第10話 もうひとつの依頼ー貸本屋の男ー



「さて、と」


 助け起こしたジィナとしばらく話し込んだのちに、アンバーは先程まで隠れていた岩穴にむかって歩く。

 火熊の死骸には一瞥もくれない。

 仕留めた獲物にも武勲にも、少しも興味がないようだ。


「……配達のご依頼だね」


 アンバーは、岩穴の中で放心している男に手を差し伸べる。

 傾いた日がアンバーの麦金色の髪を照らす。

 何通も積み重なった封筒の中から、男は一枚を選んだ。


「これは、初めて本を仕入れたときに書いた。越境戦役で放棄された町の本屋から、まだ読める本を拾ってきた。家を出てから五年経った頃のことだった」

「ああ、やっぱり」


 アンバーは思わず感嘆の声を漏らした。


「店に積んであった修繕中の本、どこから仕入れたのかと思っていたけれど……そう、あなたは廃れた街からあれらを拾い集めているの」

「ああ、数も頻度もたかがしれているが」

「できることを成すことに意義があるよ。あの修繕、すごく丁寧でいい仕事だった」

「お、おう。魔女に褒められるとはな」


 男が僅かに口の端を歪ませる。

 照れているようだった。

 アンバーは、男が持参した手紙を一瞥する。


「分厚い封筒だ」

「……そのときに仕入れた本の書き抜きが入ってる。にも理解できそうな短い本を書き写した」

「手間がかかったろうね」


 男は小さく頷き、続けた。


「こっちは集落の開拓に参加しはじめたとき。こっちは貸本屋をはじめた頃、妻と結婚したとき、娘が生まれたとき……」


 男は分厚い封筒を指差して、淀みなく語る。

 出せなかった手紙はすべて、彼のなかで積み重なっていた。


「……この手紙を、あんたに託せば。そうすれば、あの街への道はわかるんだな」


 わかりきった男の問いかけに、アンバーは頷く。

 男は封筒の山から、一通の手紙を取り出した。


「じゃあ、これを──」


 他の封筒とは違って、ごく薄手の封筒だ。


「……娘が生まれたときの手紙だ。血迷って両親に感謝の手紙を書いたことがある……これを、届けてほしい」

「その手紙を故郷にいるご両親に届ける。それが君の願いだね?」


 貸本屋の男は、頷いた。

 封筒に書かれた宛先をちょっと見て、アンバーはふわりと微笑む。


「──いいだろう、今、えにしの糸は紡がれた」

 


 手紙の魔女は、麦金色の髪の毛を一本引き抜く。

 貸本屋の男から預かった封筒から、金色の糸が伸びていく。


 最後の小さな照れ隠しなのか。

 男がアンバーに託したのは、父親宛の手紙ではなかった。


 封筒の表面。

 宛先を書くべきところに、彼の母親の名が書いてある。



 ……『アイーシャ』。


 それが彼の母──港町でアンバーに手紙を託したショールの老婆の名前だった。両親と絶縁し、自分の夢のために放浪し、そして根をおろした場所で得た貸本屋の男の愛娘と、同じ名だった。

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