第一話:バター作りとベリーチーズムース

 私は異世界に来た途端、樽で海を漂い、魔王様に拾われて何故かクッキーを作らされた、女子高生の九石さざらし 史帆しほ だ。


 ……しまった。プロローグ前後編の全容が一行ちょいの説明で出来てしまった。

 まあいい。よく分からない人は、プロローグを読んでね☆ ということで。


 そんな私は今、魔王様の城で厨房を乗っ取って、生クリームやバター等の材料作りをしている。

 あの日以来、魔王様は事あるごとにクッキーを熱望するので、生地を沢山用意しておかなければ間に合いそうにない。

 始めはシェフに頼んで分けてもらっていたのだが、こう頻繁では食事作りに差し障らせてしまいそうだ。


 そこで新鮮なギューの乳を分けてもらい、自作し始めたというわけだ。

 大量に生産しなければならないため、同サイズで蓋付の瓶数本に牛乳を入れて、冷蔵庫に寝かせておいた物を取り出す。


「……よし、分離してるな」


 瓶の中の牛乳は、下部に色が薄くなった水分層が、上部がクリーム状の物に分かれている。

 この浮き上がっている物が生クリームだ。


 これは、元の世界で市販されている牛乳だと、低温殺菌牛乳やその一種であるノンホモ牛乳でないと、脂肪球が浮いてこないように細かく均質化(ホモジナイズ)加工されており、作れないらしい。


 ホモジナイズとは、牛乳に圧力をかけ、生乳に含まれる脂肪球を砕いて小さく均質化したものだ。

 均質化することで乳脂肪の分離を防ぎ、全体を同じ味に出来るそうだ。

 そのお陰で、始めが濃くて最後は薄いという悲しい事態を招かずにすむ、ということらしい。


 この『寝かせて生クリーム製法』は、母の実家が牧場を経営しており、小学三年くらいに訪れて教わった技だ。

 よく覚えていたものだと、我ながら感心する。

 牛乳は、クリームを少し残してまた冷蔵庫に寝かせておき、次の生クリームが出来るのを待つ。こうすると、層が混ざらずに分離してくれるのだ。

 待てなければ牛乳を振って分離させるのも一つの手だが、この後の工程のために今は止めておこう。


 出来た生クリームを容器に入れて、ひたすら混ぜるか振る。

 混ぜた時はホイップ状態を超え、更に泡立て続けると、乳清と脂肪分の粒に分離していく。この粒だけを取り出せば、無塩バターになっている。

 振った場合も同じように分離すれば、乳清とバターの完成だ。

 有塩バターにする時は塩を混ぜてから分離させればいい。

 しかし、牛乳から出来るバターは悲しいほどに少ない。

 それを延々と繰り返す。繰り返す、繰り返………………繰り…………繰……がああああっっ!!


 こうして作り続けていると、乳清も大量に出来上がる。

 この乳清を使ってもう一つ、材料を作るとしよう。

 

 私は周囲を見回し、事情を把握していそうな人物を捜す。

 短めで若干ハネの有るオレンジ色の髪、痩せてはいるが無駄のない実用性に特化した筋肉で埋め尽くされている体躯たいく。黒を基調とした短ラン風の制服(?)を着た男の額には、斜め上部へ真っ直ぐに伸びる一本角があった。ユニコーンの角が半分くらいの長さ、といえば、雰囲気も分かりやすいだろうか。

 かなり整った顔を半分壁に隠しているその男は碧色の瞳を光らせ、厨房の出入り口からこちらを窺っている。

 私はその男に向かって声を掛けた。


「おーい、側近さん! 頼みがあるんですがー!」

「あれ?! バレてた?! てか、俺の名前、コンセルっていうんだけど、もしかして覚えてないかな?!」

「あーそういえば。魔王様がいってましたね、コンセルさん」

「おうよ!」


 アレで隠れていたつもりだったのか、側近──コンセルさんは激しく動揺し、おどけた顔と動きで頭を掻きながら、私へと歩み寄る。

 近くまで来ると、表情を人懐っこい笑顔に変え、話し掛けてきた。

 角に見慣れない自分としては、隠れていてもチラ見えする角へどうしても目がいってしまう。

 それに、身長も百九十センチを超えているだろう。

 この厨房にそこまで大きい人がいないのもあり、かなり目立つ。


「レモン……凄く酸っぱいけど、爽やかな果物って何かないですか? 出来れば柑橘系がいいんだけど」

「酸っぱい果物かぁ。……ちょっと待っててくれ」


 私がレモン的な果物がないかと尋ねると、私の要求する果物がないか、厨房にいた人々に聞いている。

 小太りな中年くらいの料理人であるシェフが、大きさはリンゴくらいだろうか。柑橘特有の凸凹した皮を持つ真っ赤なミカンのような物体を、大きな籠の中から取り出した。


「これなんか、かなり酸っぱいと思いますよ」


 赤い肌の中年シェフは手に持っていたペティナイフでくるくると薄皮ごと剥き、その身を一房ごとに切り分け、私に差し出す。

 私は頭を軽く下げ、差し出された中身も赤いその身を一房手に持ち、少しかじる。


「!! うん、かなり近いです! てか、そのも……をうっ酸っぱ!!」


 レモンに似た香りが辺りに漂い、甘味さえ感じるその香りを受けながら口に入れる。

 柑橘特有の、爽やかな甘味が僅かに舌に広がり、それに追随して猛烈な酸味が押し寄せる。

 激しい酸味は更に勢いを増し、私は思わず口元を手でおおった。

 柑橘系の甘い香りに惑わされて強烈な酸っぱさに驚いたが、酸味も風味も、レモンのそれと酷似している。

 これなら大丈夫だろう。


「コレを数個、分けていただけますか? あと……ベリー系の果物ってありますか? 果物の……ベリー系……説明、難しいな……」


 苺の凹みを伴うツブツブとした表面や、ラズベリーの小さい粒が重なり合ったような外見、ブルーベリーのつるんとした表皮など、特徴が統一していない系統は、明示し難い。

 私が説明に頭を悩ませていると、中年の料理人さんは果物の入った籠を指差し、私に微笑み掛けた。


「果物系ならそこの籠に大体揃ってますよ。潰れそうなのは小さい籠に入ってます。味見もお好きにどうぞ」

「有り難うございます!」


 自分のテリトリーに乗り込んできた、異世界人とかいう訳の分からない人間に対し、何と心の広い人だろう。

 惚れてしまいそうだよ。見た目、赤い肌でちょっと若いジャ×おじさんだけど。

 そのままではマズいから、シロップおじさんと名付けよう。心の中で。


 私は何度もお辞儀し、その籠を覗き込む。

 あまり食い荒らしては申し訳ないので、鼻を利かせねばならない。

 小さな籠を開け、匂いを嗅いでは仕舞い、更に開けて匂いを嗅ぐ私は、傍から見ると不審者そのもので、さぞ不気味だったことだろう。

 ようやく苺らしき物体に辿り着いた私はそれを水で洗い、一口かじる。

 ピンポン球くらいある大きさで表皮は紫色、その歯応えもブルーベリーに似ているが、これは確かに苺だった。


 中身が真っ赤なそれは、フワリと苺特有の甘い香りが広がる。狂おしいほどの甘味と切ないほどの酸味が絶妙のバランスで、果汁が滴り落ちそうなくらいジューシーだった。

 赤い果肉は白いツブツブとした歯応えのある極小の種が所々に入っており、その感触が柔らかな果肉と対比し、飽きさせない食感になっている。

 私はその苺もどきの汁を懸命に啜り、一つ食べ尽くしてしまう。

 結構大きくて食べ応えがあるが、いくら食べても飽きがこないだろう。


「これも! 数個、頂いてよろしいでしょうか?!」

「ええ。どうぞ」


 嫌な顔一つせず、シロップおじさんは笑顔で了承してくれる。

 籠の中全部は見ていないが、取り敢えず、今日はこの辺にしておいてやろう。ではなく。これで十分だ。

 というか、これがいい。かなり気に入りました。


 私は有り難くそれを受け取り、再び作業へと戻った。

 まずは大きな鍋に乳清と牛乳を足し、弱火で煮詰めていく。

 中心部が固まってきて、それを布でせば、リコッタチーズの出来上がりだ。

 リコッタは、二度煮るという意味からきているそうで、牛乳の甘さを感じる、滑らかなフレッシュチーズだ。

 ちなみに、レモン汁か酢を乳清に加えて分離させたものを、カッテージチーズというそうだ。


 出来たチーズに、砂糖と刻んだ苺もどきにレモンもどき汁を入れ、よく混ぜる。

 バターにしないでとっておいた生クリームを、角が立つくらいによく泡立て、卵白も砂糖を入れてよく泡立てて固めのメレンゲにする。

 チーズに生クリームを分けて入れ、全部が混ざってからメレンゲも少しずつ混ぜ合わせ、それを砕いたクッキーを敷いた器に入れて冷やせば、ベリーチーズムースの出来上がりだ。


 出来上がったムースを試食する。

 新鮮な乳から作り出した生クリームやチーズに語彙力は通用しない。

 滑らかで口当たりが良く、コクのある乳製品の自然な甘味と、苺もどきの爽やかな甘味、そしてそれを引き締め、且つ引き立たせるレモンもどき汁の酸味と爽やかな芳香。さっぱりとしたムースにクッキーの下地がアクセントとなって調和している。


 歯応えのあるクッキーが食感となり、ムースは濃厚な旨味でありながらさっぱりとしており、柑橘の清々しい酸味も相まり、ベリーの甘味がそれらを纏めながら口の中で溶けていき、飽きることがない。

 新鮮な牛乳で作った乳製品菓子は格別だ。


「ふわ~! マジうま~!」


 思わず声を発して食べ続ける私に、周囲は視線を集中させて私の一挙手一投足を逃すまいと監視しているようだ。


「……俺も! 俺も食いたい!!」


 最初に沈黙を破ったのはコンセルさんだ。

 右手を上部へ真っ直ぐに伸ばす綺麗な姿勢のコンセルさんが、期待に満ちた曇りのない瞳でこちらを見ている。


「……どうしよっかなー」

「?!!」

「冗談です。どうぞ」


 素直に欲しがるコンセルさんが面白いので、ちょっと揶揄からかってみたら本気で落胆され、こっちが吃驚だ。

 コンセルさんにムースを手渡すと、コンセルさんは瞳に光を宿し、慌ててムースを食べ始める。

 急がなくてもムースは逃げないし、横取りしようとも思わないが。

 コンセルさんの様子にその場にいた他の人も、ムースを要求し始める。

 ムースを受け取った人々は、初めて見るおもちゃに釘付けになる子供のように瞳を輝かせ、和気藹々わきあいあいとムースを食べている。

 たまに、息をらしつつ瞳を潤ませてムースを食べる人々に、私の心もくすぐったいような嬉しいような、晴れやかな気持ちになった。


 そんな、穏やかで春に似た和やかな空間に、突如、禍々しい闇が漂い始める。

 気配を醸す方角に視線を動かすと、そこには、怒りに充ち満ちた鬼の形相の魔王様が、仁王立ちで周囲を見下ろしていた。


「……私を差し置き、何を勝手に食べているのだ……?!」


 怒りに身を震わせる魔王様に、その場にいた私以外、全員の顔色が一気に青ざめる。

 コンセルさんに至っては土色だ。

 魔王様抜きにお菓子を食べてたんだから、お菓子好きっぽい魔王様はそりゃ怒るだろうと思うんだが。


 私は冷蔵庫から一際大きな容器に入っているムースを取り出し、魔王様に差し出した。


「魔王様には、特大を用意しておきましたよ」


 魔王様に助けられて養ってもらっている身だ。魔王様の分を特別扱いしない訳にはいかない。


 見たこともない菓子を前に、魔王様は言葉を失い、ムースを奪うように受け取り、スプーンですくってあおるように食べ始める。

 ムースを頬張ってからは、先程の人々と同じように瞳を輝かせ、必死にムースをむさぼっていた。


 ……魔族さんは、アレか? 食べ物を奪い合う傾向でもあるのだろうか?


 魔王様のご機嫌な様子に、集まっていた人々も安堵の息を漏らし、再び瞳を輝かせてムースを頬張り始める。

 雰囲気はちょっとした立食パーティである。


 ……しかし、自分でいうのも何だが、敵対する人間が召喚した謎の異世界人に対して、皆さんは気を許しすぎではないだろうか?


 ゆるゆるな皆さんに、私の方が心配になってしまう。

 私は周囲を見つめながら残っていたムースを口に運んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る