第三話:家庭教師とフィナンシェ

「……ドラゴンは、大きな羽を広げ、空高く舞い上がりました。魔王様に会える、その場所に、直ぐにでも会いに行きたいから……」


 ごきげんよう、九石さざらし史帆しほです。

 ……家庭教師がついたのでお嬢ぶってみました、すいません。


 そんなわけで今、私は絵本を読んでもらっている。

 部屋に置かれたテーブルセットの机には目の前に絵本が広げられ、私の横で家庭教師のお姉様(推定二十才)が前屈みで本を覗き、読み上げてくれている。


 柔らかいピンク色の長い髪からは二本の角が生え、白く透き通るような滑らかな肌、大きな緑色の瞳。通った鼻筋に艶やかなピンクの唇、柔らかく黒いダボついたクロークで覆われてはいるが、それでも分かる豊満なバストが目の前で揺れている。

 絵本の文字を指差す、細くしなやかな白い指もステキだ。

 とても同じ女とは思えねえ。

 思わずオス化しちまうよな! 冗談だけど。


 そんな眼福の理由は、一文字も分からないお馬鹿な私のために設けられた、文字の練習だ。

 然も、あまりに成果の上がらない私を見かねた家庭教師さんが、午前中も勉強時間を組み込んで欲しいと魔王様にお願いするほどだ。


 勉強の成果が出ないのは、ズバリ、やる気のなさだ。

 元々勉強嫌いであったが、余計やる気が出ないのは、この世界には菓子のレシピがない。

 つまり、菓子のレシピ本がない。

 読む必要がない。はい、論破。という状態だ。

 知らないことも聞いてしまえばいいし、本の必要性を感じないのだ。先生には申し訳ないけれど……


「……シホさん、聞いてますか?」

「は、はい! 先生!」


 先生が綺麗な顔の眉間に皺を寄せ、私の顔を覗き込む。


 ……スイマセン、聞いてませんでした……


 私が縮こまりながら俯くと先生は深い溜息を吐いた。


「……何なら興味を持ってくださるのか……」


 すいません、自分でもどうにかしたいんですが、勝手に集中力が切れるんですよ……。

 溜息を吐く先生に、私はペコペコと頭を下げる。ホント、申し訳ない……。


「そうだわ! シホさんはお料理が好きなんですよね?」


 先生が何かを思い付いたように両手を合わせて笑顔を浮かべる。

 そういえば先生は午後、菓子を食べた後に来ていたから、出したことがなかったな。

 説明が面倒なので、若干大雑把に肯定する。


「料理じゃなくて菓子作りですが……まあ、厨房で材料こねくり回してます」

「それでしたら、材料の名前を文字で書いてみませんか? その内、レシピとかも書いてみるのもいいかもしれませんね」


 なるほど。それだったら割と興味ある。

 同じ物を作れといわれた時、何を使ったのかを見直せるし、いいかもしれない。

 最悪、それは日本語でいいとしても、材料の入手を頼むのに種類が多い時は、メモが書けると便利だろう。


「いいですね、それ。大分興味が出てきました」

「それじゃ、早速材料をお借りしてきましょう!」


 先生と二人で厨房を適当に漁り、色々と部屋まで持ってくる。

 貴重な材料の多さに先生がちょっと引いていた。


「……シガルとチョクラがこんなにあるのは初めて見ました……流石魔王様ですね……」

「先生、シガルってこれですか?」

「はい、それがシガルです」


 私は砂糖の入った小瓶を掲げ、先生に尋ねる。

 厨房の砂糖は、巨大な樽のような物で保存されている。

 それが幾つも並んでいる家はないらしい。

 部屋には小瓶に詰めた砂糖を持ってきた。

 小瓶の砂糖は、上白糖と白ザラメの間くらいの形をしていた。


 とある野菜を煮詰めて取れる砂糖は茶色っぽく、そのまま使うこともあるが、精製して白くすると魔力を回復させる効能が付くそうだ。

 基本は、脳の疲労回復や栄養補給に役立つらしいが、過剰に摂取すると依存性が出てくるらしい。

 なにそれこわい。


 ……魔王様、手遅れかも?


 一日一人当たりの摂取量は、私が計量カップ代わりに使っているコップ一杯分くらいまでにしろと注意された。

 砂糖の形から見て、百五十グラムくらいだろうか? 流石にそんな量は摂ってないよ?!


「シガルという文字はこう書きます」


 先生は厚めの紙を紐で束ねたノートに文字を書いて、私に手渡す。

 そこには、蚯蚓ミミズののたくったような字が書かれていた。

 ……字が下手、という意味ではなく、ミミズが這い回っている絵しか見えない。

 取り敢えず真似をして書いてみるが、何かが違ったらしい。

 先生が苦笑して口元に手を添えた。


「他のものも書き出していくと、一文字の特徴が分かりやすいですね」


 先生は他のものの名前を告げ、文字をそれぞれ書き出してくれた。



* * *



 昼飯、長いテーブルの短い所、入り口から一番遠い席に魔王様が座っている。

 午後も授業があるため、先生も一緒だ。

 魔王様に近い長い部分、窓が見える方に座っている。

 私は多分扱いが使用人のはずだが、何故か一緒に食事をしている。

 なので、長い部分の扉を背にした場所に座っていた。


 ……出入り口に近い方が下座だった気がするが、大丈夫だろうか? ……何もいわれないので、ま、いっか。


「勉強はどうだ?」

「…………まあ……です」

「シホさん、頑張っておられますよ」


 魔王様が徐に話し掛けてくる。

 私が言葉を失っていると、先生がフォローの言葉を掛けてくれた。


 ……まあ、人間、そんな急に変われるわけもなく。


 勉強はボチボチ頑張るとして、菓子作りが本業だしね。


「そういえば、幾つか頼まれていたものが届いていたぞ」


 魔王様がコンセルさんを促し、私に大きな布袋を手渡す。

 そこには、幾つかの焼型が銀色の光を放ちながら佇んでいた。


 ……またミスリル製かよ? 高いと思うと使うのが怖いじゃないか。ガンガン使ってるけど。


 ともあれ、有り難い、今日の菓子は早速これを使おう。


「……あと、例のものも手に入ったから、後で厨房に持ってくな」


 私がいそいそと取り出した袋の中身を戻していると、コンセルさんがそっと耳打ちして教えてくれる。


 おお!手に入ったか! では是非それも使おう。


 コンセルさんは親指を上げてウィンクしてきたので、私も親指を突き上げるサムズアップする

 その様子に、魔王様が眉を顰めながらこちらを睨み付けた。


「他にも欲しいものがあったら私にいえ。コンセルには色々と仕事を頼んでいる。私が手の空いた者に指示を出す。その方が早く入手出来るぞ」


 やべ、マズかったのか。


 私はコンセルさんと顔を見合わせて肩を竦めた。



 素早く食事を済ませて足早に厨房へ向かうと、コンセルさんが話し掛けてきた。


「ほら、頼まれてたユナモの粉だ。もっと欲しかったら料理長にいえばくれるってさ」

「え?! 料理長って……ここの?」


 コンセルさんが頷きながら瓶に入ったアーモンドプードルを私の掌に置く。

 先日の勉強中、お茶請けにアーモンドが出たのでこれの粉がないかコンセルさんに聞くと「探そうか?」と尋ねてくれたので、有り難くお願いしてしまったのだ。

 コンセルさんも笑顔で了承してくれたし大丈夫かと思ったが、菓子作りは魔王様を通さないと駄目らしい。

 魔王様には返しきれないほどに恩があるので手を煩わせては申し訳ないと思い、気を回したつもりが裏目に出てしまった。


「すっかり菓子にハマってるからな、何でも知りたいんじゃないか?」

「……恋する乙女ですかい?」

「……近いものがありそうだな」


 コンセルさんは私の言葉に苦笑しながら、ハネの多いオレンジの髪をくしゃくしゃと掻く。

 菓子に恋とかキモい。……といいたいが、確かに見知らぬ好みの味には心躍り、ときめいてしまう。


 ……しかし、アーモンドプードルの出所がシロップおじさんなら、品質はお墨付きだ。これからはシロップおじさんに聞いてから、魔王様にお伺いを立てよう。

 私はこの城で食した、シロップおじさんお手製である美味しい料理の数々を思い出し、納得しながら調理台の前に立った。


 まず、鍋にバターを入れ、焦がしバターを作る。

 ボウルに卵白を入れて溶きほぐしつつ、砂糖と蜂蜜っぽい蜜を入れ、よく混ぜる。

 篩っておいたアーモンドプードルと小麦粉と溶かしバターを加え混ぜ、型に流し入れて二百度に温めておいたオーブンで一度焼く。

 今度は温度を少し下げて再び焼いたら、フィナンシェの完成だ。

 ちなみに、プレーンタイプと、紅茶っぽい茶葉をり潰して入れたもの、チョクラを入れたものの三種類を用意してみた。


「まあ! ……これが『菓子』……?」


 食堂に集まった魔王様とコンセルさん、そして先生と私の四人は、テーブルでお茶を飲みながらフィナンシェを頬張る。

 焦がしバターの香ばしい香りとアーモンドプードルの香ばしさが蜂蜜の甘味と合わさり、口の中でほどけていく。

 噛んだ瞬間は少しカリッとした歯応えがし、その中はふわっとしながらもっちりとした歯応えに、ジュワッと染み出るような甘味が堪らない。

 紅茶のフィナンシェも芳しい香りが口に広がり、後から広がる焦がしバターと蜂蜜の味に調和している。

 チョクラ味も、チョコとアーモンドの香ばしい味がお互いの長所を生かし合っていた。


「クッキーもいいが、これもまたいい。チョクラの特性を生かした見事な菓子だな」


 魔王様はチョコ味をお気に召したようだ。

 チョクラ中毒患者であるのは間違いなさそうだ。


「私はこのアンティの風味が好きです。甘い味と合うんですね」


 アンティは紅茶のことだ。

 先生は紅茶風味をお気に召したらしい。

 紅茶はストレート派ですね、先生。


「自分は、ギュールとユナモの香ばしい、これがいいですね! ……あ! 魔王様! それは自分のチョクラ味ですよ!!」

「お前は今、一番薄い色の方が好きだといっただろう。ならチョクラ味は私が貰う」

「強いていうなら、ですよ! そういう魔王様も、チョクラと薄い色、交換するといっても嫌ですよね?!」

「うっ! ……ああ。……しかしもう少し、チョクラ味を所望したい」

「それは自分も同じです!」


 ユナモがアーモンドだったので、ギュールがバターだろう。

 プレーンがいいといったコンセルさんのチョコ味フィナンシェを魔王様が奪おうとする。それをコンセルさんが必死で阻止している。

 結構な量を焼いたつもりだったが、規定の数以上は食べたい魔王様とコンセルさんは、交換すら是としない。

 

 ……どんだけ気に入ってるんですか!? 作り甲斐があるけど。


 そんな魔王様とコンセルさんのやり取りを微笑ましく見つめながら、先生はフィナンシェを口に運んでいた。


「とても美味しかったです、シホさん。また明日も御相伴にあずかれるのかしら?」

「喜んでいただけて嬉しいです。よかったら是非」

「本当?! 嬉しいわ!! ……ッッ!! こ、この状態が依存性?! ……でも……」


 先生は諸手を挙げて喜び跳び上がったと思ったら、憂い顔で考え込んでしまう。


 ……砂糖は結構入ってますが、一人当たり百五十グラムなんて到底いかないので、大丈夫だと思いますよ……。


「……先生、そろそろ授業の時間では……?」


 私の声に我に返った先生は壁の時計を見つめ、私を私室へと促す。


「それでは魔王様、失礼いたします。ご馳走様でした」

「ああ。しっかり教えてやってくれ」

「かしこまりました」


 魔王様の言葉に先生は『勿論』といいたげな熱を込め、ゆっくりとお辞儀をして部屋を出た。


 ……そんなに気合い入れなくていいです。まったりいきましょうよ……


 私が項垂れながら先生について歩くと、先生は突然奇声を発し、叫びだす。


「! 魔力が最大値より上がっている?! こ、これは一体?! ……これが菓子の力?!」


 真顔で振り向く先生に、私は首を傾げて先生を見つめ返した。

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