第5話
「どうするんだ、ランドール伯爵家の話」
マリクが稽古を終えて汗を拭いていると、さっきまで一緒に稽古をしていたキーファが話しかけてきた。
「どうするも何も、今更貴族の養子だなんて」
「でも、王配になるなら平民よりかは後ろ盾があった方がいいだろう。ランドール伯爵家なら後ろ暗いことは聞かない」
叔父と話してみて、実直な人柄と兄である父への後悔は感じた。あれからたまに招待されて休みの日は一緒に過ごしたり、手合わせしたりしているが権力欲から親戚だと名乗り出たわけではないことは察している。
叔父は父の婚約者に懸想していて、それを察した父が駆け落ちしたのだという。それで勝手に叔父は後悔しているだけだ。
「当主になるはずだった父親が駆け落ちしておいて、か?」
「王位争いで国が乱れてあわや大戦争になりかけたんだ。そんな小さいことは誰も気にしていないだろ。むしろ、今そんなことをチクチク言える状況ならどれだけ平和なんだ」
アンブロシオはまだ復興の途中だ。
飢え死にする人はいないものの、カークライトの支援なしには立ち行かない。それに加えて唯一捕まっていない第二王子の件もある。さらに最近ではラース元国王の遺体の盗難まであった。犯人はまだ捕まっていない。
エデンが忙しいことはマリクだって百も承知だ。だから相談できていない。
「陛下は何と仰っているんだ? ランドール伯爵家について」
「好きにしろと」
「じゃあ、好きにしたらいいじゃないか。伯爵令息から王配になりたかったらそれはそれで。教育係なんかも手配してもらいやすいだろ」
キーファはマリクの納得していない顔を見て、さらに言葉を続ける。
「陛下だって貴族が良ければマリクをケリガン公爵あたりの高位貴族の養子にねじ込めただろうし、我が家だって父の反対がなければマリクを養子にできていた。それか、そもそも最初からアンブロシオの高位貴族と結婚していたはずだ。陛下がそうしていないということは本当にどっちでもいいんだよ。お前が王配になることが重要なんだろ」
毎日一緒に稽古をしているので、初対面の時のような仲の悪さはもうない。元々エデンへの態度が悪すぎたキーファにマリクが一方的に怒っていただけではあった。
「そもそもお前、陛下に惚れてるんだろ。どっちでもいいんなら伯爵令息になっておけばいいじゃないか。他から文句も出にくくなるし、ランドール伯爵なら外戚になったからとしゃしゃり出て偉そうにする人でもない。陛下にとってもメリットの方が大きい」
それはそうだ。マリクはずっとエデンが好きだった。
彼女がゴードン団長の用意した貴族出身の騎士たちをかき分けて、一番後ろにいるマリクのところまでやって来たその瞬間から。王家特有のあの紫に輝く目に囚われてしまった。
王女エデンの護衛になるには実力ももちろん大事だが、貴族であることも必要だったのに。
「あぁ、お前だ。ゴードン、彼にする。稽古の時から見ていた。お前は強いだろう。私の騎士になれ」
そう輝く笑顔で言われた瞬間からきっと。
ランドール伯爵家の養子になっても、きっとエデンの態度は微塵も変わらない。名前で少しからかうくらいだろう。だって、エデンが最も愛しているのは死んで遺体が行方不明のラース元国王なのだから。
覚悟していたはずだった。でもラース元国王の遺体が墓から掘り起こされて、エデンは一見して分からないものの相当参っているようだった。
エデンは困っている時や怒っている時ほどよく笑みを浮かべる。意識的にしているのだろうが、付き合いの長い者たちにはバレている。まだ付き合いの浅いキーファたちならば、最近機嫌がいいなと思っているのかもしれないが。
「最近、陛下はピリピリされているじゃないか。お前までウジウジしているとさすがに俺もどういう態度でいていいか困る」
キーファがそんなことを言い出すので、マリクは驚いた。
「なぜ?」
「え、何がだ」
「なぜ陛下がピリピリしていらっしゃると?」
「……? 見れば分かる。うちの母親と表情管理方法が似ているから」
マリクは自尊心が傷ついたのを感じた。
自分よりも付き合いの浅い騎士が、エデンのことを理解し始めている。護衛騎士ならエデンと一緒にいる時間が長いのは仕方がないことなのに。
エデンがラース元国王を愛していることもずっと分かっていたはずだ。護衛として側で見続けてきたのだから。それでも、褒美として王配の座を望んでしまった。エデンがラースに向けるような表情を自分に向けていないと分かっていても。愛は揺らがないと思っていた。
護衛騎士としてエデンの後ろに立って守るのではなく、彼女の隣に立つ立場を望んだのはマリク自身だ。
「何で悩んでいるのか分からないが。俺は大切なものは失わないと分からなかった。お前にはそうなって欲しくないだけだ」
キーファはそれだけ口にすると、着替えに行ってしまった。
「マリク・ランドールか……」
マリクはぽつりと、養子になった場合の自分の名前を口にした。それは予想よりも、案外しっくりきた。
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