第六話後編:タルトタタンとリンゴもどきの木

「というわけで、甘い実の生る木をキミにプレゼントするよ、サジェス」

「人を襲う魔物など、いらん」


 笑顔で語り掛けるマリンジという人に、魔王様は吐き捨てるように拒絶する。

 魔王様の態度にマリンジさんは肩をすくめ、私に微笑みかけた。


「まだ魔物の習性が残ってたみたいでさ。キミが怖かったのかな? 他意はないと思うんだ、ゴメンね」


 マリンジさんの言葉を受け、魔王様の顔色が微妙に変わる。

 何か含むものを感じるが、まあいい。


「お構いなく。そんなことよりもその木の実、一つ食べていいですか?」


 私の言葉に二人は目を見開いて私見た後、お互いに視線を交わした。


 ……あれ? くれる気配が、ない?


 魔王様に続きコンセルさんと先生も、激しい音と光の元を探りに現れる。


「やはりマリンジ様でしたか。出来れば部屋から来ていただけますと有り難いのですが。……本日は、御来訪予定がございましたか?」


 コンセルさんはマリンジさんの姿を発見すると、深々とお辞儀をし、丁寧な言葉遣いで訪問の用件を尋ねる。

 少々棘を感じるコンセルさんの言葉を、マリンジさんは鼻で笑いながら答えた。


「……ボクが何時いつここへ来ようがサジェスとボクの仲だし。キミには関係ないと思うけどね。……まあ一応教えてあげると、この木をサジェスに届けようと思ってさ」

「……それだけではなかろう」


 マリンジさんがいい終わる前に、魔王様が強い眼差しでマリンジさんを見、不愉快そうに言葉を紡ぐ。

 どうも招かれざる客である状況にマリンジさんは肩を竦め、私を真っ直ぐに見つめた。


「バレちゃってるからいうけど、勿論さ。この木を届けるという名目で、異世界人の調査を、ね。……思ったより手強くて吃驚びっくりだよ」

「……菓子のこと以外考えていないだけだ」


 魔王様が独り言のように呟くと、マリンジさんは困惑して頭を掻く。

 何が手強くて吃驚びっくりなのかよく分からないが、魔王様の一言にコンセルさんと先生も大きく頷いている。


 ……その通りだが、何だか悔しい。けれどそれより木の実くれ!


 全身を使って木の実を求める私を余所に、マリンジさんは皆の納得顔を不思議そうに眺めてその意味を尋ねる。


「……菓子って、果物とかドライフルーツとか?」

「……フッ……貧困な発想だな」


 魔王様が得意満面の笑みを浮かべ、腕を組みながらマリンジさんを見下ろした。



* * *



 草木も眠る丑三つ時……にはまだ早いか。

 夕食後、私は厨房に入り、明日の菓子を制作し始める。


 魔王様秘蔵のクッキーを貰ったマリンジさんは、私の他の菓子も食べたいと懇願してきた。魔王様の顔色をうかがうと、明日の菓子の時間で良いなら、ということになった。

 しかし、粘り勝ちで木の実を幾つか食べさせてもらった私は、どうしてもタルトタタンを作りたくなってしまい、今、ここにいるのである。


 歯応えの良いその身はシャリッと軽快な音を立てて、口の中に入っていく。

 リンゴの甘い香りと、ジューシーな甘酸っぱい蜜が広がる。

 赤紫の木の実はそのままで充分甘い、とても美味しいリンゴだった。

 しかし黄色の木の実は酸味の強い種類で日本の紅玉に酷似しており、私の創作意欲に火を付けてしまったのだ。


 タルトタタン。別名、逆さまアップルパイ。

 フランスのマドモアゼル・タタンが、パイ生地を敷き忘れてリンゴを焼いてしまい、慌ててパイ生地を載せて焼き直したら、アップルパイよりも美味しく出来た、という誕生秘話がある。


 ……おっちょこちょいだが、転んでもただでは起きない。……いいね!


 そんなわけで勝手に親しみを抱いてしまっているのだが、作るのは結構時間が掛かる。

 焼き上がってから数時間くらい経たないと、上手く型から出せないからだ。

 幸いパイ生地は、チョコレートパイを作ろうと先日作っておいたものがある。

 そんなわけで私は、リンゴもどきの皮をき、八等分くらいに切り分ける。

 砂糖を鍋で薄く色付くまで煮詰め、そこへバターとレモン汁、リンゴもどきを入れて混ぜ合わせ、弱火にしてキャラメリゼさせる。

 キャラメリゼが出来たら伸ばしたパイ生地を上に載せ、オーブンで焼成する。

 焼けたら中まで冷えるよう、冷蔵庫に入れておく。


 ……これで完成だ! 綺麗で美味しそうに出来た!


 私は達成感を得て、ぐっすりと眠りに就いた。



* * *



「……昨夜は、いい匂いがしていたな」


 魔王様が朝食の席で、私にチラチラと視線を送る。


 ……あの広い城で、よく匂いが届いたな。


 魔王様の意見にマリンジさんも笑みを浮かべて頷いた。


「うんうん、ボクも興奮して眠れなかったよ。どうしてくれんの?」

「どうもしません。……美味しいですね、コレ。どうやって固めたんですか?」

「ああ、それはギューとコッケーを暫く煮込みまして……」


 私はマリンジさんに即答し、朝食に出たコンソメのジュレを側にいた給仕係に尋ねる。

 すると、私の代わりに魔王様がかぶりを振り、パンを口に運びながらマリンジさんを一瞥いちべつする。


「……十五時半まで我慢しろ」

「……そうみたいだね。脅迫も懐柔も効かなさそうだ」


 魔王様に共感したマリンジさんは、肩を竦めて苦笑した。



* * *



ようやく食べれるぞ!!」


 厨房へ向かう私の姿を発見したコンセルさんが、叫びながら駆け寄ってくる。

 時刻は十五時を少し回ったところだ。


「その場では食べられないよ。ホイップも添えたいから、もうちょっと掛かるし」

「えええ~!? 昨夜から匂い嗅いでて、もう限界なんだよ~!」


 コンセルさんは私と並び歩きながら、頭に手を添えて空を仰ぐ。


 ……皆、厨房の側で寝てるんだろうか。

 広いし、空調設備があるから大丈夫だと思ってたが。……今後、夜は控えた方が良いのだろうか……


 今後の調理時間を考えながら厨房側まで辿り着くと、その場には人だかりが出来ており、各々おのおのが焦りや困惑の表情で騒いでいる。

 ただならぬ雰囲気にコンセルさんは表情を引き締め、人混みの中へ進んで事情を尋ねた。


「コンセル様! ま、魔物が……!!」

「あっ!! 私の作ったタルトタタンがっっ!!」


 私が人混みを掻き分けて厨房の中に入ると、そこには昨日の木が、私の調理台の側で何かをむさぼっている。

 その周囲を見回すと、タルトタタンを入れておいた冷蔵庫が破壊され、ザルと布巾で覆っていたタルトタタンの姿はなく、ザルと布巾が無造作に散らばっていた。

 木が何かをむさぼる一番下のくぼみ──口元にはパイ生地の欠片が付いており、手には粗方あらかた食べられたタルトタタンが握られている。


 ……く、食われちゃった、のか……?! ……てか……それ、自分の一部、だぞ……!?


「お、おおお前ええッッッ!!!」

「……消滅せよ!!」


 呆然と立ち尽くす私の横を、コンセルさんが叫びながら木に殴り掛かろうとする。と背後から威圧的な声が聞こえ、木が光の粒を撒き散らし、跡形もなく消え去っていく。

 そこには、怒りを露わに体を震わせる魔王様が、手を翳したまま立っていた。


 ……ああっ! 私のリンゴもどきの木がッッ!!


「マリンジッッ!! 魔物の管理はきちんとしておけッッ!!!」

「プレゼントしたんだから、管理はサジェスがするもんでしょ?! あーあ……折角作った木が……」


 横にいたマリンジさんを怒鳴りつける魔王様の言葉に、マリンジさんはガックリと肩を落とし、項垂うなだれる。

 私は放心状態だったため、どこか表情が可怪しかったのか、コンセルさんが肩を叩いて慰めの言葉を掛けてきた。


「……大丈夫か? 頑張って作ったのにな……」


 確かにキャラメリゼは一歩間違うと黒焦げになるし、結構大変だ。

 パイ生地も均等にバターを練り込ませるためにかなり手間が掛かり、寝かせる時間も掛かる上に、手をよく冷やして扱わないとなので苦労する。

 折角せっかく、綺麗に出来たタルトタタンを、一口も食べられないのは、本当に悔しい。


 確かに悔しいが……! それよりも! 木の実のる木を消しちゃったら意味がないだろっっ?!


 私が魔王様を憎々しげに見つめていると、魔王様も怒りから我に返り、私が何に怒っているのかを悟る。


「……いや、しかし……勝手に私の菓子を食べたのだ、当然の報いだろう?」

「そうかもしれませんが……あの木の実がないと……もう。二度と。作れませんよ……?」


 あの木の実と同じものが、もしかしたら普通の木であるのかもしれない。だが、食感だけ似てるものや味が妙に薄いものなど、微妙なラインは幾つかあったのだが、あそこまで元世界のリンゴに近い果物に会えたことは、まだない。『多分作れない』といってもよかったのだが、色々思い巡らせていたリンゴの菓子レシピが遠くに消え去ってしまったのだ。この程度の八つ当たりくらい許してもらおう。

 私の呟きに、魔王様は愕然とした表情で戦慄わななく。

 コンセルさんも私の肩に置いていた手を浮かせ、視線を彼方へ固定し、ピクリとも動かない。


「マ……ッッ!! マリンジッッッ!!! 直ぐにあの木を作れッッッ!!!」

「え?! そ、そんなの無理ッッ!! あの木の改良に、どれくらい掛かったと思ってるんだいッッ?!」

「魔力がいるなら貸してやる!! 直ぐに作れ!!!」

「自分も微力ながら手伝わせていただきます!! さあ、今直ぐ取り掛かりましょう!!」

「む、無茶いわないでよねッッ?!!」


 魔王様とコンセルさんの無茶振りにマリンジさんは驚愕し抗議するが、二人に引き摺られてどこかに消え去っていく。

 三人を見送ったあと、私は別の冷蔵庫に残っていたパイ生地を取り出し、砂糖をまぶして五ミリ程の厚さに伸ばし、細長く切って両手で転がし、ねじらせる。

 これを焼き上げれば、フィユタージュ・シュクレという名のシュガーパイになる。フィユタージュがパイ、シュクレが砂糖でシュガーパイ。

 菓子の名前は、結構こういうそのまんまのネーミングが付いていることが多いが、フランス語が大体元になっているので、矢鱈やたらと凝った名前に聞こえる気がする。単純歓迎だがフランス語を覚えるのは難しそうだ、私には。


 少々寂しい気がするが、何とか菓子の時間に間に合った。

 無事に菓子の時間を迎えられ、いつの間にか戻ってきた三人は、過剰なまでに私とパイを褒め称えていた。


「うむ! これなら、何もあの木を作ることはないな」

「ですよね! サクサクして物凄く美味しいよ、シホちゃん!」

「うん! これならあの木がなくても菓子っていうのが堪能出来るよね!」


 ……いやいやいや。何があったか知らないが、どうやっても、あの木は作ってもらいますよ。

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