第6話 受取拒否


 ──集落は静かな場所だった。

 家と、畑と、わずかな家畜小屋。

 人が暮らすにあたっての、最低限の施設がある。

 事前に聞いていなかったら、ここに貸本屋があるとは思わないだろう。


「貸本屋は、ここだね」


 教えられた場所には、小さな家があった。

 ドアの前には、ハーブや栽培が容易な野菜のものとおぼしき鉢植えが並んでいる。集落の住人たちは、珍しい訪問者に遠慮のない視線を向けてきたけれど、そこに敵意は見当たらなかった。


 穏やかな住民でよかった。

 ジィナが携行する銃器は、ケートラックの夫婦に仲介してもらって村の顔役に預けてある。

 小さな集落だ。そこまでしなければ、急な襲撃に遭っても文句はいえないだろう──とはいえ、コートの下に隠すことのできるハンドガンやナイフの類は身につけたままである。


 何かあったときに、アンバーたちもみすみす殺されたいわけではないから。

 結果としてケートラックの夫婦には、何から何まで手配してもらってしまったわけで。アンバーはわずかながら謝礼を渡そうとしたのだが、固辞されてしまった。


「結局、受け取ってもらえなかったな」

「お札をそんなふうに固く握りしめていたら、受け取りづらいのではないですか?」


 ジィナが言うと、アンバーが唇を尖らせた。


「べ、別に謝礼を渡したくなかったわけじゃないもん」

「アンバー。それを渡してたら、残りの所持金は?」

「……ゼロ」

「まったくもって、なんせんす」


 大きな溜息をつくジィナ。

 それを無視して、アンバーが貸本屋のドアを叩いた。

 横からジィナが声をあげた。


「おーい。どなたかいらっしゃりませんか? たのもー、たーのもー!」

「……ジィナ。それじゃ討ち入り」

「そうですか?」

「あるいは、道場破り」


 しばらくアンバーたちがぼそぼそと喋っていると、からりん、という乾いたドアベルの音が響く。

 少し遅れて、きぃっと甲高いちょうつがいの軋む音とともにドアが開いた。


「どなたかな。まだ掃除中なんだ。本が読みたいなら、少し待って──」


 民家の中から出てきたのは、男だった。

 年の頃でいえば三十凸凹。静謐な空気を纏っている。

 痩躯にはどことなく、港町でアンバーに手紙を託してきた老婆の面影があった──そして、何よりも。


「ごきげんよう。あなたに、お手紙です」


 アンバーが差しだした封筒に絡まる金色の糸の端は、男の小指にしっかりと結びつけられていた。


「手紙? 俺宛にか?」

「ええ、そう」


 アンバーが頷く。

 男が片眉をつり上げる。


「妙な話だな。俺の居所を知る人間なんて、この集落の外にはいないはずだ」

「だから、私が届けたの」


 不可解そうな顔をした男に、アンバーは続ける。


「私はアンバー。手紙の魔女──人が思いを綴る限り、私はそれを届ける義務がある」

「魔女だと」


 男の表情がわずかに曇る。


「うん。宛先がどこの誰であろうとも、私は必ず手紙を届けることができる」

「ショボい魔法だな」

「きみがそう思うなら、そうかもね」


 アンバーが差し出した封筒を受け取ることなく、表書きを男は見つめている。


「……これ、親父の字だ」

「遺書、だそうだよ」

「何?」


 アンバーの発した「遺書」という言葉を聞いて、男は封筒を伸ばしかけた手をぴたりと止めた。

 すかさず、アンバーは封筒を後ろ手に隠す。

 せっかく遠路はるばる届けにきた手紙だけれど──


「追加情報が必要?」


 こてん、とアンバーが首を傾げてみせる。

 少し迷ってから、男は言った。


「……入れ」


 ドアを開いて、顎で中を示された。

 中に入ると、アンバーの身長ほどの書棚が五つ。それから、修繕途中の古本が平積みになっている。窓辺には花瓶がひとつ置いてある。


「これ、ドライフラワーだ」


 指先で花弁に触れて、アンバーが言った。

 男は答える。


「本を扱っているから、不用意に水は置かない」

「なるほど、理に適ってる。それじゃ、茶のひとつも出して貰えなかったとしても、私たちに対して敵意があるわけじゃなさそうだ」


 不揃いの椅子を勧められて、アンバーは浅く腰掛けた。

 ジィナはその後ろにモッズコートも脱がずに立っている。

 手にはまだ、男に向かって糸を伸ばしたままの封筒がある。


「改めて。私はアンバー。見ての通りの魔女。こっちは護衛のジィナ」

「アンバーのお世話係のジィナです」

「護衛ね、ボディガード」


 ご・え・い、と強調するアンバーに、ジィナは返事をしなかった。

 男が静かに、口を開く。


「それで、遺書ってのはどういうことだ。あの偏屈な親父が、世を儚むようなことはないだろう」

「詳しくは知らない。でも、ご病気だと聞いてる」

「ふうん。それで、俺に戻れってか」

「手紙の中身についてはわからない。けれど、あなたのお母様の言うには……謝罪だって」

「謝罪?」


 男は立ち上がる。

 その目には、明確な怒りが浮かんでいる。


「ふざけるな! あいつは……俺を認めようとしなかった。いや、俺じゃない。この書物を、人の積み上げてきた知恵を、無駄だといって聞かなかった!」

「そうか。まあ、私には関係ないことだけれど」

「関係ないだと……魔女だか手紙だか知らねえが、俺はあいつからの謝罪なんて──」


 激昂した男がアンバーの胸ぐらを掴もうとする。

 その、瞬間だった。

 静かにアンバーの後ろに佇んでいたジィナが、男の手を掴んでいた。


「……っ!」

「そこまで。アンバーから手を離して」


 掴まれた男の腕は、ぴくりとも動かない。

 驚愕の表情で、男は自分を制止した細身の少女を見る。


「こ、れも、魔女の……魔法か?」

「ううん。ジィナが強いだけ」


 アンバーの返答に、男はさらに驚愕を深くした。

 魔法だと言われた方が、まだ納得ができる。それほどの膂力だった。

 すっかり毒気を抜かれて、男は椅子に腰掛ける。


「すまん、カッとした」

「頭に血が上って手が出るタイプだっていうのがわかったよ、見た目に寄らないね」

「……それは皮肉か?」

「いや、思ったことを言っただけ」

「そうか。すまなかった」


 はぁ、と深く溜息をついて男はうなだれる。


「正直、俺の中では父はもう死んだことになってた。話すことなんてなかったはずだ、もう俺たちは決裂したんだ。俺は命がけであの町を出て、ここまできて、やっと……小さな貸本屋を──それなのに、手紙なんて今更……」


 手紙、というものは。

 どこまでいっても、一方的な伝達手段だ。エゴイスティックな行為だ。

 受け取る者が、時には戸惑うほどに。


「いや、いい。あんたには関係のないことだった」

「別に。手紙を届けるまでは、あなたは大事な受け取り人だから……ところで──」


 アンバーは大きく息を吸った。

 やるべきことがある、と思った。

 手紙を──書き手の思いを一方的に伝える媒体を届け続けているアンバーが、ふだんはできずにいることを。


「──ところで、これは独り言だけれど。もしも、あなたがこの手紙を受け取り拒否するのなら……私はこの手紙を、送り主の元に届けなくちゃいけなくなる」


 男が口を開く前に、アンバーは『独り言』を続ける。


「私とジィナは、強いよ。野盗も戦役遺物もモノともせずに、今日まで手紙を届けて町から町へ渡り歩いて生活してる」

「……何が言いたい?」

「まあ、有り体に言えば。私たちは、あなたを故郷の町に送り届けることができるってわけだね?」


 アンバーは封筒を、窓から差し込む光に透かす。

 男に向かって伸びる糸は、アンバーの髪と同じ麦金色に光っている。


「……あなたの父上は、まだ生きている。たぶん、まだ会話もできる状態だと思う──これは最期の機会だ」

「俺に、あいつと話せって?」

「嫌ならこの手紙を受け取ればいい。私の仕事は終わり……あなたは父上からの思いを、一方的に受けとる。そして、もう二度とあなたの思いが父上に届くことはない。遺書とは本来、そういうものでしょう」


 じっと。

 ただ、男は黙ってアンバーの言葉の続きを待つ。


「……これは独り言だし、仮の話だし、特に深い意味はないけれど。ねえ、ジィナ」

「なんですか、アンバー?」

「受け取り拒否になった手紙を私たちが返送するときに、もしも同じ方向に旅をする人がいたとして……追い払うようなことはしないよね」

「ええ、そうですね」

「ま、タダってわけにもいかないな。例えば、んー……食糧とかー食べものとかーごはんとかー……」

「アンバー、食い意地がはりすぎです」


 つまりは──アンバーは、男に提案したのだ。

 この手紙を受け取らずに、アンバーたちに故郷への護送を依頼せよと。

 破格の条件である。

 町と町の間の行き来は、命がけだ。実際、この集落から頻繁に外に出ているのは、ケートラックを所持している老夫婦だけだという。


「でも、俺は……」


 それでも、男は迷っていた。

 当然だろう。長いこと心の底に封じ込めて、解決を永遠に棚上げしていたはずの父との決別に向き合うことになったのだ。

 アンバーは椅子から立ち上がる。

 今ここでするべき話は終わった。封筒はまだ、この男の手には渡っていない──ならば、あの老女から手紙を預かったアンバーはこの集落からは動けない。

 その場合は、当面の宿泊場所探しをしなくてはいけない。

 よそ者がすんなりと居着けるほどに、この集落は安定していなさそうだ。


「ただの独り言だからね。私たちは答えを急がないけれど……話を来く限り、父上の命は待ってはくれないと思う」


 そのとき。

 アンバーたちの背後で、からりんと乾いたドアベルが鳴った。

 続いて、女性の声が小さな貸本屋に響く。


「お義父様に似ているんでしょ、その怒りっぽいところ」

「……おまえ」


 男と同じくらいの年格好の女は、小さな子どもを連れていた。

 その子どもは、男に──そして、港町の老婆によく似た面差しをしていた。

 どこからどう見ても親子だ。

 男はこの集落で、かつて港町で憧れた貸本屋になっただけではなく、伴侶と子どもまで得ていたらしい。

 会ったときには、どこか浮世離れした陰鬱な雰囲気をまとっていた男だけれど、妻子を前にするとどこか柔らかい表情をしていた。


「だが、おまえも分かっているだろ。何日も生身で外を歩くなんて……アイーシャだってまだ小さいんだ。わざわざ危険なことをする必要はないだろ」


 子どもの名前は、アイーシャというらしい。女性名だ。


「その人たち、強いって言ってるじゃない」

「口先だけだろう」

「違うでしょ。さっきそちらの小さなお嬢さんに、あなたちっとも歯が立たなかったじゃない」

「……見てたのか」

「窓からね」


 小さなお嬢さんというのは、ジィナのことだろう。

 たしかに細身で小柄なジィナは「小さなお嬢さん」と形容するに相応しい。


「それに、さっき干し魚を買いに行ったときに、お店のご夫婦に聞いたのよ。この人たち、本当に二人だけで旅をしていたんだって……遠目に見ても、只者じゃないのはわかったって」


 勝ってきた干し魚は、壮年の夫婦が彼の故郷から仕入れてきたものだろう。

 歩けば三日の道も、ケートラックならば一日走れば事足りる。暗闇を照らす灯りといい、獣や野盗の襲撃から逃げ切れる走行速度といい、なんと心強い乗り物だろうか。

 本来はイカイ製である燃料の調達さえ問題なければ──という条件つきだが。


「あのお店のお二人、昔は名の知れた傭兵だったっていうじゃない。集落ができるときに用心棒として住み始めた人たちでしょう? その人達が言うなら、間違いないと思うわ」

「だが──」

「なによりも、あなた」


 夫の言葉を遮って、妻は言った。


「いつも言っているじゃない。『この本を書いた人と言葉を交わせたら、どんなにいいだろう』って」


 一方的に届けられる手紙と同じ。

 どんなに本を愛しても、読み手の言葉を頁の向こう側の著者に届けることはできない。対話することは、できない。


「……手紙を書いた本人と話せる機会があるのに、あなたは逃げるの?」


 妻の言葉に、男は沈黙した。

 しばし、静寂が貸本屋を包む。

 あちこちに積み上げられている修繕途中の本をアンバーは観察する。どれも丁寧に汚れを払われている。よく手入れされている、と思った。

 誰にも読まれなくなり、朽ちていくはずだった言葉を拾い集め、繕って、また読み手に届ける──男はそういう人生を選んだようだ。


 ──それはきっと。彼が生まれ育ったあの町では叶えられなかった道なのだろう。目の前に海ばかりが広がる港町では、なし得なかったことなのだろう。


「ぱぱ」


 沈黙を破ったのは、男によく似た子ども──アイーシャだった。


「ぱぱ、だれかとケンカしたの?」

「アイーシャ、いや、その……」

「おともだちとケンカしたら、ちゃんと、おはなししなくちゃいけないんでしょ?」


 我が子の言葉に、男は小さく息を呑んだ。

 それは、男が常日頃から我が子に話して聞かせていることだった。


「ゆるすかどうかは、おはなししたあとに、きめるんだって」


 まっすぐな幼子の言葉は、男を動かした。


「そうだな。うん、そうだよな……ありがとう、アイーシャ」


 男は立ち上がる。

 そうして、椅子に腰掛けたままのアンバーとその後ろに佇むジィナの顔を、交互に見つめて、小さく頭を下げた。この国の、目礼だ。


「すまん、その手紙は受け取れない──送り元に、返送してくれ」


 手紙の魔女は、薄く微笑んだ。

 届けるべき手紙は、必ず届ける。それが彼女のやり方だ。

 今回は、そう。


「……どうやら手紙が、人に化けたようだね」


 アンバーはゆっくりと立ち上がる。

 窓の外で、すでに夕日は沈みかけている。


「行くよ、ジィナ」

「はい」


 動いた拍子にアンバーの腹から「ぐぅうぅ……」と間の抜けた音が響いた。


「……ごめん」

「揚げ菓子は食べきっちゃった。道中の食糧、調達できるかなー」

「そうですね。この集落に備蓄があるとも限りません」

「まあ、詳しい人がどうにかしてくれるよー」

「出立はいつですか」

「……明朝。日の出とともに。早いほうがいいからね」

「では、それまでにジィナの武器を返却してもらえるように言っておかないといけません」

「あー、そうね。忘れてた」

「アンバーはやはり危機感がないです」


 魔女と従者は、やたらと大きな声で会話をしながら貸本屋を後にした。


「……まさか、むこうから手紙が送られてくるとはな」


 そう呟いて、男は大きく溜息をついた。 

 彼女たちを見送って立ち尽くす彼の背に、妻がそっと手を添える。


「……安心して行ってきなさいよ。私も、アイーシャも大丈夫だから」

「うん。アイーシャは、もうすぐおねえちゃんだから」


 我が子の言葉に、男はそっと指先で妻の腹に触れた。

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