挿話二:魔王、サジェス・フィヨンディズとリンゴもどきの木裏事情

 黒い床の上には赤い絨毯が敷き詰められ、壁は本棚で埋め尽くされている。

 部屋の中央には石で作られた高級感のある黒いテーブルと黒革のソファが並べられ、部屋の奥には一面の窓、その手前に黒い木目のデスクが置かれている。


 ──私の執務室だ。


 マリンジはソファに横たわりながら、私秘蔵のクッキーに食らい付いていた。


「……どうだ?」

「うん、とっても美味しいよ! オージュとギュールが甘いのって凄く合うんだね!」

「……そうではない」


 クッキーの美味しさに感動するのも分かるが、聞いている意味が違う。

 私がデスクから睨みを利かせると、マリンジは肩を竦めて溜息を吐いた。


「……うん、確かに魔力が上限より上昇してるよ。この、精霊王であるボクの最大値より、だよ? 精霊界でもこんなものないね。危なすぎて怖いよ」

「……そうだな、しかし……」


 精霊の得意分野であり、魔術を分担して管理しているとはいえ、魔術の源である精霊の実体は魔力の塊であり、その絶対量は凄まじい。

 その統括である精霊王の魔力量は計り知れない。

 それだけの魔力増幅機能を持つ菓子が人の手に渡れば、そのあまりの負荷に体が耐えきれずに魔力を暴走させ、廃人と化す。

 しかし、この菓子はそうならない。

 それもまた不思議なところだ。


「……上昇傾向は、各人の一定量で停止する」

「へえ……それって、その人の魔力量に応じて、魔力量が増えるってことだよね?」

「そうだ。食した者の魔力量を調べた所、少々個体差はあるが大体百二十パーセント程度で停止している。恐らく個体の生命をおびやかさず上昇可能な数値で停止するものであると考えられる」

「ふうん。ま、どっちにしても危険だよね。死なずに済めばその魔力で争いを活性化しちゃって、皆、死ぬんだし?」

「……この大陸からは、シホもその菓子も出す気はない」


 マリンジの懸念を私が補足するが、マリンジは納得がいかない様子で眉をひそめ、ソファで寝転んだまま体を左右に揺らしている。


 精霊は人間から依存されることで、その存在を保つ。

 人間に頼られなければならない上、人間が滅びないようにも努めなければ存在意義を失い、消滅する。

 それ故、精霊王は人間を守るために色々と暗躍する役目を担っている。

 それを脅かす力がこの城にあるという事実を、マリンジが歓迎出来ない気持ちは分からなくはない。


「そもそも、魔法が使える人間って、無意識にしろ意識的にしろ、どっかでボクらを消滅させようと考えてるとしか思えないんだよね。魔術を改造出来る魔法って何だよ、魔術を馬鹿にしてるの?」

「……シホの力は、魔術を基にしている。精霊にとっては他の魔法より歓迎しやすいと思うのだが」

「……魔法を基にしたら? 魔術の存在が可怪しくなっちゃうよ」


 全ての魔術は、精霊にとっての魔法である。

 呪文を介することで人にも行使出来るよう構築されたものが魔術である。

 魔術を貸すことで人から依存され、存在意義を保たせている。

 そして、その魔術に貸料をつけることで、金の力でも人間の政治に権力を振るうことが出来、人が滅びないよう調節し易く出来るという仕組みだ。

 そのため、己の魔力のみで行使出来る魔法というものは、精霊にとって有害以外の何物でもない。


「それに、魔術で保護しているものに干渉して能力を変化させられるんなら、何かの拍子に、それでサジェスが殺されるちゃうかもしれないんだよ。自分の命を左右出来る存在とよく一緒にいられるよね」

「シホの無意識下での魔法行使こうしは、己の命に危険を感じた時のみ発動するようだ。……大体、をお前がいうのか?」


 シホが魔法を行使する条件は、己の命に危険を察した時のみのようだ。

 然も、かなり危険なレベルでないと発揮されないことは研究済みである。

 つまり、シホの命をおびやかさなければ魔法は行使されず、誰かに害をすために行使出来るものではないようだ。

 私の身を案じて憤慨してくれるのは嬉しいが、そもそも私の命を左右出来るマリンジがいうのは説得力に欠ける。

 私の力もそれなりの強大さを誇ると自負しているが、精霊王のそれの比でないことは熟知している。

 私が堪えきれない笑いを漏らしていると、マリンジは不満そうに頬を膨らませた。


「ボクがキミに何かするとでも?! 親友としても、精霊王としてもそれはないでしょ! ボクは自覚のない力が怖いっていってるんだよ。彼女が無意識に何かしてしまったら、どうするんだい?!」

「その点に関しては、徐々に魔力操作をさせるよう教師役に伝えてある。大半の潜在能力は、意識させることで無意識には行使出来なくなるという統計が出ている」


 マリンジは私の言葉にクッキーを頬張りながら軽く息を吐く。

 シホに対する不満を口にする割にシホの菓子は気に入っているらしく、先程から私の備蓄をことごとく奪っている。


 ……またシホに、執務中につまめるものを作ってもらわねばならんな。


「……キミは甘いね、サジェス」

「……そうかもしれんな……」


 私はシホとの出会いを思い出し、マリンジに苦笑する。

 シホは『他人の術を基に己の魔法に組み替える力』を持っている。

 それはこの大陸に辿り着いたことでも、作り上げた菓子からも判明している。

 そんな規格外の能力は、精霊王であるマリンジすら見たことがない。

 特に、精霊王であるマリンジ以上の魔力を持つものでないと通れない、マリンジですら、通り抜ける際は轟音と激しい光を撒き散らし、その存在を知らせてしまう結界を易々と通ったことは、驚異以外の何物でもない。


 そんな驚異の魔法は絶妙のタイミングで事切れた。

 魔法の期限切れか、生命力の低下で切れたかは定かでないが、ゴミだったはずの樽の中身が、突然地人族の少女に変化するその現象は、時機が良すぎていぶかしむのに充分な材料だ。


 ──何処かの何者かがこちらを探るために送った諜報員ではないか。


 そのためコンセルに監視を頼んだが、彼奴あいつはシホの菓子のとりことなり、すっかり懐柔されてしまった。

 ああ見えて野生の勘が鋭く、含みのある人間には一切心を許さないため、シホを危惧する必要はあまりないと思われるが。


 しかし、コンセルに限らず私自身もシホと出会い、シホの菓子に心を奪われた一人だ。

 魔王に就任してから、私は思考を張り巡らせていると、糖分を渇望するようになった。

 その欲求は、今まで甘いチョクラドリンクや果物を乾燥させたドライフルーツなどで多少は改善されていたが、どこか満たしきれぬその欲望に心が疲弊していく。

 シホと出会ったときも、その力を解明したい欲求と、危険を排除しなければならない使命感が私の心を交錯する。

 熟考していた折、激しい糖分要求が脳を侵し始める。


 そんな時、シホの菓子と出会った。

 満たしきれない心の何処かを満たす、不思議な食物──菓子。

 そしてシホは監視も兼ね、私の使用人となった。


 そもそも異世界人だといってはばからないシホは、この世界に疎すぎる。

 それを追い出せば、恐らく長くは生きられまい。

 その考えもあって、私はシホをこの城に留めることにした。


「……そんなに菓子が気に入ってるなら、レシピを書かせて誰にでも作れるようにしちゃえば、いいんじゃない?」

「……マリンジ。これ以上、不愉快にさせるな」


 暗に始末しろという雰囲気を織り交ぜたマリンジの物言いが癇に障り、私は眉尻を吊り上げてマリンジを睨み付ける。

 菓子もそうだが、シホの行動は規格外で、見ていて飽きない。

 無知ならば考えも付かないことを言い、知識があるなら起こし得ない、型破りな非常識をおかす。

 異世界人と考えると、色々と辻褄の合うことが多いが、それでも突飛な行動に出る説明が付かない。


 私をあからさまに利用したかと思えば、何故そこで利用しないのか? と思える行動をする。

 正直、何がしたいのか、意味が分からなかった。

 全てを計算した上での賢人なのか、何も考えていない愚者なのか。


 ……最近、菓子のこと以外は考えていないと分かったが、そこは私も望む所である。


 幸いシホは命の恩人である私に、シホなりにだが敬意を払っているようだ。

 ならば、全面的に菓子作りに協力し、私の望まぬ力の使い方をせぬよう指導する方がお互いのためだろう。

 その私の考えに、真っ向から異を唱えるマリンジの気持ちも、分からなくはない。

 しかし私にとってシホは、既に大事な人間の一人となっている。

 その辺はある程度、考慮願いたい。

 私の周囲から醸し出される殺伐とした空気を察し、マリンジはソファの上で膝を抱えてうずくまる。


「……サジェスは、ボクがオフゲイルに捕らわれてもいいんだね……?」

「そのためにも、シホの力が必要かもしれん。味方の総力は上げておくに越したことはない」


 オフゲイルの召喚目的は、恐らく精霊王を捕獲し、その力を己だけに行使するためだろうと予測されている。

 確かにシホが己の能力を自在に操れるなら、精霊王を捕獲することは容易いかもしれない。

 それは同時に、魔力の優れた者全てにいえることだ。

 攻撃魔術や付与魔術などを片端から変換し、此方からの攻撃に変える力を持つシホに抗える魔術師は少ないだろう。

 シホがその力を行使出来るようになるかは定かではないが、シホの力はオフゲイルへの牽制にもなりそうだ。

 オフゲイル側は、いまだ精霊王捕獲要員を召喚し続けているようだ。

 オフゲイルがその者達を殺さずに集め、精霊王に挑んだ場合では一体どうなるか。

 その懸念以前に、シホのように驚異的な力を持つ人間が召喚され続け、己の能力で死をまぬがれれば、精霊王を捕獲する前に世界のバランスは崩れ、崩壊の一途を辿る可能性が極めて高い。


「……オフゲイルは早めに処分しないとね」

「そこは同意しよう」


 ソファの背もたれに腕を掛け、深い溜息を吐くマリンジに、私は同じ志を抱いている旨を告げ、椅子の背もたれに身を預ける。

 しかしオフゲイルは、魔族にとって、魔物を作り出せる術を持つ生命錬金術師の存在と同じく、地人族に於ける唯一無二の召喚師だ。

 精霊でさえも行使出来ないこの術に、人々は心酔し、崇め敬う者も少なくない。


 ……地人族の反感を可能な限り抑え、処分する方法を模索せねば。


 そもそもシホに、声すら出せない捕縛魔術を掛けたのは、周囲の人間に知られることを恐れたのだろう。

 魔族の生命錬金術もだが、地人族の召喚魔術は一弟子相伝の魔術で、魔術を与える精霊と術師が懇意にすることが多く、術の行使で事が露呈するのは、極めて少ないと思われる。

 捕縛魔術も、木を結ぶためや不必要物を纏めておくことにも使用され、何より、人を殺すことは出来ない。それ故に、魔術の元である精霊が異変を察知することは恐らくないだろう。そのため、召喚術と捕縛術の行使数を比較し、事件性を疑うという精霊がいるとも思えない。

 当然、楽に始末を付ける方法として海に流すという手段を取ったと思われるが、殺すだけであれば声すら出せない捕縛魔術は必要ない。

 そのことからオフゲイルの暗躍は、人に露見すると不都合な何かをたくらんでいると示唆しさむ。

 精霊王を捕獲し、その力を行使するのは地人族のためではなく、私欲であるというわけか。


 それを地人族に露見し、相手の出方を待つか……。


 思考を巡らせると、激しい糖分要求が脳を侵し始める。


「……そういえば、そろそろ菓子の時間だな。厨房でも覗いてみるか」

「わー! 昨夜のいい匂いがやっと食べられるんだね!! 待ち草臥くたびれたよ!」


 私の言葉にマリンジは、ソファから全身のバネを使って飛び降りる。

 幼さの残る顔に、シホより少々大きいくらいのその体躯と仕草は、子供そのものだ。


 ……何年生きているか、本人も忘れるくらいの年齢だが。


 私とマリンジは三十分近い時間を待ちきれず、厨房を覗きに部屋を出た。



* * *



「さあ、どうやって作るかいってみろ」

「必要な物がありましたら、直ぐに手配いたします! マリンジ様の力でしたら瞬時に可能かと!」

「だからー! あの木は時間が掛かるんだってー!! 魔力を込めればいいってもんじゃないんだよ!!」


 あまりの怒りに思わず木を消滅させてしまった私はシホの視線を思い出し、身震いしながらマリンジを急かす。

 全ての表情を押し殺し、邪悪な気を放つシホの目つきは、古より生存する伝説の神獣のものと酷似していた。

 シホの菓子にすっかりはまっているコンセルも、私の意を汲んでマリンジを囃し立てるが、マリンジは頑なに木を作ろうとしない。


 ……何故だ?


「……まず、木の魔物であるトリーを用意して、それを良質の土に植え、魔力を込めた肥料と水を毎日欠かさずあげる。……それを毎日繰り返して、五年後、ようやっと美味しい実が生るようになるんだよ!!」

「……五年……」


 マリンジの言葉に私とコンセルは必要とする年数を呟き、閉口する。

 それを見たマリンジは掴まれていた襟を正し、小さな溜息を吐いた。


「……ボクが一生懸命、甘いもの好きなサジェスのために作ったのに……何さ!」

「いや、それは……すまなかった……」


 口を尖らし外方そっぽを向くマリンジに、私は頭を下げ謝罪の言葉を述べる。

 まさかそこまでの日数を掛けて作ってくれたとは思わず、申し訳なさが押し寄せる。


「……ちゃんとサジェスが管理してれば、こんなことにはならなかったのに……」

「しかし、管理をしようにも、あの木はお前から離れなかっただろう。それを引き離すのもどうかと思ったのだが……」


 確かにプレゼントとはいわれたが、あの木はマリンジについて離れなかった。

 そんな忠実な魔物を引き離すのもどうかと考えてしまったのが、私の敗因か。

 私が自戒の念に駆られていると、マリンジは口元に手を当てて笑みを浮かべた。


「うん、知ってる。……管理の仕方をいってなかったし、一応ボクが部屋に閉じこめておいたんだけど、鍵が開けられると思わなくてさ。吃驚びっくりだね」

「随分、器用に成長したな。トリーがそこまで知能が高いとは思わなかったぞ」

「愛情込めて育てたからだね。改良って楽しいけど、そこが面倒でもあるよね」


 生命に新しい力を授ければ、それに準じた能力を保有するようになる。

 それを調べ上げ、危険がないか確かめるのも、大事な作業だ。

 とはいえ、トリーとは木を模した姿の、かなり弱い魔物だ。

 このレベルが、それなりに能力を持った所で、大した驚異はない。

 この大陸に、トリーにやられるような者が一人もいないという事実が、私とマリンジを慢心させたようだ。

 その点は、以後気を付けるとして……目下の問題だ。


「……取り敢えず、また作って持ってくるから、それまで何とか誤魔化してよね。菓子を貰えなくなったら、ボク、泣いちゃうよ?」


 マリンジも、シホの作った菓子は、かなり気に入っているようだ。

 シホの機嫌を損ねれば自分の菓子を作らないであろうことを懸念し、菓子と引き替えに、協力を惜しまないことを約束してくれる。

 私とコンセルは胸を叩いて頷き、五年間、誤魔化すことをマリンジに誓った。

 ただシホの、菓子に対する勘の鋭さは侮れない。

 どうやれば上手く誤魔化せるか、私とコンセルは頭を悩ませる。


「……新しい果物でも仕入れるか」

「いいですね! 新しい材料があれば、シホちゃんも夢中になりますよ!」


 私の案にコンセルは諸手をあげて賛同する。

 シホの、新しい菓子関連の品に対する目の輝きは凄まじい。

 材料に飽きた頃、また新しいものを仕入れれば、きっと誤魔化せる……と思いたい。


「自分トコでも食べれるように、レシピも欲しいな。この木をあげたらレシピをくれるよう、頼んでよね」


 マリンジの決意に、私とコンセルは顔を見合わせ引き攣った笑みを浮かべる。

 レシピを提供出来るほど、シホの識字力は上昇しただろうか……?

 しかしそれがマリンジに露呈すれば、木の育成が滞るかもしれない。

 そうなればシホの機嫌がどうなるのか……。

 我々は沈黙し、穏やかな笑みでマリンジを見送った。


 ……さて、何を仕入れるか。


 その夜、コンセルと厨房の料理人を交え、シホに送る果物の検討を重ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る