第5話 ミズカ様に詰められる

「下世話ね! どうしたらそんな下世話な発想が出てくるの!? 貴方って悪の親玉ゲセワー総統なんじゃない!?」


 常に沈着冷静、扉のない部屋で天井がゆっくり落ちてきても、見るもおぞましい異形の怪物モンスターの奇襲を受けても何ら動じたところを見せなかった大賢者が、頭から湯気を出す勢いで声を張り上げている。

 この時のアシットには、頰を打たれた痛みや衝撃よりも、そのような姿を目の当たりにしての困惑の方が幾許いくばくか大きく感じられた。


「えっと、あの……すいませんでした」


 とりあえず謝るしかない。

 高位の大賢者相手ではなかったとしても、女性に対して甚だデリカシーに欠ける発言だったことはすぐに自覚した。何故あんなことを口走ってしまったのかわからなかったが。

 アシットの深々下げられた頭を見て、ようやく落ち着きが戻ってきたか、ミズカは息を整え、つとめて気にしてない風に言った。


「……ま、どう思ってくれようと自由だけどね」


 しかし、続ける言葉には容赦のなさが増していた。


「とにかく、これ以上は問答無用よ。納得できないならしなくてもいいから、納得しないままどこかへ消えて」


 もちろん納得はできない。できるわけがない。

 しかし、彼女の言うことは間違いで、自分はパーティにとって有用な戦力であると力強く主張できるかといえば否だった。

 主観的に見ても、勇者はもちろん、同じ前衛の戦士と比べても火力、耐久力ともに自分の方が劣後するのは事実だ。盗賊や旅芸人のように搦手からめてとなる技能を持っているわけでもない。

 それは自分自身誰よりもわかっていたが、それでも努力を積み重ねて肉体を鍛え上げ、数々の敵と戦ってきた。自分の仕事がここまで評価されていないとは思わなかった。


「でも……」

「問答無用と言った筈だけど?」

「……俺がパーティから抜けるにしても、せめて勇者アイツに一言言ってから……」

「ダメよ」


 言い終わる前に、にべもなく一蹴される。


「もし貴方から離脱すると申し出られたら、情に篤い勇者様のこと、本心とは逆に引き留めてしまう可能性もある。だから、黙って行方をくらましてもらうのが一番いいの」


 それで『パーティから抜けろ』ではなく『蒸発しろ』だったらしい。


「……だったら、せめて他の仲間に挨拶だけでも。ずっと一緒に戦ってきたんだし」


 いつの間にかパーティを抜ける前提の話をしてしまっているアシットだったが、ミズカは更に刺してくる。


「一応言っておくけど、他の人たちは誰も止めたりしないと思うわよ」

「え……?」

「貴方を足手まといだと思ってるのは勇者様と私だけじゃないということ」

「そんな……」

「本当に気がつかない男なのね。静かならないドンね」

「ドン?」


 やれやれとばかりに肩をすくめると、ミズカはまた滔々と話し出した。


「魔物に囲まれた時、相棒面した貴方に『やってやろうぜオッサン!』とか言われた戦士は苦虫を噛み潰したような顔をしていたし、背後から貴方を狙ってた魔物に眠りの術をかけて助けたのに全く気づかれなかった旅芸人はいつもの笑顔が消え失せていたし、貴方が初歩的なトラバサミの罠にかかった時は女盗賊がはっきり舌打ちしていたわ。まだまだあるけど他にも聞く?」

「……もういいです」


 ガックリ項垂れながら、首を横に振る。


「幼馴染の勇者様ならいざ知らず、他の連中は貴方が抜けるとなれば諸手もろてを上げて大賛成でしょうね。喜んでどうぞどうぞされてむやみに傷つきたいわけ?」

「…………」

「何か返す言葉はある?」


 今さっき問答無用と言っておきながらそんな問いを投げたのは、完全に心を折ったという確信からだろうか。

 アシットの口をついて出たのは、その問いへの返答とは別の言葉だった。


「……勇者アイツだけじゃなくて、パーティ全体をよく見てるんですね。さすがは大賢者様だ」


 言った瞬間に、我ながら皮肉っぽい言い方だと自嘲する。どうしてこんな甘ったれた台詞が出てきてしまうのか。

 しかしミズカはそのことを咎め立てはしなかった。


「パーティ全体ね……」


 その一瞬に向けられた目線も、小さな呟き声も、目の前にいるアシットには届かなかった。


「えっ?」

「何でもないわ」


 ミズカはすぐさま冷徹モードへと切り替え、再度アシットの眼前に、白く細い指をビシッと向ける。


「とにかく、今すぐに荷物をまとめてどこぞに蒸発なさい。明日の朝、貴方が寝泊まりしてる山小屋に様子を見に行くから、もし引き払ってなかったら、どうなるかわかってるでしょうね?」


 寝ぐらの場所までバレているらしい。

 アシットは最早逆らえないことを悟りつつ、一応問うてみる。


「……ちなみに、どうなるのでしょうか?」

「慣用表現としてではなく、物理的に蒸発することになるでしょうね」


 そんな穏やかでないことをにこりともせず言ってのける。あらゆる魔法を使いこなす彼女にとって、それぐらいは造作もないことだろう。

 とんでもない人だ。血も涙もない。こんな人を仲間として信頼し、幾ばくか憧れの気持ちまで抱いていたなんて——

 絶望にも近い感情に打ちひしがれるアシットへと、更に追い打ちがかけられる。


「いい? 明日私が様子を見に来たときに、そこに残ってたりしたら承知しないわよ」

「……はい」


 力なく答えるアシットに、更にズイッと指を近づけてくる。


「わかったわね? 絶対に残っていたらダメよ。絶対によ」

「…………はぁ」


 いやにしつこい。

 その指先は今にもアシットの額を突かんとばかりに近づいてくる。


「絶対だからね」


 最後にもう一度念を押すと、ミズカは袂から飛翔石を取り出し、魔力を籠めた。

 身体が薄く青い光に包まれ、ふわっと宙に舞い、長い髪が揺れる。

 あれだけこき下ろされながらも、アシットはその姿に一瞬見蕩れてしまう。

 飛翔石から魔力が放出され、ミズカは目的地へ向けて、物凄い勢いで飛び去っていった。

 大賢者の姿がみるみる小さくなっていき、見えなくなった後も、武闘家はしばし呆然とその方角を見つめていた。


 × × ×


 王都に向けて飛ぶミズカは大きく呼吸をした。息をつくのも時折忘れるほど緊張していたのだ。

 国王、精霊王、竜女帝エンプレスドラゴンといった面々に初めて謁見した時よりも、不安に陥る民衆を慰撫するために演説を行った時よりも、今日の方がはるかに緊張した。


「……私、変じゃなかったわよね」


 ポツリと独りごちる。

 言うべきことはちゃんと言えたはずだ。言うつもりのなかった言葉も次から次へと出てきてしまったような気もするが。

 まあ本題については、あれだけ言えばさすがに彼でもわかってくれただろう。


「……?」


 ふと違和感があり、右の袖を少し捲って見てみると、白く細い手首に薄く痣がついていた。

 武闘家の腕力をもって本気で掴まれたらこんなものでは済まない。我を失った様子ではあったが無意識に手加減はされていたのだろう。

 それでも大賢者に、そして女性に対してこんな狼藉許されるべきものではない。


「……痕が残ったら責任とってくれるのかしら」


 夕景に染まる王都が見えてきた。

 ミズカはまた大きく息をついた。

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