第七話:蜂蜜レモンゼリーでトライフル

「モフモフモフモフ……」

「や、やめてよぉ……!」

「モフモフモフモフ……」

「だ、ダメったら……!」


 私は今、ファムルの耳と尻尾をモフっている。

 ファムルは、赤い狐の獣人メイドだ。

 猫や犬もいいが、また一味違う狐のスルッとした毛並みもたまらない。


「モフモフがあればモフるのが人の道じゃないかな?」

「意味が分からないよっ?!」


 耳と尻尾を堪能しながらささやく私に、ファムルはうるんだ赤い瞳で何かをうように見つめている。

 こういうモフモフの癒し系を一家に一人欲しいと思うのは、人類共通の浪漫だろう。

 魔王様がファムルを獣人族の集落から救い出したお陰で、私も恩恵にあずかっている。

 取り敢えず、魔王様GJグッジョブ! と叫んでおこう。


「獣人ってみんな、耳と尻尾があるの?」

「それは最低限だよ。もっと獣っぽい姿の人も多いよ」

「へえ。丸々、獣だったりとかは?」

「うーん、何処どこかには人の部分が必ずあるね。人に獣の部分がある、って考えた方が分かりやすいのかな」


 ふむ。やはり人である以上全身は無理なのか。変身とか出来るといいのに。

 私が全身動物に変身したファムルを妄想して動きを止めると、ファムルは己の手で素早く耳と尻尾を押さえ込んだ。


「まあ、いい。ちょっと手伝ってもらおうか……」

「……な、何を?」


 いぶかしげな瞳で注視するファムルを意味深な笑みで見返し、私達は厨房へ向かった。



「……ハァ……こ、これは……ハァ……キツいっ……ね!」

「ハァ……だろう? ……ハァ……だ、だが……そのうち快感に……!」

「……ならないでしょ」

「……うん、ならないね」


 私達は皮を剥いたジャガイモもどきを一心不乱に擂り下ろしている。

 この世界で足りないものを補うためだ。

 先生やファムルを見る度、夕飯に出たコンソメのジュレ、ムースやプリンの時も思い出されたぷるぷるのお菓子……そう、ゼリーだ。

 ゼリーに欠かせないのはゼラチンである。

 寒天に似たものはあった。だが、食感が違いすぎる。

 私はあのぷるぷるとした柔らかい食感のゼリーが食べたいんだ。


 この世界に動物性蛋白質の抽出物があるかは分からないが、食事ではコンソメのジュレが出たりするので、作れるのだとは思う。それを無味無臭の状態に出来るのか、そういうのはあるのか、というのをシロップおじさんに聞いてみた所、どうも未だ無いらしく、出来るか分からないが試してみると約束してくれた。


 というわけで、今はそれに似た食感を求めて代用品を模索した結果、現在ジャガイモもどきを擂っている。

 片栗粉でゼリーを作るためだ。

 ……大丈夫、頭は確かだとも。


 擂ったジャガイモを布に入れ、水で揉み洗いする。

 暫く揉み洗いをしたら布を絞り、水を放置させ、茶色くなった上澄みを捨てる。

 綺麗な水を入れて掻き混ぜ、また放置……と繰り返し、上澄みを捨てた綺麗な白いトロトロを天日で一日干したら、片栗粉の出来上がりだ。

 だがそこは異世界。ファムルの蒸発魔術で一瞬にして解決だ。

 擂り下ろし魔術もあればいいのにな。

 しかし、この魔術で攻撃されたら辛そうだな。……ファムルを怒らせないようにしよう……。


「……腕が痛~い……」

「大分、擂り下ろしたしね」


 かなりの量を擂り下ろしたのにほとんど取れない片栗粉は、牛乳からバターを作る時と同じく、若干の罪悪感と虚しさが広がる。

 勿体ないから魔術でどうにか出来ればいいのに。

 冷たい水に触ってすっかり冷え切った体を温めるために、私はホットチョクラを入れてファムルに手渡した。


「冷えたでしょ。コレ飲んであったまろ」

「わーい! シホちゃんの入れるホットチョクラ、大好きー!」


 ファムルは私からカップを受け取り、両手で抱えながら美味しそうにホットチョクラを飲み始める。

 フワフワモコモコの上に小さくて可愛い生き物、最高だな。


「んじゃ、ゼリーの味見もしてもらおうかな。コレ、絞るの手伝って」

「え~?! また~?」

「手伝わざるもの食うべからず。頑張れ~」

「うう……。食べたいから、頑張る……」


 私はレモンもどきを手にそでまくりし、ファムルへ満面の笑みを向ける。

 ファルムは文句をいいつつも渋々とレモンもどきを絞り始めた。

 餌付け、成功ですな。


 レモンもどきの絞り汁に蜂蜜と水、片栗粉を加え、よく混ぜながら火に掛ける。

 とろみが出たら容器に入れて冷やし固めれば、蜂蜜レモンゼリーの出来上がりだ。

 ゼラチンと違って練るまで加熱しないと、ちゃんとゼリーにならないので注意だ。


「うん! プルプルして美味しい!!」


 ファムルが満面の笑みで歓喜の声を上げる。

 ぷるっとしたゼリーは口に入れるとあっという間に溶けていき、蜂蜜独特の甘味をレモンの酸味が飽きさせない甘さにし、レモンの酸味を蜂蜜の甘さが程良く和らげて、口の中に広がっていく。

 片栗粉が少ないとトロトロになり、多いとモチッとした感じになり、火に掛けた時間でも変わるために調整が難しいが、ゼラチンやアガー、寒天とは違う、独特のプルプル感に仕上がり、いい感じだ。


 そこで、不意に気になることが脳裏を駆け巡る。

 蜂蜜レモンゼリーだけで、果たしてあの甘味王である魔王様が満足出来るだろうか?

 乾燥させることで甘みの増したドライフルーツを甘いホットチョクラと召し上がる、そんな魔王様が。


 ……若干の変更が必要そうだが……


 ジャガイモを擂っていたため、時間がほとんどない。


 私はよーく混ぜた卵に砂糖を投入し、もったりさせた所でふるった粉を混ぜた生地を鉄板に流し込み、スポンジを焼き始める。

 砂糖と卵黄、小麦粉を混ぜ、温めた牛乳を少しずつ入れて混ぜる。

 弱火で混ぜて冷ませば、カスタードクリームの完成だ。


 焼き上がったスポンジを切り、透明の器に入れて、粗く刻んだ苺もどきを載せる。

 その上にスプーンですくったゼリーを入れ、カスタードを載せてホイップした生クリームを掛ければ、トライフルの出来上がりだ。

 トライフルの上を、魔王様に献上する予定だったクッキーと刻んだ苺もどきで円を描くように飾り、ちょっと見た目も気にしてみた。

 スポンジにジュースや洋酒を染み込ませるのが本当らしいが、ゼリーを代用で使うケースも多い。

 今回の私にとってはメインなんだけど。

 トライフルとは、余ったスポンジを使ったお菓子で『つまらない物』という意味らしいが、わざわざスポンジ、作っちゃったよ!


 そもそもスポンジ生地は、二種類の製法がある。

 一般的に、卵黄と卵白を一緒に混ぜる共立てか、別々に泡立てる別立てかがスポンジの作り方である。

 パータ・ジェノワーズというのが共立て、パータ・ビスキュイというのが別立てがある。

 しかし一部の話では、ビスキュイはそもそもスポンジ生地を指す言葉で、製法である別立てはヴィエノワーズというらしい。人肌に温めながら作る共立て(ジェノワーズ)は暖かい地方のジェノバ風、冷たいまま作る別立て(ヴィエノワーズ)は寒い地方であるウィーン風という意味を表しているとか。

 というわけで、ビスキュイという名のレシピで共立てになっていも、おかしいことではない、とのことだそうだ。

 どちらで作るかの選び方としては、別立てで作るスポンジは生地がしっかりしてるがきめが粗いので、絞り出し袋で絞り出す系統(ビスキュイ・ア・ラ・キュイエール)や、濃厚なクリームやシロップを含ませたいスポンジの時に使う製法に。

 共立てなジェノワーズはショートケーキ、デコレーションケーキなど、スポンジそのものを味わうケーキの時に使う製法にするといいようだ。

 泡立て方とか、ちょっとしたことで色々と変わってややこしいので、個人で楽しむ分には好みで選べばいいと思うんだが。


 大体トライフルのためにスポンジを作ること自体がおかしなことだし、使い方から考えるとどっちかといえば別立てじゃないだろうか? とか考えてしまったが、結局、共立てで作ってしまった私はツンデレだろうか?

 わ、わざわざトライフルのためになんか、別立てで作らないんだからね?!

 という感じだろうか……ヤバい。似合わなさすぎて気持ち悪い。


 などと妙な妄想を膨らませつつ菓子を作り、何とか刻限に間に合った私は、小さな器で作っておいたトライフルをファムルに手渡し、食堂へ駆けていく。

 食堂には魔王様に先生、コンセルさんが若干待ち草臥くたびれた顔をして席に着いていた。


「……三分、遅刻だ」

「三分二十五秒です、魔王様」

「時間は守らないといけませんよ、シホさん」


 魔王様が肘を付いて組んだ手に顎を載せて私を睨み付けると、コンセルさんが腕時計を見ながら魔王様の時間を訂正する。

 先生も表情は笑顔だが、不穏なオーラをこちらに降り注いでくる。


 ……厨房から食堂ココまで辿り着く時間を忘れてた……にしても細かいな!


「……すみません、ちょっと手間取ったもので」


 私はトライフルをテーブルに置き、取り分ける。

 層になっているトライフルが透明の器から見え、感嘆の声が上がった。


「色んなものが入ってますね! これは時間が掛かりそうですね」

「……確かにそうだな。これならば致し方ない、か」

「この、酸っぱいプルプルと甘いクリームが、凄く合うな!」


 先生がスプーンに載せたトライフルを口に運びながら溜息を吐くと、それに同意するように魔王様が頷き、トライフルを口に入れ、コンセルさんもクリームの付いたゼリーを飲み込み、私に笑顔を向けて歓声を上げる。

 私も皆の様子に笑みを浮かべ、トライフルをスプーンで掬って口に運ぶと、魔王様が気になる言葉を発した。


「しかしこの酸っぱいものは、もっと甘い方が良いのではないか?」


 やはり魔王様には、蜂蜜レモンゼリーの甘味がちょっと足らないのだろう。

 美味しそうに食べてはいるが、甘味の趣向に関して拘り抜く魔王様が私にダメ出しを入れる。

 やっぱりトライフルにして正解だったようだ。

 私がその言葉を受け入れていると、わずかな沈黙に堪え兼ねてか、先生がおもむろに呟いた。


「……私は好きですよ、この酸っぱいプルプル」

「自分もです。これがあるから余計甘いクリームが美味しく感じるのでは、と……」

「?!! そ、そうか? いや、確かにそうなんだが……」


 先生が恐る恐る魔王様のダメ出しをフォローをする。

 コンセルさんもその意見に賛同すると、魔王様が徐々に萎縮し始める。

 その様子にコンセルさんと先生が逆に萎縮し、明るかった食堂に重い空気が漂っていく。


「魔王様は甘いものが好きですからね。今度、甘いゼリーで作ってみます」

「そ、そうか! うむ、楽しみだな」


 萎縮する魔王様に私が言葉を掛けると、魔王様は見る見るうちに復活し、嬉しそうにトライフルを頬張った。

 和やかな雰囲気が戻り、全員が笑顔になってトライフルを食べながら談笑し始める。


 ……何だか私が魔王様の上のような力関係になってきている気もするが、まあ、気にしないでおこう。


 私も穏やかな笑みを浮かべ、魔王様好みのゼリーを模索しつつトライフルを口に入れた。

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