手紙の魔女のおくり旅

蛙田アメコ

第1話 魔女の手紙屋

 海辺の街に、朝日が昇る。

 陸から海に向かって吹く風は、冬の匂いを孕んでいる。


 寂れた街の片隅にある安宿屋の二階。女が窓の外を、ぼんやりと眺めていた。

 開け放した窓の桟に気だるげにもたれ、毛布にくるまっている。


「……来ないな、お客」


 女が呟いた。

 麦金色の猫っ毛が、開け放った窓から拭き込む風に揺れている。

 すみれの砂糖漬け色の瞳が、朝靄にけむる海街をアンニュイに見下ろしている。

 ──さむい。

 女の唇が、小さく呟いた。


「おっと」


 びゅう、と一際強く拭き込んだ風に、室内だというのに目深に被っている大きなつば付き帽子を飛ばされそうになって、女は慌てて両手で帽子を押さえた。


「おはようございます、アンバー」


 アンバーと呼ばれた女は、振り返る。

 ノックもなくアンバーの部屋に入ってきたのは、彼女よりも十才ほど若い少女だった。

 白いブラウスに、サロペットつきのハーフパンツ。サイズの大きすぎるモッズコートを羽織っている。冬の早朝に海街を歩くには薄着だ。

 指ぬきのグローブをはめた手には、紙袋が握られている。


「なんだ、ジィナか」

「お客ではなくて、残念でしたね」

「マジでそう」


 少女──ジィナは、手にしていた紙袋を簡素なテーブルに置く。


「港町はいいです。よそ者でも、朝から食事の調達に困らない」

「ああ、漁師というのは大変だよね」

「昨夜もずっと、漁火いさりびを眺めていましたね。アンバー」

「うん。人の営みは美しいから」


 紙袋から

 何故ノックもなく、この部屋のドアを開けられたのかといえば、アンバーが宿屋から借りている鍵を、少女が持っているからだ。

 部屋には小さなベッドが二つ並んでいる。


「もう、この街に逗留して三週間。支払が膨らんでします」

「それは参ったね」

「アンバーがひとりで何人前も食べるからです」

「ジィナが食べないから、帳尻は合うでしょ」

「……明日には支払額が所持金を越えます、精算しないのですか?」

「依頼がなければ、動けない」


 窓の外に視線を戻しながら、アンバーが呟いた。


「……私が町から町を移動するのは、手紙を届けるときだけだ」

「妙な行動規範です」


 ずっと訊こうと思っていたのですが、とジィナが付け加える。


「それ、どうしてなんですか?」

「私がそういう風に、決めているから」

「……はあ」

「この答えじゃ、不服?」

「いえ。でも、道理が通りません。破産の危機ですよ」


 アンバーは室内であるにも関わらず被っているつば付き帽子のポジションを整えて、ちょっとだけ胸を張る。


「通らない道理を通すのが、魔女というものだからね」


 アンバーはそう返答し、ジィナは沈黙する。

 沈黙を破ったのは、あきれ果てた声色だった。


「……まったくもって、あんあんだーすたーんだぼー」

 

 魔女。

 かつて、この世界にあまねく存在した魔法を司る存在。

 『イカイ』からの侵略者を退け、世界を守った者たちの通り名だ。

 アンバーはその生き残り。古式ゆかしいつば付き帽子を愛する魔女である。


「それにしても、どうして依頼がないんだろ」


 アンバーが物憂げに嘆息する。


「ああ、それは──」


 ジィナが紙袋から揚げ菓子を取り出す。

 ふんわり丸くて、蜜と砂糖がたっぷりかかっている。朝から働く湾岸労働者の味方だ。


「──張り紙、剥がれてましたから」


 窓の外を眺めていたアンバーが、驚いた顔で振り返る。差し込んだ朝日が麦金色の髪をまばゆく照らした。


「……まじ?」

「まじです」


 揚げ菓子をアンバーの目の前に突き出しながら、ジィナが頷く。

 

「それ、いつから?」

「さあ。少なくとも、三日ほど前には」

「教えてよ、それ」

「命じられてませんので。そもそも、アンバーがちゃんと外出していれば気づいたはずです」

「……むぅ」

 

 ぐうの音も出なくなったアンバーは、差し出された揚げ菓子に無言で齧りついた。


「この海風で飛ばされたのかなー……」

「張り紙でしたら、また貼ればいいです」


 アンバーが揚げ菓子を食べている間、ジィナは宿の食堂から貰ってきた熱い紅茶を飲む──そうして、すっかり日が昇った頃。



「あのぅ。失礼いたします」


 安宿を訪ねる者があった。

 ショールを羽織った老齢の女だ。疲れた目をしている。


「この紙が風に飛ばされてきたんです」


 老女の手には、海風に晒されて少しだけ草臥れたチラシが握られている。

 アンバーが安宿に掲出した張り紙だ。


「……魔女の手紙屋というのは、こちらでしょうか」


 アンバーは立ち上がる。


「ああ、いかにも」


 口の端に揚げ菓子の砂糖をつけたまま、鷹揚に頷いた。

 ──手紙の魔女。それがアンバーの二つ名だ。


「私は魔女のアンバー。こっちは助手のジィナ」


 ショールの老女が差し出した張り紙には、部屋番号のほか短い文だけが書いてある。


──『魔女の手紙屋 宛てなき手紙、届けます』。

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