第9話 ミズカ様の条件

「ああ腹立たしい。こんなに腹立たしいのは、人間とは美的感覚が180度異なるポポタマ族の子供に『あんなブス見たことねぇぞ』とか指差された時以来だわ」


 地べたに這いつくばり、彼女の足で頭を押さえつけられているアシットには窺い知れなかったが、言葉とは裏腹にミズカはいたって澄ました顔に戻っていた。


「ちなみに、そのクソガ……お子さんがどうなったか知りたい?」

「い、いえ……」


 この体勢では首を縦にも横にも振ることができず、声も出しづらかったが、どうにか喉を振り絞る。


「べ、別に知りたくないでふ……」

「そう。それじゃ別の事実を教えてあげるわ」

「……なんでしょう」

「それ以来、ポポタマ族には『他種族の悪口は死んでも言うべからず』という鉄の掟が制定されたそうよ」

「……そうですか」


 かの亜人族にどのような惨劇が降り注いだのか、慮られるところはあったが、今は自分以外の心配をしている場合ではない。

 大賢者ミズカの攻撃魔法の威力、発動の速さは前衛の身でも幾度となく驚嘆させられている。この体勢からでは攻撃も防御も逃走も能わないだろう。

 つまりアシットの生殺与奪の権は彼女に握られていると言って良かった。そして彼女は今、非常に腹を立てている。


「でもまあ、面白いことを言ってくれたものよね」


 後頭部の重みがなくなる。

 這いつくばる姿勢はそのままに見上げると、ミズカは薄い笑みを浮かべ、こちらを見下ろしていた。


「『やってみなきゃわからない』……思えばその精神があったからこそ、私たちは今、魔王の喉元にまで迫れているのかもしれないわね」

「!! そ、そうなんです! その気になれば何だって——!?」


 我が意を得て身を乗り出そうとした喉元に、杖の先端が突きつけられ、アシットは硬直した。


「死ぬ気で努力する。そう言ってたわね?」

「は、はい……」


 女性としては長身のミズカは見下ろし、地面に膝をついているアシットは見上げる。

 目と目が合うこと数秒、ミズカは静かに杖の先端を引いた。


「——まあ三ヶ月ね」

「さ、三ヶ月……?」

「ええ。今パーティの中で他の七人に五馬身差以上離されてドンケツの貴方が、三ヶ月の間特訓でもなんでもして、パーティの誰かに勝つことができれば、仲間として認めてあげるわ」

「……誰かに勝つ?」

「そう。それと私に対する狼藉の数々も不問に伏してあげる。破格の条件でしょう?」


 急な話の展開に、判断がついていかない様子のアシットを尻目に、ミズカの声音はほんの僅かに楽しげになる。


「対戦相手は誰を選んでも構わないわ。他のメンバーにとっても、足手まといの貴方を排除できる機会なわけだし、みんな喜んで協力するでしょうね」

「…………」


 排除という言葉の響きはかなり強烈なものがあったが、アシットは先程のように反発することはなかった。

 圧倒的戸惑いの中ではあるが、仲間として認められる道が示されたことは、彼にとって一筋の光明でもあることを感じとったのかもしれない。


「もちろん私を指名してくれても構わないわよ」


 ミズカはいつになく柔和な笑みを浮かべ、言葉を続ける。


「苦しまずにこの世から消滅したければね」


 剣呑極まりない言葉を透きとおるような声で発する彼女が、あまりにも恐ろしく、それ以上に美しく、アシットは息を呑んだ。


 × × ×


 王都へと翔ぶミズカの身体がグラッと揺れた。


「……っと」


 慌てず騒がず魔力をコントロールして体勢を立て直しつつ、彼女は心中で舌打ちする。

 飛翔石を使用しての高速飛行は傍目で見るほど簡単ではない。注ぎ込む魔力が少ないとまともに飛ばないし、多すぎるとすぐに暴走する。その制御コントロールができる者は王国内でもかなり限られる。

 とはいえ、単独飛行での失態などがあった日には、大賢者の称号は返上しなければならないだろう。


 ——全て、あの男のせいだ。


 自らの手を見つめる。見た目は普段と何も変わらないが、未だに熱を帯びているような気がする。

 今日も平静を保って接することができていたとは思うが、確たる自信はない。

 周辺に誰もいないことを改めて確認のうえ、やりようのない怒気を言葉に出す。


「……何なのよっ」


 全くもって、何なのだあの男は。

 勇者の仲間であると力強く宣言してこられ、意味不明な感情に胸を打たれ動揺していたところ、魔王を倒せる力を身につけるなどと無茶なことを熱い眼差しで言ってきて、挙句にはあの行動である。

 ミズカはもう一度、彼に握られた手を見つめた。


「なんなのよ……」


 思わず翻意してしまいそうにもなったが、とりあえず条件は付けた。もっと厳しい条件にすれば良かったとも思うが、まああれでもまず達成はできないだろう。万一、武闘家かれが勝ちそうになったときは妨害してしまえば良い。

 何としても、彼を最終決戦に連れていくことだけは避けなければならないのだ。


 ——たとえ、憎しみを一身に浴びることになっても。


 ミズカは三たび白い手に目をやりかけたが、振り切るように前を向き、飛行速度を上げた。

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