第12話 港町からの遺書


 遺書だなんて、たいそうなものではなかった。

 稚拙な字で、文章とも呼べない文章で、ただ書かれていた、父の悔恨。


 数十年ぶりに訪れた、かつてと少しも変わらない港町。

 夕暮れには茜色の空を真っ白い海鳥が飛び、朝焼けの水平線をちっぽけな漁船がゆく。他の街との交易に出かける船なんて、ほとんど立ち寄ることはない。


 閉鎖的で、時間の止まった俺の故郷。

 夜明け前、親父の亡骸を乗せた小舟が海の彼方にむけて旅立った。

 沖合のある地点まで小舟を引いていくと、波が遠くへ死者を連れて行ってくれる。


 死者のお供として、灯籠を一緒に海に流す。

 夜明けの波間に浮かぶ弔いの炎。

 

 これが昔からのやり方だ。

 自分の魂が海に還ることを、この街の人間は心底から受け入れている。だから、ほかの方法で弔うことはない。

 越境戦役でたくさんの人間が死んだときには、小舟が足りないほどだったという。


 すっかり日の高くなった頃。

 俺は葬儀を終えて一段落ついた実家のダイニングに腰掛けていた。


 こんなに椅子は小さかっただろうか。

 そして、こんなに実家はガランとしていただろうか。


 涙ひとつ見せることもなく親父を立派に見送った母に、俺は尋ねてみた。

 母は台所に立っていて、親父の好きな巻き貝を茹であげたところだ。

 大鍋に山盛りの貝が湯気を立てている。潮の香りが家に充満する。


「……親父は幸せだったのだろうか」


 記憶と変わらない街で、記憶よりもずっと小さくなった母親が即答する。


「当然、幸せだったに決まってる」


 なんの疑問も抱いていない、まっすぐな言葉だ。


「最期の何日か、あんたと会えて、きちんと話せて。奇跡みたいじゃないか……きっとあの人なら、こう言うだろうね」

「悪くない、って?」


 俺が言うと、母は少しだけ驚いた顔をした。

 そうして、俺が幼い頃に、若き母が夫である親父のことを見つめていたのと同じ表情で俺をじっと見上げた。


「ああ、そうさね。悪くないって言うだろうね」


 きっと、親父がこの人のことを愛していたのと同じように、この人も親父のことを「悪くない」と思っていたんだろう。

 小さな集落の貸本屋で俺を待っているであろう妻と娘の顔を思い出した。


「……そういえば、魔女の手紙屋は見つかったのか?」


 母は小さくかぶりをふる。

 あの麦金色の髪の、美しい魔女。

 突然の配達依頼の代金を払う宛てのなかった俺は、彼女がやたらと道中で食べていた携行食の干し芋をありったけ押しつけた。


 彼女のおかげで、俺は生きている親父と話すことができた。

 書き写していた本の一節を、まどろむ親父に読んで聞かせた。


 父が息を引き取ったあと、俺と母親はあの魔女と機械少女の二人組を探し回った。街に唯一の宿に連泊しているはずだと聞いたが、あの馬鹿みたいに目立つ大きなつば付き帽子を、何度尋ねても見つけることはできなかったのだ。


 あの地味で不思議な魔法で、手紙から伸びた糸──はっきりとは見ることはできなかったが、道中で何やら細工をした魔女が「これなら見えるかい?」と声をかけてくれた瞬間に輝く糸を、いっときだけ見ることができた気がした。


「きっと、またどこかへ手紙を運んでいったんでしょう」


 そうに違いない、と俺は思う。

 ああ、そろそろ帰らないといけない。

 もうじき集落の顔役の夫婦がケートラックで野菜を売りにくるはずで、それに同乗させてもらおうと思っている。


 山道はもう、こりごりだ。

 

 集落までに立ち塞がる山を迂回して帰っても、一昼夜あれば到着するらしい。イカイの乗り物というのは、便利なものだ。


 窓の外。

 街の外側に広がる陸地と、空を見つめる。

 自分なんぞに見えるはずもない、金色の糸を空の青の中に探しているのに気がついて、俺はなんだかおかしくて、少し笑った。


 このたった数日間の冒険を、書き残しておくのもいいかもしれない。

 娘のアイーシャが大きくなって、それを読んだらどんな反応をするだろう。


 そんな未来はなんだか、悪くないような気がした。



























---


 ──おまえへ。


 むしのいいお話だけれど、この手紙をおまえがよむことがあったのならば、ばかな父親の、い書だとおもって、よんでほしい。


 そのあとは、捨てても、かまわない。

 

 字を、書くのは、いつぶりかも。おぼえていないが、よめるかどうか、さきに、かあさんに、よんでもらうつもりだ。


 海で生きることしか、知らなかった。

 自分の知らない道を、おまえに歩ませることを、ゆるせるだけの、器量もなかった。もう、奇跡のひとつも、おきないければ、おまえにあうこともないだろう。だから、これをかいている。


 どこかで、元気で生きていてほしい。

 いつか、生きて、これをよんでくれたなら。

 それを想像すると、おれの一生は、わるくなかったような気がしてくる。


 おまえが、本をなりわいにしたいと、おもったのは、こういう気持ちを、おまえが小さなころから、知ってたからなのかと思う。


 おまえは、すごいなあ。


 おれが、アイーシャのことを、わるくないと思っているように、おまえにも、だいじな人ができたらいいと思う。


 どうか、どうか幸せで。

 


 父



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『手紙の魔女のおくり旅』

       ──港町からの遺書 【終】












◆◆◆


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手紙の魔女のおくり旅 蛙田アメコ @Shosetu_kakuyo

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