挿話一:魔王様側近コンセル・リカートとミルクレープ

「今日は苺もどきとチョクラ入りミルクレープです」


 そういってシホちゃんは薄い生地が何層も重なった菓子を切り分ける。

 フォークを入れると層を感じさせる不思議な感覚を伴いながら切れ目が入る。

 うっすらと黄色みを帯びたギューの乳の風味豊かなコクのある甘いクリームに、シホちゃんが苺もどきというストレリイの酸味が爽やかに香り、甘味のある生地のコクが深みを増しながら混ざり合う。

 所々に散りばめられたチョクラの微塵切りが程良い歯応えを与え、その仄かな苦みが全体の甘味を飽きさせない味にしている。

 何層にも重ねられた生地とクリームはお互いの良さを引き立たせ、絶妙なハーモニーを奏でていた。


「うむ! チョクラがクリームによく合っている。仄かな酸味も良い」

「この層が面白い食感ですね!」

「生クリームかカスタードクリームで迷ったけど、混ぜて苺もどきとチョクラを入れてみました」


 魔王様の感嘆の声に俺も相槌を打つと、シホちゃんが嬉しそうに菓子の説明をする。

 菓子はシホちゃんの世界のフランスという国が特に種類が多いため、フランス語を用いることが多く、多少は覚えておかないと簡易レシピを見た時に少々困ることがあるらしい。

 クレーム・パティシエールにクレーム・シャンティイを混ぜ、クレーム・ディプロマットを作ると書かれてあり、困ったことがあったそうだ。

 生クリームはクレーム・シャンティイ、カスタードがクレーム・パティシエール、それを混ぜるとクレーム・ディプロマットといい、菓子でよく使われる代表的なクリームになるらしい。

 ミルクレープは色々なアレンジクリームが合うケーキで、何を入れるか毎回迷うそうだ。


 ……うん。よく分からないが、菓子の世界は複雑で大変みたいだな。


 俺はシホちゃんに欽慕きんぼの視線を送りつつ、ミルクレープを口に運んだ。



* * *



 各大陸から離れた場所に、山と森に覆われた城のある、崖と山に囲まれた小さな大陸が、人目を憚るように存在している。

 その大陸は古より特殊な結界で覆われており、目に付くことも、生物が辿り着くことも出来ない。

 今でこそ、大陸内で自給自足するための農園や加工場、そこで働く労働者の住居が点在し、万一のための戦闘要員を集めた軍の施設、見張り塔が陸の四方にあるが、その大陸は上空から見下ろしても、一面の海が広がっているようにしか見えない。

 そんな世俗と隔絶された大陸に、大きな樽が打ち上げられた。

 その中には、衰弱し気を失っている地人族の少女が入っていた。



「……結界は?」

「正常に機能しております」


 魔王様の疑問に、俺は調査済みの結果を報告する。

 結界が故障していなければ起こりえない事態だ、当然の疑問だろう。


 ……では何故、この大陸に生物が流れ着けたか。


 生物を構築する物体に対し能力を発揮するこの結界では、元生物だった死体でさえ、辿り着けない。

 一度入った生物には干渉しないが、入ろうとする生命には激しい抵抗が起こり、爆音と閃光を放ちながらその生命を消滅させる。

 そんな結界が何の反応も示さないのは、どう考えてもおかしい。

 魔王様も同じ考えのようで、顎に手を当て思考を張り巡らしながら次の言葉を待っているようだ。


「その地人族には、何らかの魔法が掛けられていたようです。現在、魔術師総出で魔法を解除しております」

「……何らかの、魔法……?」


 精霊の力を借りる魔術と違い、己の魔力のみで発動させる魔法は使える者が物凄く少ない。

 その魔法を使う者も、精霊王によって全て情報が集められ、直ぐに魔王様や俺の耳に入っている。

 それでも尚『何らか』と表現せざるを得ない魔法が、地人族に施されていた。

 他にも不思議なことがある。

 樽の中にいた少女は、数日樽の中で海を渡っていたと思われるのに汚物どころか汗にすらまみれていなかった。


 ……毎日浄化魔術を使っていた?


 いや、状態から考えて数日は気を失っていたようだ。

 しかし、海は陸地以上に危険な生物で一杯だ。

 運が良くても二~三日で骨まで食われてしまうだろう。

 それなのに樽にすら、襲われた形跡が全くない。


 ……彼女は本当に生物なんだろうか……?


 その異常さに気付いた魔王様は足早に部屋を出ていく。

 俺も魔王様の後に続き、救助した地人族の元へと移動した。

 ベッドに横たわる少女は、気を失ってはいるが綺麗に整った可愛いらしい顔立ちをしている。

 そんな造作が、今は余計に人工的な何かを想像させている。

 少々警戒心を露わにする魔王様と私の気持ちを察してか、意識を取り戻した少女は奇妙なことを口走り始めた。


「私は異世界人らしいです」

「……は?!」


 彼女の突飛な口述に魔王様と俺は言葉を失い、目を見開いて顔を見合わせる。


(……異世界人って、違う世界の人間ってことだよな……?)


 俺は彼女の言葉を一つ一つ噛み締めるように頭で整理する。

 確かに異世界人を召喚する術は、地人族の一弟子相伝として存在すると聞いている。

 しかし何故、船じゃなく、わざわざ危険の多い樽で、漂流するんだ?

 そもそも喚んでおいて樽で漂流させるとか、どんな悪魔が喚んだんだよ?!

 俺は熟考した結果、一つの予想に落ち着いた。


(……可哀想に、色々と大変だったんだな……)


 俺が彼女の苦労を慮ると、魔王様が的確な可能性を呟く。


「……頭を強く打ったのかもしれんな」


 それが正解かもしれない。流石魔王様。

 俺達の視線に堪え兼ねたのか、彼女は身の上に起こった事情を説明し始めた。



* * *



 その後の調査の結果、シホちゃんには『他人の術を基に己の魔法に組み替える力』を持っていることが分かった。

 視界に入れることも辿り着くことも不可能な、この小さな大陸に施された結界は、精霊王以上の魔力を持つもの以外には破れない。

 それを超えてきたのは恐らく、掛けられていた何らかの魔術を『海中の敵に、己が生命と関わりのないものであると誤認させる魔法』に変換したからだ。

 それは最初に樽を開けた者達から、唯のゴミだったはずの樽の中身が、突然地人族の人間に変化したという報告から判明した。

 他にも、声すら出せない捕縛魔術と『飲まず食わずでも、ある程度生命を維持出来るようにする魔法』も掛かっていた。

 捕縛魔術はともかく、魔法は恐らくシホちゃんが生命の危機を察し、無意識に施したと思われる魔法だろう。

 体の循環機能をある程度停止させ、エネルギーの消耗を最小限に抑えたその魔法の効果で、シホちゃんは何日も海を彷徨いつつも汚物を生み出すこともなく生き長らえたということだ。


 シホちゃんを喚びだしたらしい召喚師オフゲイルは、何かと黒い噂が断えない。

 そして、恐らく己の欲望を果たし得る者が現れるまで、召喚と殺戮を繰り返しているのだろう。

 塵も残さない攻撃魔術は魔力の消耗が激しく、軽度の術を使って殺すと結局死体の始末に困る。

 海に捨てれば生物のエサとなり、殺す手間も罪悪感もなく処分出来る。


(……非道の極み、だな……)


 シホちゃんは、彼女の能力で何とか助かることが出来た。

 しかし、そのような事例は他のどの大陸でも耳にすることがなく、他の喚ばれた者達の末路を容易に想定させる。

 もしかするとその中にシホちゃんと同じ世界の人間がいたかもしれない。

 それがもし、シホちゃんの友人知人、親戚や家族だったら、彼女はどう思うだろうか。

 オフゲイルを快く思っていないとはいえ、同じ世界の住人である俺達をどう思うだろうか……

 一抹の不安を抱え、俺はフォークを銜えたままシホちゃんの顔を凝視する。

 それに気付いたシホちゃんが、猫のようなやや吊り上がった大きな薄茶色の瞳を瞬かせ、こちらを見返している。


 ……少し首を傾げた仕草が、とっても可愛い。


 思わず和み、顔を綻ばせると、シホちゃんもそれに呼応して、屈託のない笑顔を浮かべた。


「……何を見つめ合っている、コンセル。気味が悪いぞ」

「すみません。シホちゃんが来た時を思い出しまして」


 シホちゃんと笑みを浮かべながら見つめ合っていると、魔王様が少し不機嫌そうに俺へ声を掛ける。

 甘味が好きなのか、シホちゃんが好きなのか、微妙に分からない魔王様の顔を立てるべく俺が弁明すると、魔王様はフォークでミルクレープを切りながら、大きく頷いて口を開いた。


「……もうすっかりこの城に馴染んでいるが、そういえばまだ数週間か」

「そうなんですよ。すっかり城の顔になっている気がしますが、まだ数週間です」


 人見知りもなく城中の皆と気軽に話をしている気さくなシホちゃんは、今ではすっかり城の人気者だ。

 偶にSっ気が炸裂するがそれも稚気っぽいと解釈され、逆に親しみの誘因となっている。

 得体の知れない者をこの城に入れるのはと渋っていた面々も、今ではすっかり形を潜めている。

 大体、魔王様の好待遇振りを見れば、そう反対もしていられないのが現状だろう。

 そんなシホちゃん本人は、知ってか知らずか相も変わらず菓子作りに夢中だ。


「ミルクレープやミルフィーユのミルって、千枚って意味だそうです。千枚重ねたらどのぐらいの高さになりますかね」

「切るのが大変そうだな」

「泳ぐように食い荒らすのも手ですよね」

「……そうだな。菓子の海に彷徨いながら生きるのも一興だ」


 かなり高さを重ねるにはそれなりに大きさもなければ倒れてしまう。

 布団のように大きな生地を千枚重ねれば、切り分けるより食らい付く方が簡単だろう。

 多少下品ではあるがその大きな菓子の塊に埋もれながら食い散らかすのはちょっと楽しそうだ。

 俺の浪漫溢れる発言に魔王様も賛同し、お互いに夢を募らせて空を仰ぐと、シホちゃんは頬を引き攣らせながら苦笑する。


「流石にそれは……私は千回食べる方がいいですね」

「……そうだな、その方が良い」


 シホちゃんの感想に魔王様はあっさり意見を翻し、大きく頷いている。

 確かに現実を考えれば自分の体が乗った菓子を食うのは少々抵抗があるが、想像上での浪漫だと思う俺は危険思想なのだろうか?

 魔王様より重体だとは思いたくない。

 俺の愁いを察してか、シホちゃんが首を傾げて俺を不安げに眺めている。


「……何か大丈夫ですか? お二人とも、お代わり、いりますか?」

「勿論だ」

「ああ!」


 魔王様と俺の言葉にシホちゃんは破顔一笑し、空になった皿にミルクレープを載せてくれる。


 ……大きなミルクレープじゃ、シホちゃんが切り分けてくれないしな。俺も千回がいい。


 装われたミルクレープを頬張る俺達の姿を見て、シホちゃんは満足そうに微笑みながらカップを口に運んだ。

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