第2話 ミズカ様に告げられる

 大賢者——王都に仕える賢者たちの中でも、抜群の能力・実績を認められた者のみに与えられるその称号を名乗れる者は、現在においては僅か三名しかいない。

 その一人、歴史を遡っても類を見ない若さで大賢者の称号を与えられた天才、ミズカ=フラムメントの名は大陸中に知れわたっている。今は王の指令により勇者パーティに加わっており、アシットにとっては仲間の一人だった。


 ただ、これまで彼女とまともに口を聞いたことはなかった。自身のみならず、彼女が仲間の誰かと会話している場面を見た記憶もほとんどない。

 彼女の声を聞くのは、冒険を進めていく上での方針決めや作戦会議など必要最低限のやりとりをする時ぐらいで、それもほぼ勇者としか言葉を交わさない。

 そんな彼女のことをパーティの一員である女盗賊は『お高くとまったエリート女』と吐き捨てるように言っていたが、アシットは気品漂う物静かな才媛であるミズカに対して、一種の憧れのような感情を抱いていた。もちろん男女としてどうこうなどと大それた懸想をするのではなく、遥か高嶺の花として眺めるだけではあったが。


 その高嶺の花が、突如目の前に現れた。

 たなびく金色の長い髪、透きとおるような白い肌に凛と整った目鼻立ち、ゆったりしたローブに身を包んでいながらもはっきり伺えるスタイルの良さ……アシットは息を呑んで見つめることしかできない。

 しかし、彼女の薄く形の良い唇から流れ出てくるのは、棘付きどころか鋭利な言葉の刃だった。


「驚いたわ。勇者の仲間というか子分というか付属品みたいなものとはいえ、一応一緒に戦っている人たちの中に、こんなクマちゃんすら一撃で倒せない弱小がいるなんて。しかも反撃されそうになって『ひぃ』とか腰を抜かしそうになるとか。貧弱すぎてタンスの角に小指をぶつけて死んでしまわないかとても心配」


 その表情は露骨に攻撃的だったり、嘲るようなものではなく全くの無。感情のこもっていない目で、アシットを見下ろしている。

 彼は浴びせられた言葉に傷付くでも反発を覚えるでもなく、まず理解に苦しんだ。王都にいる筈の大賢者がどうして今ここに現れ、自分と言葉を交わしているのか。


「えっと……どうしてここに?」

「まずはお礼」

「えっ?」

「『危ないところを助けてくださりありがとうございました。あなた様がいらっしゃらなかったら、私めのようなザコ助は今頃ズタズタにされて熊の餌になっていたに違いありません。どうか靴を舐めさせてください』と言って這いつくばるのが社会人の礼儀というものでしょう?」


 表情一つ変えずにそんなことを言われ、アシットは大いに戸惑ったが、とりあえず頭を下げておく。


「えっと……実際油断してて危ないところでした。どうもありがとうございました」

「お礼なんていいのよ。水くさいわね」

「えー……」


 そうは見えないが、もしかしたらふざけているのだろうか。

 首を傾げるアシットに、彼女から更に手厳しい言葉が飛んでくる。


「問題なのはさっきの戦闘よ。あれは一体何? 悪い意味でとても驚かされたのだけど」

「う……」

「油断してたというのも大問題だけど、さっきも言ったようにこの程度の敵を一撃で倒せないというのがそもそも問題外。そんな人が勇者パーティで前衛の一角を担っていたなんて、笑い話を通り越してもはや怪談ね」


 消し炭になった魔獣の骸を見下ろしながら紡がれる言葉には一切の淀みがなく、内容を気に留めなければとても耳心地良い声だった。

 しかし美声に聞き惚れていられる状況ではない。急に彼女がこの場に現れたことへの驚き、寡黙な彼女が唐突に喋りまくっていることへの戸惑い、辛辣なことを言われているばつの悪さ、様々な感情が相俟って、アシットは混乱状態に陥っていた。


「しかも何だか痛い台詞を吐いていたわね。『このオレ様に出くわすなんて運が悪かったな。安らかに眠れベイベー』とか何とか」

「そ、そうは言ってなかったと思うんですが……」


 だが似たようなニュアンスのことは口走っていたかもしれない。そんなところも見られていたと知り、アシットはみるみると赤面していく。


「極めつけは、我が耳を疑ったのだけど……何か技名付けてなかった?」

「うっ……」

「ただの不格好なカエル飛びアッパーに何やら大層な名前を付けてはしゃいでいたけど、あんなの戦闘中に披露したらみんなお腹抱えて笑ってしまって、一気に戦局が不利になってしまうデバフ行動に他ならないわ」


 ……きっとこれは仲間としての叱咤激励なのだろう。

 そう自分に言い聞かせながらも、いつの間にか涙目になっているアシットは、これ以上は心が保たないと判断したのか、話頭を転じようと試みた。


「あ、あの、ところでどうしてこんなところに?」


 質問されたミズカは急に無言になり、じっとアシットの顔を見つめてくる。


「…………」

「えっ? なな何ですか?」


 顧みると今日まで彼女と目を合わせたことなど一度もなかった。アシットは己に向けられたその蒼く潤んだ瞳に吸い込まれそうになった。


「も、もしかして、魔王軍に何か動きでも?」


 挙動不審に目を泳がせながらの問いかけに、ミズカはそっと首を横に振る。


「じゃあコネジア領の方で何かあったとか?」


 その質問にも首は横に振られる。


「じゃあ一体どうしてここに……?」


 ミズカはほんの一瞬斜め上方の虚空へ目を逸らし、またフラットな目でアシットを見て、口を開いた。


「魔王軍との戦い……今は一時休戦中だけど、いつ再開してもおかしくない情勢と言えるわ」

「ええ」

「そしてその時はもう行き着くところまで。魔王を滅ぼすか、人類が全滅するかの正真正銘のラストバトルになる」

「そうですね……」


 内心で首を傾げながらもアシットは頷いた。

 そんなことは改めて言われるまでもなくわかっているし、覚悟もできている。


「それで、その決戦の前に、どうしてもあなたに伝えたいことがあるの」

「えっ!?」


 思わず頓狂な声が出てしまう。

 憧れの女性ひとに伝えたいことがあるなどといきなり言われ、動揺しないでいられるような経験値は全く獲得していない。


「えっと……俺に、伝えたいこと……ですか?」


 早鐘のような鼓動を悟られぬよう、アシットはどうにか声を落として話を繋げる。


「ええ……いきなりで驚いてしまうかもしれないけど、私、あなたのことずっと見ていて……自分の心に秘めておこうとも思ってたんだけど、戦いの前にちゃんと伝えておかなきゃって……」


 相変わらず声に抑揚はないが、何か特別な感情が微かに篭っているようにも思えてきた。

 アシットはこれまでの人生で感じたことのない戸惑いと浮遊感を押し殺し、その一言一言を決して聞き逃すまいと、しっかりと彼女のことを見据えた。


「実は私、あなたのこと……」

「はい……」


 スゥと息を吸い、ミズカは思いを口にした。


「今すぐ蒸発してほしいと思っているの」


 蒼く澄んだ瞳がアシットを捉えて離さない。それはとても真剣で真摯な眼差しだった。

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