第7話 復路は山越えー厄災遺物・ギデオンー


 明朝はよく晴れた。

 きっかりと日の出を見てとることができる空模様だった。

 集落を出立したアンバーとジィナは、港町で待つ老婆に手紙を返送するために、もと来た道を急いでいた。


「……貸本屋稼業って、案外体力があるんだ」


 干した甘芋を囓りながら、アンバーが背後を振り返る。

 貸本屋の男は、一晩で支度した急ごしらえの旅装備でアンバーたちの十歩ほど後ろをついてきていた。


「……それだけで食ってるわけじゃない。畑仕事も大工仕事もするし、近所に何かあれば男手として手伝いにもいく」


 男がぼそりと呟く。

 アンバーは興味なさそうに返事をした。


「そう。あなた、身のこなしも悪くなかったよ」

「……まあ、あんたのツレの人間離れした動きを見せられた後じゃ、褒められたところで嬉しくもないがな」


 徒歩の旅だ。

 時間はかかるがこれがもっとも目立たず、安全性が高い。

 往路と同じく山道を嫌って迂回するルートをとったとすれば、三日で港町につくはずだ。

 比較的、安全性の高い地域ではある。

 とはいえ、すでに明け方に集落を出た直後に、襲いかかってきた野盗をジィナが撃退している。短機関銃を使うまでもなく、モッズコートの下に仕込んだナイフによる無力化と回転式の拳銃ハンドガンの銃口を向けるだけで事足りたわけだ。


「だから言ってたでしょ、ジィナは強いって」


 自慢げに微笑むアンバーの横で、巨大な荷物を背負ったジィナが表情も変えずに歩いている。

 先を歩く二人を見て、男は思う。

 肩掛け鞄と手に干し芋を持っている以外に荷物らしい荷物もないアンバーとの対比が、かなり非人道的な雰囲気を醸し出している……ような気がしたが、さすがに口にはできないのだった。


「ところで、あんた、親父とは会ったのか?」

「いや。依頼人は君の……たぶん、お母上だった。お父上は患い付いて動けないんだそうだよ」

「……そうか」


 男はまた考え込むようにして押し黙った。

 ふと、アンバーが立ち止まる。

 がしがしと干し芋を囓って、小さく舌打ちをした。


「……? どうした」

「ねえ、きみさ」


 出立してから半日。

 男には見ることはできないが、アンバーが肩掛け鞄から取り出した封筒からは男に向かって糸が伸びている。

 ──先程までは金色の光を発していた糸が、黒くくすんでいた。


 アンバーは男を振り返る。

 彼女の背後には、高く高く山がそびえている。

 手紙の魔女は心底めんどうくさそうに言った。


「山道、歩ける?」


 ◆


 生きた人間同士を繋ぐ思いは、金色の糸を紡ぐ。

 手紙の魔女アンバーが紡ぐ縁の糸は、生者のものだけではない。

 その手紙を書いた当人か受け取り人、どちらかの命が尽きていれば、手紙から伸びる糸は──黒くなる。


「親父が、死にかけてるってことか」


 岩と石、濡れた下草と苔。

 険しい山道を急ぎながら、男は苦々しく呟いた。


「そういうことだ。急ごう」

「だが、この山を越えるなんて……道、わかるのかよ」

「問題ない。縁の糸は、受取人にだけ伸びてるわけじゃないの。差出人にも伸びてる」


 アンバーは、くっと目を細める。

 封筒から伸びる、黒ずんだ糸が二本になった。

 山向こうに伸びる糸の先を追いかければ、いかなる山道でも遭難することはない。


「ふぅん、つまり……差出人と受取人の間をつないでる糸に沿って、手紙を届けてるってことか」


 男が言うと、アンバーは意外そうに目を見開いた。


「ほー。案外、芯を食ったことを言うね」

「別に、思ったことを言っただけだ」


 魔法とやらのことはわからないし、魔女の手紙屋が語る縁の糸など見ることはできない。だが、アンバーのことは信用に値すると、男は判断していた。

 だから、アンバーの語った話を自分なりに解釈したまでのことだった。

 

「そういうわけで、私が手紙を届けている間は迷子にはならないよ。むぐっ」

「……そんなに干し芋が好きなのか?」

「集落の名物なのだってね。おいしいよー」

「それにしても食べ過ぎだろう」

「魔法というのは、お腹が空くんだ」


 むしゃむしゃと干し芋を食べながら、アンバーは山道を急ぐ。

 本当はこの干し芋は少し炙って食べたら、もっと美味しいだろうな──とぼやく。

 迷いのない足取りに、男はついていく。


 無駄口を叩く余裕はない。

 だが、沈黙のままに足を動かすには、長い道中だった。

 平地とは違い見通しが悪い山道だ。自然、アンバーたちと男の距離は縮まった。意地をはって、はぐれてしまうような愚を犯さずに済みそうだ。


「なあ、あんた本当に魔女なんだよな。あの、伝説の……」

「伝説かどうかは知らないけど」

「……本当に実在したんだな。魔術だの、魔法だの」

「魔女だの?」

「ああ」


 越境の厄災を退けた、強大な力を持つ存在。

 そういう伝聞と、干し芋をモリモリと食いながら歩いている不可思議な女が結びつかないのだった。


「いいよな。魔術ってのがあれば、なんでもできるんだろ」

「なんでもはできない。この世界の魔力も、昔よりうんと減っているから」

「魔力?」


 むむ、と男が首を傾げる。


「火を燃やすには、紙や薪が必要。火が燃えるのが魔術、紙や薪が魔力」

「なるほどな。わかるような、わからんような?」

「とにかく、人が道具を使って起こせる現象を即時起こしたり、大規模におこしたりすることは、魔術でできる」

「……待てよ、あんたの手紙運びは?」


 男の疑問に、アンバーは少しだけ立ち止まり、ニヤリと笑って振り向いた。


「うん。いいところに気づいたねー。これ、結構な高等魔術なんだ。理をねじ曲げる、奇跡に近いかも」

「……地味な奇跡だな」

「奇跡ってのは、得てして地味なものだよ」


 アンバーが呟いた、その瞬間。

 大荷物も武装も物ともせずに歩を進めていたジィナが、ぴたりと止まった。


「……どしたの、ジ──」

「黙って」


 ジィナが鋭い声で、アンバーを制した。

 その視線の先に、蠢くものたちがいた。


 耳障りな甲高い音が、断続的に聞こえる。

 キィキィ、ジィジィと唸っている、キカイの兵士たち。

 人の形とはほど遠い、四つ足から上半身が生えているのっぺらぼう。


 この世界にもたらされた異形の厄災。

 ──ギデオンと呼ばれる、イカイから投入された侵略兵器だった。


「ギデオンかー……このあたりは討伐されてなかったのか」

「面倒です。ゲリラ戦をプログラムされているかもしれない」


 アンバーとジィナは、その場から動かず静かに言葉を交わす。

 男は震えをおさえながら、なんとか言葉を捻り出した。


「おい、ギデオンって……ギデオンって……」


 死を、意識せざるをえない。

 ギデオンとは、イカイが開発した機械兵だ。

 集団で押し寄せ、機械的に破壊し、機械的に殺戮する。

 ただ事前に計画された通りに、暴虐を遂行する。

 

 ──この山の中に配備されたギデオンは撤収も駆逐もされず、残っていたらしい。


 越境の厄災の負の遺産(といっても、正の遺産など何もないのだが)は、『厄災遺物』と呼ばれている。


「この山を越える人間がいないわけだね」


 呟いたアンバーに、男が食ってかかる。


「あんたら、なに落ち着いてんだよ! に、逃げないと……俺たちは」

「逃げる?」


 アンバーがくすりと笑う。

 ギデオンに命じられているのは、ヒガン人の殺戮だ。

 逃げれば最後、どこまでも追跡されることになる。

 そのまま人里に逃げ込めば、ギデオンを狩り場に招き入れることになる。


 ──ならば。


「頼むよ、ジィナ」


 人と人を繋ぐ手紙屋が、道半ばでギデオンと遭遇した場合の最適解。

 それは、破壊だ。


「了解」


 刹那のうちに、ジィナが──跳んだ。

 目にもとまらぬ速さ。ジィナの立っていた場所には、たくさんの旅の荷物を詰め込んだ背嚢がドサッと重たい音をたてて落下した。

 

 ギデオンは動く物体に反応する。

 胸部に取り付けられたセンサーが、一斉にジィナを追って動いた。

 ジィナに異形の群体による掃射が降り注ぐ……はずだった。


「遅いです」


 短く連続した銃声ののちに、ジィナが一瞬前にいた場所の地面が捲れる。

 どご、どご、という鈍い音とともに数体のギデオンが破壊された。


 そう。

 ジィナは、同期された動きをするギデオンたちが銃弾を放った瞬間に、近くにいた一団の中に飛び込み、モッズコートの中に仕込んでいた獲物マチェットで数体を破壊したのだ。


「は……? なんだよ、あれ」


 男の声が震える。

 なぜなら、ジィナの動きは人間のそれではなかったから。

 銃弾の速度を超える駆動、大型ナイフひとつでギデオンを破壊する怪力。

 ──すべてが、ありえないことだった。


「あんなの、人間じゃあないだろ!」


 男が叫ぶ。

 それに反応した周囲のギデオンの銃口が男に向く。

 銃声。銃声。銃声。

 轟音とともに。

 ギデオンどもの上半身が崩れ落ちた。横転したギデオンの四つ足が空を切り、やがて停止する。

 ジィナの放った短機関銃の弾が、ギデオンの間接部を貫いたのだ。

 その間にも、ジィナは山中に潜んでいたギデオンどもの間を駆けて、破壊の限りを続けている。


 ──イカイのものは、イカイのもので破壊する。

 そう、これは極めて効率的な。


「うん、その通り。ジィナは人間じゃない」


 封筒を手にしたままのアンバーが、男を振り向くこともなく言う。

 魔女のすみれの砂糖漬け色の瞳は、彼女の従者の戦いを見つめたまま。


「人間じゃないって……じゃあ、やっぱりあいつも魔女なのか!?」

「違うよ、彼女はギデオンと同じ。イカイからもたらされた物品だ」

「イカイ、の……?」


 高度な機械文明イカイの産物。

 人と見分けがつかない人形。


「この世界への入植の際に投入された人型自立キカイ──それがジィナだよ」


 戦闘行為を主活動とはせず、入植するイカイ人の手助けと護衛を目的として運用されていた、極めて人間に近い高機能モデルだ。

 子守から戦闘まで。

 あらゆる用途に対応可能な、戦う少女人形。


「……終わりです」


 絶え間ない銃声と爆発音を奏でて、ジィナは歌うように呟く。

 その次の瞬間、周囲に蠢いていたギデオンはすべて機能停止していた。


「制圧完了、おつかれさまでした」


 ジィナは、擬似呼吸のひとつも乱さずに戦闘状況の終了を宣言した。

 完全に沈黙したギデオンどもに目をくれることもなく、放りだしていた大荷物を背負いなおす。


 自律式人型キカイは、未知の彼岸ヒガンに骨を埋めることになった人間たちの伴侶として投入された、模擬人格を有する機種だ。

 とはいえ。

 ギデオンと違うのは、個としての自律した行動原則を持っていることだけ。


 ──ジィナもまた、イカイからもたらされた厄災遺物のひとつである。


「おつかれさま。ありがとう、助かった」


 アンバーが労うと、ジィナはそっけなく返答する。


「いえ。ジィナはアンバーのお世話係ですので」

「だから、護衛でしょ……!」


 すっかり腰の抜けてしまった男は、二人のやりとりをポカンと口を開けたまま眺めていたが。


「先を急ぎましょう。歩けないのでしたら、運搬します」

「う、うわ! いやいや、歩けるって!」


 ジィナに両手で横抱きにされて──いわゆる、お姫様抱っこの状態で運ばれそうになり、慌てて立ち上がり、歩き始めたのだった。

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