第4話 ミズカ様にぶたれる

「それは……アイツも同じ意見なんですか?」


 更に長い空白を経て、更に掠れた声で、アシットが問いかけると、彼に向けられている細く長く美しい指がほんの少しピクリと動いた。


「……アイツというのは勇者様のこと?」


 項垂れるように頷く武闘家の姿を捉えるミズカの眼差しが、更に冷たさを帯びたものになる。


「前々から思っていたのだけど、言葉には気をつけるべきね。いくら昔馴染みとはいえ、今や全世界の英雄ともいうべきお方をアイツ呼ばわりはどうかと思うわ。まあそれに関しては貴方に限ったことではなく、あの軽薄な女盗賊なんかも——」

「そんなの関係ありませんっ! 生まれた時から、アイツは俺の友達ツレなんですっ!」


 初めて言葉を遮られ、ミズカが少し目を丸くする。

 アシットは自身を指差しているその腕の、手首あたりを不意に掴んだ。


「えっ、あっ、ちょっ……」


 動揺する少女のような弱々しい声が大賢者の口から漏れていることなど気付かずに、アシットは必死に縋るように問いかける。


「教えてください! 勇者アイツが俺のことを足手まといだって、最後の戦いに必要ないって言ったんですか!? ミズカさんはアイツに言われてここに来たんですか!?」


 同じパーティに属する仲間ではあるが、村の農家の次男坊であるアシットと、王都に仕える高位者であるミズカとは、はっきりと身分違いである。

 袖の上からとはいえ、そんな相手に腕を掴むなどという狼藉行為を受けた怒りからか、ミズカの白く透きとおるような頬が微かに紅潮していた。


「……離してもらえるかしら?」


 平坦ではあるものの一種の迫力が込められた声を聞き、アシットは我に返った。

 己が大それた行為に及んでいたことに気がつき、慌てて手を離す。


「はっ? す、すいません。俺、なんて失礼なことを……」

「全くね。夜な夜な何を握ってるかもわからないような不潔で野卑で野蛮な手で、精霊王様から拝賜した聖なる衣に気安く触れるなんて。どうしてくれるの、もう捨てるしかないじゃない」

「いや、捨てることはないと思うんですが……すいません」


 あまりの言われように、今しがたまでの我を失った勢いは完全に消え失せる。

 ミズカはまた消沈した武闘家を見下ろし、静かに告げた。


「……はるか南のコネジア領に遠征中の勇者様が、わざわざそんな指示を送ってくるわけないじゃない。それに、あのお方が仲間を切り捨てるなんて出来っこない。長い付き合いならそれぐらいのことはわかるでしょう?」

「だったらどうして——」

「でもかねてから貴方にパーティから外れてほしいと思っておられることは確かよ。私はそんな意向を汲み取ってここに来たの」

「そんな……アイツが言ってたわけでもないのに、そんなこと……」


 瞼の裏に、仲間を導くリーダーであり、物心ついた頃からの親友でもある男の面影が浮かぶ。


「アイツがそんなこと思ってるわけない!」


 悲痛な叫び声が山中にこだまする。

 見上げたミズカの表情から感情は窺い知れない。その瞳に宿るのは憐れみか嘲りか。彼女は諭すように言った。


「……私にはわかるの。あのお方が戦闘中にポカをした貴方のことを見る目つき、作戦会議で貴方が見当違いの発言をした時にこっそり漏らしていたため息、貴方の名を呼ぶときだけ醸し出される微妙な感じ……その全てはハッキリ物語っていたわ。『コイツ足手まといなんだよなー。どっか行ってくれないかなー』って」

「いや、アイツはそんなこと思うような奴じゃ……」


 更に抗弁しようとするが、再度人差し指を面前に向けられ、制止される。


「この大賢者ミズカの目に狂いはないわ」


 変わらず静かな声ではあったが、これ以上は何も言わせぬという圧があった。

 アシットは彼女の真っ直ぐな瞳を見て、屈服するように肩を落とし、項垂れる。


「……アイツのこと、よく見てるんですね」

「アイツのこと?」


 彼女が一瞬きょとんとした表情を浮かべたことに気がつかずに、アシットは言葉を続ける。


「ええ。幼馴染の俺なんかよりよっぽどアイツのことわかってるみたいだ。ミズカさん、もしかしてアイツのこと……」


 こんな時に、何故そんな言葉が出てきたのか自分でもわからない。この数分の間で言われたこと感じとったことで、そのことが最も重要な事項でなどあろう筈がない。

 それなのに出てきたのはそんな台詞だった。


 沈黙。これまでで最も長い空白の時間。


 ふと顔を上げると、ミズカは先ほど腕を掴まれた時とは比べ物にならないほど赤面し、凄絶な表情を震わせて、アシットのことを見下ろして、いや、睨みつけていた。


「ミズカさん?」


 静かな山中に甲高い音が響く。

 あらゆる魔法を極め尽くしたスペシャリストによる、ごく原始的な平手打ちだった。

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