第10話 ミズカ様にまた踏みつけられる
鳥獣や虫の声、草花が風に擦れる音が遠くなっていき、目の前に一つの幻影が現出する。
髭を蓄えた厳めしい顔つきをしたその男性は、六尺半はあろうかという巨軀に豪壮な鎧を纏っており、頭には並の人間では首が折れてしまいそうな重厚な兜を被っている。
アシットはその巨漢に向け、構えをとった。
「……」
幻影は動かない。構えに応じることもなければ、こちらに向かってくる様子もない。
アシットはそれを動かそうと試みるが、うまくイメージができなかった。
「……くっ」
一度眼を閉じ、また開くと、その男は満面の笑みを見せていた。
豪放磊落に笑っていたり、落ち込む自分を親身に励ましてくれたり、豪快に飲み食いをしていたり、可憐な村娘に傷の手当てをしてもらい柄にもなく照れていたり。
——戦士カッサードをイメージしようとすると、どうしてもそんな姿ばかりが思い浮かんできてしまう。
「……ダメだ」
アシットは諦め、再度眼を閉じた。次に開いた時には幻影は消え失せていた。
山の音が蘇ってくるのを感じながら、彼はその場に座り込み、頭を抱えた。
「……やっぱり無理だ」
大賢者ミズカから、仲間として認めてもらうための条件を突きつけられてから三日間、幾度か相手を変えながらイメージトレーニングを試みてみたが、どうにも上手くできないでいる。
改めて仲間たちの顔を脳裏に浮かべてみる。
勇者・ラギ=シューラ
戦士・カッサード=ウェイズ
魔道士・コリリーマ=フォレス
神官・キナサ=グレイザー
旅芸人・ビーノ
盗賊・ケイ=イノベット
「そして……大賢者・ミズカ=フラムメント」
呟き声が微かに震える。その中の誰かを倒さねばならない。
戦闘力という面においてもきわめて困難な課題であるが、アシットにとってそれ以前の問題があった。これまでともに助け合い、幾多の苦難を乗り越えてきた仲間たちと戦うことを、彼はどうしても想像できない。
ちなみに、無理難題をふっかけてきた張本人である大賢者ミズカが相手ならどうかと試みてもみたが、自らが創り出した
「はぁ……」
俯いて深いため息をつき、一匹の蟻が地面を這っているのを虚ろに眺める。
またすぐにため息が出ようとしたその瞬間、頭部に激しい衝撃が走り、アシットは地面に埋まらんばかりに顔面を強打した。
「——!?」
いきなりのことに悲鳴を上げることすらもできない。
慌てた蟻が、あさっての方向に逃げていく。
「うう……う……」
衝撃の後にやってきた激しい痛みに呻き声が漏れ出した頃、頭上から涼やかな声が聞こえてきた。
「フム。危うく着地点にいた蟻を踏んづけてしまうところだったけど、どうにか回避することができたわ。小さな生命を守ることができて僥倖ね」
「……できれば俺の小さな生命にも気を配ってほしいんですけど」
「大丈夫よ。貴方がギリギリ死なないラインはちゃんと心得ているわ」
「できればギリギリは攻めないでほしいです……」
大賢者が後頭部に乗っかっているために、地面にキスしたままの体勢から顔を上げることもできず、アシットは弱々しくお願いするのだった。
「悪く思わないでね。とある事情で、飛翔石をより高いレベルで使いこなさなくては気が済まなくなったので、今日は最高速度を大幅に更新して飛んでいたの。それでいて惨劇は回避できたのだから、やはり大賢者の名は伊達ではないわ」
「はあ」
ようやく頭の上から降り、よくわからないことを言っているミズカには生返事ぐらいしかできない。
「ところで、どうしてまたここに?」
「どうして?」
彼女が来るたびに罵詈雑言を浴びたり、物理的にダメージを負わされたりしているアシットとしては警戒して当然なのだが、言われたミズカは僅かに眉を顰めた。
「まるで私に来られるのが迷惑みたいな言い
「いえ、そんなことは……」
肯定したいのは山々だったが、さすがに無礼だろうと思い留まる。自分と彼女とは厳然たる身分差があり、本来なら幾度かの逸脱した行動や言動を咎められてもおかしくないことをアシットは自覚していた。
「まあいいけどね。私がここに来た理由? そんなの決まっているじゃない」
「なんです?」
「仲間として認めるための条件を出して三日、万一貴方が潜在能力を開花させ得るような修行に取り組んでいたりしたら邪魔してやろうとかは露ほども思っていなくて、どうせ今頃己の貧弱さに絶望して惨めな姿を晒してるだろうから、それを見物しに来たのよ」
なんて性格が悪いのか。或いはこの人となら心置きなく戦えるかもしれない。勝てるかどうかは別として。
そんな思いが先に立ち、アシットはミズカが妙な言い回しをしていることには気がつかなかった。
「それにしても予想を超えていたわ。まさか地面に蹲って、アリンコを虐殺してうさ晴らししているなんて」
「そんなことはしていませんっ!」
「そう? 日頃の貴方の挙動を鑑みると俄かには信じられないけど……そこまで言うなら、蟻殺しのレッテルは一応貼らないでおいてあげるわ」
「俺のこと、どういう風に見てるんですか……」
随分な言われように脱力し、アシットはそれ以上反駁する気概を消失する。
「別に貴方のことなんて見ていないわ。むしろ視界に入れたことは一度もないわ」
「そうすか……」
そんなラリーを経て、ミズカは質問してきた。
「ところで、蟻ジェノサイドを行なっていたので無いのなら、一体どうして蹲って地べたなんて見ていたの? 私が生活している王宮ではあまりそういう人見かけないんだけど」
「そりゃそうでしょうけど……」
ここで言葉が途切れる。少しの間が空いた後、アシットは俯いた。
「やはり仲間と戦うというのは、ちょっとしんどいというか、想像もできないというか……」
絞り出すように言うアシットを、ミズカは平坦な眼で見やり、平坦な口調で所感を述べる。
「この期に及んで、随分と甘ったれたことを言っているのね」
平坦ではあるが、その言葉には少なからず呆れが込められているようにアシットには思えた。
「死ぬ気で努力するとか言いながら、そのぐらいの覚悟もできないなんてね」
「で、でも、別に俺が強くなることと、仲間を倒すことはイコールでは——」
「いいえ。イコールよ」
「えっ」
きっぱりと言われ、戸惑いを見せるアシットに、ミズカは特に様子も口調も変えずに言葉を続ける。
「ちょっとした事情があってね、どうあれ誰か一人にはパーティーを外れてもらわねばならないの」
「え……えっ?」
「だから貴方は、勇者パーティーの一員に復帰するには誰かを打ち倒さなければならない」
「そんな……」
「つまり、万一貴方が誰かに勝ったとしたら、負けた者は貴方の代わりに追放されることになるのよ」
いたって普通の業務連絡といった雰囲気で、大賢者はそんなことを告げてきた。
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