第12話① はいそーでーす

 居間の床で慎之介は寝転がっていた。

 寝転んでいる理由は特に何もない。ぼんやりとして半分寝たり起きたりで、日曜日というものを満喫しているだけだ。

 家の中は静かだ。

 時計の針が時を刻む音や冷蔵庫の駆動音、近所の犬が吠え通りを通過する車両の走行音が耳に届く。窓から斜めに差し込む日射しの中で小さな埃が舞う様をぼんやりと見つめる。

「……だるい」

 休日にやる予定は、仕事中に色々考えてはいた。

 しかし人というものは不思議なもので、そうやって考えても、いざ休日になってみると面倒くさくなってしまう。そして何かをしたい、せねば、といった気持ちを抱えたまま怠惰に過ごしてしまうものだ。

 玄関で物音がした。

 僅かに気を引き締めるが、しかし鍵を構う音や解錠する音は覚えがあるものだったで、直ぐにだらける。聞き慣れた足音がしてドアが開いた。

 そして買い物袋をさげた陽茉莉が入って来る。

「うぁーっ、重かったぁ。って、お兄ってば。またそんなところで寝てるし」

 陽茉莉は注意とも文句ともつかぬことを言ったあげく、足先で脇腹を小突くという暴挙をしてきた。どうやら兄に対する尊敬や敬意といったものはないらしい。

「休みの日はいっつもこれなんだから。ほらー、庭の草むしりとか、掃き掃除とか、掃除機とか一緒にやろうよ」

「もう全部やってある」

「じゃあ、買い物に行って来た可愛い妹を褒めるのは?」

「買い物おつかれ」

「ふふーん」

 陽茉莉は機嫌の良い声をあげた。

 買い物袋から戦利品を取り出しては、ひとつずつ見せて嬉しそうに説明してくる。どうやら上手く安く買えたことを褒めて欲しいらしい。

 慎之介は起き上がって胡座をかいた。期待に応えて手を叩き褒めてやると、陽茉莉は手を腰にあて得意満面といった様子だ。

「じゃーん! このお肉を見て! なんと半額でした!」

「つまり見切り品というわけだな」

「だから今日中に食べないとね。そして今日の料理当番はお兄。と言うわけで、よろしくお願いします!」

「仕方ないな。で、何が食べたいんだ?」

「んーっ、美味しいもの」

 とても酷い発言に慎之介は批判的眼差しを向けたものの、陽茉莉は軽く舌を出して笑っている。そのまま鼻歌交じりで冷蔵庫に詰め込んでいる。

「あとねー、お兄の好きな和菓子。買ってきたの。食べるー? 食べるよね」

「仏壇に供えてからな」

「勿論。じゃあ、お兄はお茶煎れてね。むむっ、このシャツが脱いだままじゃないの。うあーっ、しかも裏返しだ! なんて極悪な所業を!」

 陽茉莉は文句を言いつつ、慎之介が仮置きしておいたシャツの裏返しを直している。そんな賑やかな雰囲気に背中を押され、慎之介は立ち上がって伸びをして、お茶の準備を始めた。


 居間のテーブルを挟んで向かい合い、間においた皿には陽茉莉の買ってきた和菓子が載っている。しかし大福だと思って油断したら、中身はカスタードクリーム。騙された慎之介は心に深い傷を負っている。

 もう一つある大福を恨みがましく見つめ、口をへの字にして拗ねる。

「なんだよ、餡子じゃないのか。好きな和菓子と言ったじゃないか……」

「あれ? 餡子のつもりだったのに間違えたね。でも美味しいから良いよねー」

 陽茉莉は美味しそうに、もぎゅもぎゅと大福を口にしている。

 休日の設楽家でよく見られる光景だ。特に会話もないが、まったりした雰囲気で過ごしていると、玄関のインターホンが鳴った。

「ん?」

 動こうとした慎之介より先に陽茉莉が立ち上がる。

「あ、いいよ。あたし出るから」

「そうか。変なヤツだったら直ぐ声をあげるんだぞ、最近は何かと物騒だからな」

「子供じゃないんだから」

 陽茉莉は子供のように頬を膨らませ、パタパタと玄関に駆けて行った。

 それを見送った慎之介だったが、ふと不安になってきた。最近は何かと物騒であるし、押し売り紛いの訪問営業もあれば、変な宗教の勧誘だってある。しかも陽茉莉は可愛いのだから、ストーカーという危険な存在に狙われる可能性も考えられ――ついに慎之介は刀を取るため立ちあがった。

 だが、玄関から弾むような声が聞こえる。

「うあーっ、いらっしゃい! 凄く嬉しい。早くあがって!」

 どうやら心配は杞憂だったらしい。

 それはそれとして、やっぱり慎之介は迷った。陽茉莉の親しい友人が来たのであれば、軽く顔だけ見せて挨拶をして、あとは邪魔せぬように出かけた方が良い。だが、どこに出かけるか急には思いつかないのだ。

 ――とりあえず公園にでも行って時間を潰すか……。

 そんな事を考えていると、陽茉莉が機嫌良く戻って来た。

「ちょーど、お大福食べてたの。まだあるから食べてよ。あ、私。お茶煎れるからさ。適当に座っててね」

 陽茉莉がぱたぱた台所に向かい、それから相手が居間に姿を現す。陽茉莉の反応と足音で相手が誰かは分かっていた。


 白い髪を揺らし入って来た相手を見て、慎之介は軽く手をあげる。

「よく来たな、咲月が家に来るのは久しぶりだな」

「はいそーでーす」

 やって来た咲月だが、微妙に普段と口調が違う。強いて言うなら子供の頃の喋り方に近い。そう思ってよくよく注意して見れば、妙に疲れたような顔をしている。浅紫色の瞳もどこか力ない。

「なにか調子が悪そうに見えるが、どうした?」

「うん、そうね。今朝まで宿直してたの」

「なるほど宿直か、いやしかし仮眠はしなかったのか?」

「自分の席で寝ようとしたけど駄目、やっぱりベッドでないと寝られないよ」

 咲月は手を口にあてて、小さくあくびをした。勝手知ったるなんとやら、慣れた様子で椅子に座るとテーブルに腕を置き、ちょこんと頭を置いた。かなり気怠そうな仕草だった。

「眠たそうだな。家に帰って寝た方がいいんじゃないか?」

「家に帰ると、また煩い事言われるもん。宿直なんて下々の者にやらせないさい、とかって。でもね、私そういうの違うって思うの」

「なるほど」

 藩内の多くの部署では、身分血筋によって作業が決められ、労多い作業は下の者に押しつけられることが大半だ。しかし咲月はそうはせず、きちんと部下の事を考え行動している。どうやら良い課長をやっているらしい。

 内部の事情を知る慎之介は軽く笑った。

「課長が宿直か。察するに、今月の超勤予算が上限に達したとかだな」

「凄い、分かっちゃうんだ」

「どこも同じさ、仕事はあっても予算がない。ま、予算が欲しいなら幻獣とか災害関連にかこつけて確保するのがコツだぞ」

「そうなんだ。次からそうしてみるね」

 陽茉莉はお湯を沸かしているので、まだお茶は来そうにない。

 軽く欠伸をした咲月は机に半分突っ伏したまま手を伸ばす。普段に比べると微妙に緩慢な動きで、テーブルで湯気をたてている湯飲みを引き寄せ口にする。

「あー、それはだな」

「ん? なーに?」

 まったりした顔で咲月が言った。お茶を飲んで、一息つけた様子だ。

「いや、何でもない」

「変な慎之介」

 そう言われた慎之介は軽く苦笑するしかない。自分の湯飲みが咲月の手にあるため、やや手持ち無沙汰となっている。

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