第19話② おっ帰りー

 咲月は足を止め、路上に転がるシシガミの首を前に呟いた。もう確実に動かないとはいえ、迫力と不気味さはかなりのものだ。

「出てたのが獣系の上位幻獣だったなんて。うん、慎之介に来て貰って良かった。本当に。ありがと」

 その声には驚きと不安と安堵が入り交じっていた。

 返事をしようと見た咲月の姿は、外灯の光を浴び陰影が強調されている。歳下の幼馴染みが急に女性として見えてしまい、慎之介は目を逸らし来金道を鞘に納めた。

「どうも最近、幻獣が増えてないか?」

 気恥ずかしさを誤魔化すため咄嗟に出た話題だったが、しかしそれは普段から感じていることでもあった。

 しかし咲月は首を横に振る。

「そうでもないよ、数字の上で言えば誤差の範囲だもの」

「誤差の範囲? いや、増えていると思うが……」

「実際には増えてなくっても、注意が向いて意識しだすとね。人は増えてるって感じるものだもの」

「ああ、そうか。うちの職場でも同じことがあるな」

 慎之介の所属する普請課は、大雨や地震などの自然災害にも対応する部署だ。そこで言われる軽口で、雨は夜中に降り地震は休日に起きる、といったものがある。

 仕事で呼び出される怨み節ではあるが、そうした印象が強いからこその言葉だ。

「でもシシガミが出るのは確かに変よね。だって、シシガミは上位種だもの。今日は上位種が出るような地圧じゃなかった」

 咲月は口元に手をやり考え込んでいる。

 そのとき慎之介は微かに足音を聞いた。急ぎヘルメットを装着すると、モニターに動体反応の検知が表示される。便利な機能だが、しかし先程の上から降ってきたシシガミには反応しなかったので、頼りきるのは危険だろう。

 さらに暗がり部分に人型の輪郭が表示された。


「咲月……」

 二の腕を小突いて合図をすると咲月も気付いて、同じ方向を見やった。暗がりの中をやって来た相手が街灯の光の下に姿を現す。

 長身で整った顔立ちの細身の男だ。

「ほーっ、シシガミやがな。よぉ倒せたもんやな」

 軽く面白がるような表情を浮かべているのは、紛れもなく特務一課の柳生包利だった。名が示す通りに柳生一族の者で、尾張における侍の筆頭である。

 筆頭に相応しい実力があり家柄も申し分なく、侍の中の侍とも呼ばれ尾張藩だけでなく東日本全体に名を知られる人物だ。もちろんファンも多く、若い女性を中心に絶大な人気がある。女優相手に浮き名を流し、度々ニュースになるぐらいだ。

 そんな柳生包利が目の前にいる。

 慎之介は自分がフルフェイスのヘルメットを装着していることに感謝した。それは自分の正体を隠す為だけでなく、緊張した表情を見られないですんだのだから。

「何か用ですか。一課の担当ではないと思いますが」

 咲月は厳しい口調と態度で反応した。

 お互いに尾張藩の侍で顔見知りのはずだが、咲月の態度には他人行儀の素っ気なさが強い。そして慎之介は再びヘルメットに感謝した。なぜなら、にやつく顔を抑える必要がないのだから。

「冷たい言い方せんでもええがや。そらもう心配しとったに決まっとるに」

「それはどうも。でも問題ないわ」

「四課の幻獣殺しがいるからか? で、そいつが噂の幻獣殺しか。ふーん、まあ。なかなかやるようやな」

 鋭く嘗めるような眼が慎之介を上から下まで見やり――不意に白刃が閃いた。包利が刀を抜き放って突きつけたのだ。

「ちょっと!?」

 声をあげたのは咲月だ。

 一方で慎之介と包利は動かず対峙している。

「なんや、つまらん」

 包利はぼやくように言って、抜き放ったときと同様に瞬時に刀を納めた。

「どういうつもり? 侍同士での戦いは御法度よ」

「怒んなや、ちいと試しただけや。こいつ、やりよるわ。そこんとこは認めたる」

 柳生包利はにやりと笑い、あっさりと背を向け去っていく。背中越しに手を振ってみせる様子はキザなものだったが、似合っているのも事実だった。


 慎之介が帰宅すると、もう夜中になっていた。

 あれからシシガミの処理は咲月と特務四課の皆に任せ、一足先に帰宅だ。若干申し訳なくは思うが、しかし皆とは違って慎之介は明日も普通に出勤せねばならない。早めに帰って休む必要があった。

 そっと音をたてぬよう玄関を開け、閉め、居間に向かう。だが、二階で物音がして陽茉莉が降りてきた。パジャマ姿で目元を擦り眠そうな顔だ。

「おっ帰りー」

「起こしたか、悪かったな」

「んー別に起きてたし。配信とかしてたから」

「こらっ、そういうことで夜更かしは駄目だと言ってあるだろ」

 慎之介は軽く叱ってみせるが、もちろんフリである。配信などと言いつつ、陽茉莉が自分の為に起きていたのは間違いないのだから。そして何より、家に帰って出迎えがあるのは嬉しいものだ。

「お風呂残してあるよ。それから寝る前だけど、お茶準備しておくね」

 その言葉に甘え慎之介は風呂に行った。

 少し温い湯に浸かり、ぼんやり考えるのは今日の戦闘のことだ。

 シシガミ相手に思いっきり刀を振るった。相手の動きを読んで、感じるままに身体を動かし、ギリギリの戦いを繰り広げ――その戦いの中で何とも言えぬ感情を抱いたのだ。だが、それが何であるかは自分でも分からない。

「変な感じだ」

 そしてもう一つは、柳生包利のことだった。

 いきなり刀を突きつけられたとき、その動きが明らかに見えていた。どう動いてカウンターを入れるかまで考えた上で動かなかった。相手が冗談でやっているのだと、よくある言葉で言うなら殺気がないと分かったのだ。


 やはり包利と対峙した時も、シシガミと戦った時と同じ感情だったのである。

「なんだろうな、こういう感じってのは」

 自分でも良く分からない。

 慎之介は風呂を出て着替えると、軽く浴槽を掃除して水切りをした。すっかり風呂上がりの汗もひいたぐらいで居間に行った。

「なんだ、まだ起きてたのか」

 てっきりお茶だけ用意して寝てるかと思った陽茉莉が起きていた。

「んー、あたしも飲みたくなったから」

「そうか」

 居間の床に座り込んで、二人して夜のお茶会をする。

 ハーブティーで香りからしてカモミールだ。味に拘るわけではないが少し薄すぎるような気もした。多分、少なめにしようとして分量を間違えたのだろう。だが、優しい味がして気分が落ち着く。

 何より優しい気遣いが嬉しかった。

「ねえ」

 パジャマ姿の陽茉莉は床にぺたんと座り、両手でカップを抱え見つめてくる。

「今日はどんな幻獣を相手にしたの?」

「いきなりどうした」

「なんだか、お兄ってば。いつもより嬉しそうに見えるから、変だなって」

「嬉しそう……そうか、嬉しそうに見えるのか。なるほど」

 慎之介は声をあげないまま笑い、ハーブティーを飲み干した。そして陽茉莉に早く寝るよう言って、カップを洗って片付け寝た。

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