第8話 ミズカ様に踏みつけられる

「強くなる?」


 首を傾げながら言葉を鸚鵡返しするミズカに、食い掛からんばかりの勢いでアシットは思いを口にした。


「はいっ! 俺は強くなります! 今は足手まといだとしても、修行して、勇者の仲間として恥じない強さを身につけます! だから——」


 熱弁を始めるが、ミズカの大きな溜息によって止められる。

 相変わらず表情の変化には乏しいのだが、それでも彼女がその美しい容貌を僅かに歪めさせ、呆れ顔をしていることは見てとれた。


「やれやれね……『やれやれ』なんてちょっと斜に構えた言葉はなるべく使いたくないんだけど、これはもうやれやれ案件としか言いようがないわ」


 ミズカは両の掌を上に向け、肩をすくめてみせる。

 言っていることはよくわからないが、どうやら心底呆れているらしいことはアシットにもわかった。真剣な思いをすかされ、少なからず反発を覚える。


「俺は真剣ですっ! 死ぬ気で修行して、この拳で魔王を倒せるほどの力を身につけて——」


 今度は『もういい』とばかりに掌を向けて制される。

 アシットは意を汲んで大人しく言葉を止めてしまう己が情けなかった。


「一つ聞きたいんだけど、貴方が勇者様と旅に出たのは何歳の時だったっけ?」


 唐突な質問が投げられ、アシットは一瞬面食らったが、すぐに答える。


「十六歳の時です。勇者アイツが十六になる誕生日だったんですが、俺も同い年なんで」

「十六歳の誕生日に村長むらおさ的な人に呼び出されて、勇者として旅立つことを告げられる……何ていうか、ベタすぎてちょっと恥ずかしくなるわね」

「……大きなお世話です」

「それで今は何歳?」

「十九です。来月ハタチになります」

「じゃあ約四年間、勇者様とともに旅をしてきたというわけね」

「ええ」


 そう。それだけの月日を彼とともに過ごし、ともに戦ってきたのだ。やはり自分だけここで幕引きなどというわけにはいかない。

 質問の意図はよく分からなかったが、アシットは決意を新たにした。


「魔王軍との休戦期間は、双方の状況から考えて長めに見積もっても半年がいいところよ」

「はあ」


 人間を中心とした魔王討伐軍と魔王軍、両陣営とも複雑な事情を抱えて休戦へと至った現状を、何となくしか理解していないアシットは、まあそんなものなのだろうと生返事する。

 ミズカは更に呆れの色を帯びた表情で、類稀たぐいまれなる愚者に言い聞かせるような口調で言葉を続けた。


「あのね。十六歳から四年間戦ってきてその程度の戦闘力しか持ち合わせていない貧弱人間が、その後の半年でみちがえるほどパワーアップするなんてことあり得ると思う?」

「うっ……」


 一瞬言葉に詰まるが、アシットとしても引き下がるわけにはいかない。


「それは……し、死ぬ気で努力します!」

「へえ。それじゃ今までは死なないつもりでいて、努力を怠っていたの?」

「うっ、そ、そんなことありませんが……」

「だったら答えは出ているわ。十六歳からの四年間と十九歳終わり頃からの半年間、どちらも然るべく努力をした場合、より伸びるのはどちらの方?」

「…………」


 今度は本格的に言葉に詰まる。

 彼なりに頭をフル回転させているが、彼女に反駁はんばくし得る言葉は何も出てこない。そもそも言い負かすには相手が悪すぎることは昨日嫌というほど思い知らされていた。


「弱い武闘家はいつまでも弱いままなのよ」


 そう断言し、眉間を貫かんばかりに、白く細い指をピシッと差してくる。

 その瞬間、頭の奥の方で何かがブチンと切れた音がした。


「そんなの……」

「ん?」


 アシットは眼前に向けられたミズカの手をグッと掴んだ。


「——!?」

「そんなのやってみなきゃわからないだろ!!」


 怒鳴り声が山中に響き渡る。


「…………」

「…………」


 そして静寂。

 今度は川のせせらぎも、風の音も、動物たちの嬌声も、その瞬間ピタリと止んだような静寂だった。自らの怒鳴り声で耳が馬鹿になっていただけかもしれないが。

 大賢者は少し虚をつかれたような顔つきで、言葉なく武闘家の顔をじっと見続ける。


「あ」


 アシットは慌てて掴んでいた手を離した。

 自分は誰に何をしているんだ。何を言っているんだ。何てことをしているんだ。我に返ると同時に激しい後悔が流れ込んでくる。

 謝ろうと口を開きかけるが、先に言葉を発したのはミズカの方だった。


「……これは果たして現実かしら? 貴方ごとき下賤の人間にこの私があんな暴言を吐かれるのみならず、こんな乱暴狼藉を受けるなんて。しかも連日で。この私が。貴方ごときに」


 こんな時でもミズカはどこまでも静かで、口調に抑揚はなかった。

 しかし、頬がほんの微かに紅潮しており、沈着冷静でポーカーフェイスを常とする彼女をしてこの変化は、激怒といえる感情なのではないかとアシットには思えた。


「す、すいませんっ! そんなつもりじゃなかったのですが、その、つい……」


 平身低頭で許しを乞う。

 情けない限りであったが、我に返ってしまった以上、ここで居直ることなど出来るアシットではなかった。

 散々煽られて熱くなってしまったとはいえ、いきなり女性の手を握るなど、以ての外の非礼な行為である上に、相手は高位の大賢者である。国法で罰せられてもおかしくない所行だった。


「まったく、ちょづいてくれたものね。貴方ごときが」

「す、すみません……」


 初めて聞いたちょづくという言葉に首を傾げる心の余裕もなく、また深く頭を下げる。


「汚物ともいえる不潔な手で、事もあろうにこの私の玉の肌に直接触れるなんて。万死に値するどころか、一族郎党さらし首にされても文句は言えないわね」

「す、すいませんっ! 俺はどんな罰でも受けますんで、家族は勘弁してくださいっ!」


 ついには土下座をする。恥も外聞もなかった。村に残してきた両親や弟妹の姿が瞼に浮かぶ。


「そんなことされても困るわ」


 意外にもやや困惑したミズカの声が頭上から聞こえる。さすがに旅の仲間に土下座などされては、居心地が良くないのだろうか。

 顔を上げて、更に許しを乞おうかと思った瞬間、後頭部に何かがのしかかる。


「土下座だったら、もっと額を地面にこすりつけるようにしないと」


 そういえばこの人は、熱々の焼け石の上で土下座させようとした人だった。

 足で頭を踏んづけられながら、アシットは屈辱も憤懣も通り越し、絶望を覚えていた。

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