第5話
貴族たちに動揺が走った長い長い会議の後、エデンはマリクとともに城の屋上への階段を上っていた。
カツンカツンと暗い階段に靴音が響く。ラースとはカークライト王国でよく一緒に夜空を眺めたことを唐突にエデンは思い出した。ラースと見たのを最後にこれまで夜空などのんびり見上げることはなかった。なんて馬鹿馬鹿しいことだろう。
壁にかけられた松明の明かりがエデンの足元を舐めた。マリクはそれまで黙って後ろをついてきていたが、屋上にたどり着く前にエデンの背後で口を開く。
「あの野良神官の言うことは信用できません」
「私も全て信用しているわけではない」
「それならばなぜまた話を聞こうと?」
「魔物の発生と墓荒らしがあったからだ。なければ話を聞こうとさえ思わなかった」
「しかし、彼が味方だという確証はありません。嘘を並べ立てている可能性だってあります」
「そうだな。彼が神官に化けた黒魔術師とかいうやつかもしれないしな」
再びカツンカツンという靴音が響く。
「陛下」
いつもと違うマリクの声にエデンは足を止めた。振り返るとマリクも立ち止まる。
マリクの方が背が高いのだが、立っている場所が階段なので彼の顔はエデンの目線よりも下にあった。
「彼を側に置かれるのですか」
マリクの顔を眺めながら、彼の目と炎はどちらが赤いのだろうかとエデンは考えた。彼を護衛騎士にした直後にこのようなことを冗談で口にした覚えがある。松明の明かりよりもマリクの目の方が赤い。
「ユルゲンの浄化の力は役に立つ。戦闘能力も高い」
「もしかしたら黒魔術かもしれません。浄化と見せかけて黒魔術で瘴気石を綺麗にしているだけかもしれません。瘴気石が作れるなら元に戻すことだって可能です」
「その可能性は考慮しているが……なんだ、数日前に会った男に嫉妬でもしているのか」
これまでマリクはエデンの決定にここまで食い下がることはなかった。一言くらい止めても結局はエデンの決定を尊重した。しかし、マリクはもう立場としてはエデンの夫だ。もしかして夫の立場になって、王配たりえようとこんな態度を取っているのだろうか。そう考えると、少しからかってしまった。
「いけませんか」
意外な返事があってエデンは思わず目を瞬かせる。大して表情は変わらないのに、赤い目にはこれまでとは違う感情が見え隠れしていた。
エデンはそっとマリクの頬に手を伸ばして触れた。
「私はマリクのことを最も信用している。それだけでは不十分か?」
マリクの頬を何度か撫でても彼は黙り込んでいる。
エデンは王女だったので、他人の機嫌を取ったことなどほぼない。さらに言えば今は苛烈な女王だ。そのため、こういう時にどうすればいいのか全く分からない。ラースとの付き合いではこんなことはなかった。これから毎回マリクとの会話でラースを思い出すのは我ながら最低だということは分かっている。
「嫉妬する必要性などあるまい。私とマリクが積み上げた年月にたった数日のあの男が敵うのか?」
「あの男は、陛下のことを前世から知っているようでした」
「だからどうした。前世の私と今世の私はそっくりそのまま同じなのか? 今目の前にいる私よりも前世の私が重要なのか。私は神も前世も信じていないというのに」
マリクはエデンの手に頬をこすりつけた。犬か猫のようなその様子にエデンはそっと笑う。
「そなたは私の夫なのだろう? 野良神官に嫉妬などするでない」
「嫉妬する男はお嫌いですか」
「いいや? ただ、私を裏切る男は嫌いだ」
マリクは少し目を伏せる。
「今度は私がラース様を殺します」
「死体が動いているならどうやって殺すのだろうな。殺しても殺しても何度でも蘇りそうだ」
「私が今度こそ殺します。そうしたら陛下の心をくださいませんか」
「……マリクは本当に強欲だな。さらに私に褒美を望むとは」
即答できずに適当に話を逸らした。
エデンだって自分の心が分からないのに。なぜラースにまだ心を乱されているのか、エデンだって知りたいしマリクに応えられるものなら応えたかった。しかし、頷けなかった。
マリクは頬に添えられたエデンの手を取ると、口付ける。マリクは王配にして欲しいと口にした時からよくこの動作をする。懇願でもするようにエデンの手のひらに口付けるのだ。
「おや、私に御用でしたか?」
タイミング良く上からユルゲンの声が降ってきて、エデンは手を下げて見上げた。屋上からユルゲンが下りてきたようだ。
「そなたが星読みをしていると聞いてな。会議の場では聞けないことも多かったから話をしに来た」
「呼んで下さればすぐにでも参りましたのに」
「屋上で話をしよう」
「えぇ。良い星空です。星はやはり我が君がそうだと示しています」
「星と会話ができればすべてが早そうだな。星は私の治世について何と言っている」
「聞いてみましょう」
エデンとマリクはくすくす笑うユルゲンの後ろに続いて屋上に足を踏み入れた。
「これほど景色が良かったのか」
「おや、ここには初めてですか?」
「忙しくてそれどころではなくてな」
「心に余裕がないと星空を見ませんからね」
ユルゲンは屋上にさっと胡坐をかいて座った。エデンも倣おうとしたが、マリクが素早くハンカチを敷いてくれたのでその上に座る。
「お二人はとても仲がよろしいですね」
「付き合いが長いからな」
「喜ばしいことです」
貴族がそんなことを口にすれば嫌味を勘ぐるが、目の前のただただ明るい男は何の含みもなくそう口にしていた。どうにもこの男を前にすると毒気が抜かれる。
「墓荒らしに魔物の発生。これから何が起きるんだ?」
「黒魔術師たちによって世界が暗闇に包まれます。しかし、我が君がいらっしゃるので大丈夫です」
「よく分からんが、また戦争か。不死の軍団と黒魔術師たちと戦うのか」
「はい。聖戦とも呼ばれるでしょう」
「意味が分からんな。肝心の聖王国は救世主一人まだ見つけていないのだろう」
「私が見つけました。それに、いずれ必ず分かる時が来ます。エデン女王陛下が救世主であると」
「それはあり得ない。私ではない。たまたま旧聖典の楽園の名前がつけられているだけで。もしかしたら兄かもしれないな。兄だってそんな名前がつけられている」
「我が君は救世主であることを受け取れないのですね」
エデンは笑った。いや、嘲ったと言う方が正しい。
「救世主なら、なぜこんなに戦争で人が死んでいる。救世主ならなぜ私に神の声が聞こえない? なぜすぐに世界を楽園にできない? おかしいだろう」
「人間が争いを好むからです。神から送られたはずの救世主よりも自身の欲を優先するからです。歴代救世主の側には必ず人間の愚かな争いがありました。ある時は救世主に権力を持たれることを嫌がった国王や皇帝が争いを起こし、ある時は救世主を信じなかった民衆、ある時は裏切った騎士」
エデンはユルゲンの言葉をぼんやり聞きながら、空を見上げた。
カークライトでラースと見た時よりも星がよく見えた。一際輝く星が真上にある。輝きすぎて不気味なほどだ。
「私が救世主ならば、これほど多くの者は死ななくて済んだだろうに」
隣でマリクが少し緊張したのが分かる。敢えてぼかしたが、ラースのことを最も言いたいのだと伝わったのだろう。
しかし、エデンはどうしても受け入れられない。全身にべっとりと違和感が張り付いている。なぜ救世主なら愛したラースさえ斬らなければいけなかったのか。エデンが斬っていなければ、アンブロシオに恨みのある者たちが斬っていただろう。それか第二王子の手の者か。
そんな者たちに斬らせるくらいなら、エデンがラースを斬った。
「それにも必ず意味があります」
「これも神の思し召しだと? 神は随分都合がいいのだな」
ユルゲンの言葉を初めて鬱陶しく感じた。荒々しく立ち上がると、エデンはマリクに言った。
「すまないが、続きは聞いておいてくれ。あぁ、不死の軍団や黒魔術師は普通に倒せるのか」
「黒魔術師は黒魔術を学んだだけのただの人間です。そして不死の軍団は心臓を刺すか、聖水をかければいいでしょう」
「では、そなたの言う通りならこれから忙しくなるだろうな。不穏な空気はあるから準備はしておこう」
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