロークを着た男が返答すると、己の掌にキラキラと輝く無数の粒を集め始める。

 その間に背を向けた偉そうなヤツは、徐々に姿を朦朧とさせていく。

 どうやら男に後を任せたらしい。自分は移動か何かの魔法でこの場を去ろうとしているようだ。


 ……まさか、勝手に喚び付けといて、後は人任せか?!


 男が集めた光の塊を私に向かって放り投げる。

 未知の出来事に対する恐怖が吹き飛ぶほど、怒りに我を忘れた私は光を避けながら伸ばされている男の腕を掴み、偉そうなヤツへと投げ飛ばした。


「へばぶっっ?!! な、何を?!! この我に向かって無礼な……!!」


 ……しまった。あまりにムカついたので、また思うままに行動してしまった……。

 しかし、洗脳して人を従わせようとするヤツの思い通りには、死んでもなりたくない。

 それに、上手く調子を合わせながらも頭の中で舌を出すとか、自分の性に合わない。というかバレずに出来るとは思えない。

 そもそも『この我』って誰だ?

 勝手に喚び出しておいて、色々と忘れていないだろうか。


 男と重なり合って床に倒れた偉そうなヤツは、拳を握り締めながら立ち上がり、体中を激しく揺さ振っている。

 偉そうなヤツが、握った拳をこちらに向けて開くと、光の玉が現れた。

 それは私に向かって、猛スピードで突き進む。


 ……早ッッ!


 私はそれを避けきれず、光に包まれる。かと思うと、突然、私の視界が真っ暗になり、何だか窮屈な物の中にいるかのような、壁に囲まれたような感覚に襲われる。


(え?! な、何をッッ?! 何が起こったッッッ!?)


 声を上げようとしたが、喉の奥で音が留まっているか、声が出ない。

 体を動かそうとするが、指一本、動かない。

 私が己の体と格闘していると、私の周りを覆う物体が揺れ動く。


「……何度か召喚を続ければ、もっと良い人材が手に入るであろう。これも海に捨てよ」

「は!」

(……海に……捨てるっっ?!)


 偉そうなヤツの声が男に指図すると、私の入っている何かが大きく振動する。


 ……それにしても、その場で殺さずに、わざわざ拘束して海に捨てるのは何故(なぜ)だろう?

 その場に死体が残ると拙いのだろうか?

 ……よく分からないが、このまま私は海に捨てられてジ・エンドか。

 いや、海に捨てられたらこの拘束が解け、足掻けば外に出られるかもしれない。


 様々な脱出法を考えながら、私は揺らぐ物の中からその外へ、注意深く耳を澄ます。

 取り敢えず、出来る抵抗はしておくべきだろう。

 諦めたらそこで試合終了だと、悟りを開いたかのような御仁も言っている。

 ……もっともその人が私の前にいたら、行動する前に、色々な事態を想定してから、行動しなさい、と言われるかもしれないが。


 正直、逆らったことに後悔はない。

 何度、過去を繰り返せたとしても、向こうが同じ態度でいるならば、私も同じことを繰り返すだろう。

 この性格が変えられないことは、自分が一番、嫌というほど知っている。


 荷台か何かで運んでいるのだろうか。揺れが、規則的な動きに変わる。

 徐々に騒がしくなる外から、数人の男の声が聞こえてきた。


「……その樽、またオフゲイル様のか?」

「んあ。いつもん通り、海ん捨てるゴミてさあ」

「沖合に埋めるんじゃ、駄目なんだっけか?」

大分でえぶんめえ、沖合に埋めたんバレて、すんげえ怒られてよう。わざわざ、くっせえ樽ん掘りけえして、海に捨てる羽目んなったかんよう。……一体何してんかねえ……」

「偉大なる大魔術師様の考えることは、オレら凡人にゃ、分かんねーな」

ちげえねえ」


 男と話し終えたらしき、もう一人の男の声が遠ざかっていく。

 どうやら他にも『樽に入ったゴミ』というものを、結構な頻度で海へ捨てさせているようだ。

 その中身は『ゴミ』というか、同類の気がしてならない。


 ……まさか、自分の望みを叶える者が現れるまで『召喚しちゃ捨て』を繰り返してる、とか……?


 潜考していると、樽に大きな衝撃が加わる。

 樽は水が撥ねる音を立てながら回転を速め、上下左右に揺れ動き始めた。

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